四半世紀の想い



日本AS友の会会長  西  文夫


 平成27年3月9日に厚生労働省の検討委員会で、 「強直性脊椎炎」が国の指定難病に認定され、翌3月10日には、 最後の追加疾病44(最終的には306疾病)の中に含まれていることが、 マスコミ発表で私どもの知るところとなりました。

 その記事を目の当たりにして、 役員一同歓喜に震える思いがいたしました。 故田中健治初代会長が、友の会発足時に掲げた悲願が、 25年の歳月を経てついに実現されたわけです。 日本AS友の会としては、ここで一つの節目を迎えたように思っております。

 月日の経つのは早いもので、第1回総会が開催された大阪市福島区にある 「NTTコミュニティプラザ大阪」での出来事のひとつひとつが、 昨日の事のように思い起こされます。第1回総会から数年間は、 会員数・賛助会員数は僅か30余名にとどまり、 従って資金も潤沢とはいえず、日本AS研究会(現・日本脊椎関節炎学会) の庇護のもとに、同一場所・同時期での開催でした。

 当時我が国の医学界においては、正確な診断、 治療ができる医師はほんの一握りと言わざるを得ない状況だったため、 日本AS研究会の故七川歓次理事長が、 ご自身も重症のAS患者でこの分野では第一人者のカーン先生 (本名はムハンマド・アシム・カーン)をアメリカから 招聘しての講演会を実施、 我々患者も聴講させていただいたことを覚えております。

 当初は学会と同時開催だったため、 井上事務局長が学会が開催されている隣の部屋には居るものの、 友の会総会には出席できないという状況がありました。 しかし、第4回総会からは、学会や製薬会社の支援を受けずに 単独で開催されることとなり、これ以降、 井上事務局長が司会進行役を務める今のパターンになりました。 これがまた水を得た魚だったのでしょうか、 井上事務局長のマシンガントークは、今では友の会総会の名物として、 なくてほならないものになってきております。

 ASに使われる薬も、今は無き ブタゾリジン®に始まり、 インダシン®、ボンタール® などのいわゆる消炎鎮痛剤が主流でしたが、 平成20年に、関節リウマチの分野では既に使われ有効性が 証明されていた生物学的製剤のレミケード® とヒュミラ®が、 ASに対してもその適応が承認されることとなりました。 これらの薬剤の出現により、多くの、特に若いAS患 者さんに大きな恩恵がもたらされました。 根治療法とまでは行きませんが、医学の進歩は、 この25年間で一歩ずつ着実に進んでいるのは喜ばしいことです。

 平成27年7月からは、いよいよ指定難病申請手続き、 そして治療費の公的助成が開始され、高額な生物学的製剤や 脊椎・関節の手術も、全国の患者さんがこれまでよりはるか に低い治療費で受けられるようになりました。

 発足当時35歳だった私も今年で還暦です。 平成27年10月18日に京都で開催された創立25周年の記念総会では、 若手の役員、会員たちが中心になって、 創立からの歴史を振り返る立派なプレゼンテーションを行いました。 日本AS友の会にも着実に世代交代の波が押しよせ、 その活動が新しい局面に向かう息吹が感じられたことは 大変喜ばしいことです。

 昨年は、関東支部長がAさん(副会長は継続)からHさんに、 九州支部長がYさん(副会長は継続)からHさんに、 それぞれバトンタッチされました。また特筆すべきは、 平成25年暮れに北海道支部が設立され、若い世代のHさんが 初代支部長に就任されたことでしょう。 友の会も世の習いで、高齢化が急速に進んでおります。 友の会の未来を担うために、若い会員、賛助会員の皆々様の、 役員立候補等の積極的な参加をお待ちしております。

 最後になりましたが、指定難病に認可されるにあたり、 井上医療部長を中心とした順天堂大学のAS研究グループの先生方、 ならびに、ご支援を頂いた日本脊椎関節炎学会、 日本リウマチ学会、日本整形外科学会の理事の先生方に 心より厚く御礼を申し上げます。



戻る

トップページへ戻る