イマジン
〜イメージする心 想像できる人〜




日本AS友の会副会長  Y


未来を担うもの 不屈乃精神もて この土壌に学べ 昭和42年1月2日 佐々木 隆書

 静岡少年院(現駿府学園)の正面玄関ロータリーに設置されている標語です。 40年以上も前になってしまいましたが、この言葉に迎えられて、 塀の内での法務教官としての長い生活がはじまりました。 ほぼ時を同じくして突然の原因不明の腰痛のため、 静岡済生会病院に一ケ月入院、AS(強直性脊椎炎) との長いお付き合いも始まったのでした。

 結局は色々検査したりしましたが原因は不明のまま、 退院時の病名は、「腰痛症」であったことを覚えております。 「腰痛症って病名かなぁ、症状そのままじゃん?」と思ったことでした。 まだ若かったこともあり、 「まぁまぁ不屈の精神、不屈の精神でいくしかないか」というところでした。


 静岡から九州に移っての暮らしの中で、原因不明の病気の{診断と治療}を求めて、 ほぼ有名な医療機関は全部受診してしまったように思います。

 名前からして凄そう、まあここしかあるまいと思われるような大きな総合病院、 大学病院等を総なめにしてきました。 今なら対応もかなり違ってきているのでしょうが、 その当時この病気(AS)を正確に診断し、 きちんと対応してくれる医療機関はあまり無かったようでした。

 教授を筆頭に沢山の人が診察を見学に来られたりはありましたが、 結論的には、「また何かあったら受診されてください。」 ということが多かったようでした。 その反対に、さしたる診察もせず、 「これは手術しましょう、帰りに入院の手続き、 打ち合わせをしていって下さい。」と突然言われ、 慌てて退散した大学病院等もありましたが…。


 「どうにもならんみたいやなぁ… 身体はなるべく動かした方がいいみたいだけど、 温水プールに毎日入る時間はないし、 風呂とたまの温泉でいくしかないか? どうせ治らんのなら、内部に沈潜して縮こまっていたら余計に悪くなるし、 思いっきり笑い飛ばして楽しくいくしかないか…。 つかず離れず、痛み対策にだけ医者を利用して、後は自力更生、 自分が主治医でいくしかないか…」というようなところが、 自分なりのまとめとなっていきました。 (世の流行に先駆けることかなり早い時期に、 既にごく自然に緩和ケアーを取り入れていたのです!? と言うのは自画自賛ですが!?)


 かなり以前の「らくちん」に、 関西支部のN副会長が御尊父の生き方に関連して、 父の病気に対する姿勢は常に「自分ありき」であったというようなことを 哀惜の念とともに書かれていたことがありました。

 この言葉しか記憶しておりませんが、その時、 「そうだよなぁ、それしかないよなぁ」 と相づちを打ったことを覚えております。 自分に都合良く捉えただけなのですが 「ASになったのも自分、ASと折り合いをつけながら生きていくのも自分、 自分のASを生きていくしかない」と思ったのでした。


 九州の片隅で孤軍奮闘、呻吟(?)していた私にも、 幸運にも「AS友の会」との出合いがあり、 ようやく木漏れ日が差してきた感じでした。

 先日亡くなられたロック歌手の忌野清志郎さんが、 いつも「愛し合ってるかい、ひとりじゃないぜ、 仲間がいるぜぇ…」とシャウトしていましたが、 私にとっては、「どうだい、痛みはあるかい、 ひとりじゃねえぜ、AS仲間が居るぜぇ…」 という仲間の声があちこちから聞こえてくるような感じがしたものでした。

 そういう中で、田中会長の壮絶な闘病の歴史にも少し触れさせていただきました。 重いASを抱えながら診療に明け暮れる井上医師(事務局長)の闘いもあります。 元来イメージが貧困な私などは、 自分自身が生きてきたささやかな限られた範囲でしか中々イメージを膨らませ、 想像を逞しくすることができません。

 自分自身のASと向き合い折り合いをつけるだけで精一杯です。 ひとりひとりがそれぞれのASを生きていくわけですが、 それぞれに違う、ただひとりとして同じものがない、 その違いにどこまで思いをいたせるか、 その違いにどこまでイメージをふくらませられるか、 「みんな違ってみんないい」をかけ声だけには終わらせたくないものです。

  想像してみてごらん
  天国なんて無いんだ、地獄なんて無いんだ
  ただ空が広がっているだけさ、簡単なことさ
  みんなが今を生きているんだ

             ジョン・レノン(高木善之訳)


 急性骨髄性白血病で亡くなられた本田美奈子さんがその闘病生活の中で、 「人の痛み、苦しみを分かるようになるために、 今この痛みがあると思うのでがんばらなくっちゃ…」 というようなことを言われてました。

 私などはなかなかその域までにはたどり着けないのですが、 思いを巡らせる、 次々にイメージを膨らませていくというのはそういうことなのかも知れません。


 長い塀の内での子どもたちとの暮らしの中で、 ひとつだけ気づいたというか思ったことがありました。 そんな目新しいことではない、極々人の世に当たり前のことなのですが、 周りに責任を転嫁する、自分以外のところに原因を求めようとする限りは、 新しいスタート、初めの一歩は絶対に踏み出せないということです。

 少年たちには、「問題群別指導」を初め多種多様、 実に様々な教育プログラムが小まめに緻密に用意され提供されるのですが、 とどのつまりは「砂場の宝探し」みたいなもので、 少年たち一人一人が、 「違うな、俺が悪いんじゃ、周りのせいじゃない、俺が馬鹿やった」 と思わない限りは、どんな高尚な理論、 理屈も何の足しにもならないという思いでした。

 十人十色、百人百色なので、何がどう作用するか等と言うことは、 到底分かりません。 唯々ふと「この結果は誰のせいでもない、自分が選択したんだ」と思えたとき、 新たなステップが踏み出されるようなのです。 自分が生きてきたわずかな時間と ささやかな世界の中でイメージせねばなりませんから、 これもまた中々に大変な作業ではありますが…。


 前回号の「らくちん」にM副会長が、 「友の会の集まりに感じる空気の柔らかさ、 理解されにくい痛みに練られた優しさ・‥」 と書かれていました。 人を妬まず人を羨まず、 あるがままのASを受け入れ引き受けていこうとする、 そしてその彼方に光を、 希望を見い出そうとされるしなやかな心には、 ASの方から優しく寄り添ってくれるようになるのかも知れません。

 河島英吾さんが言われているとおり、 誰もが、人生「旅的途上」です。


不屈の精神持てこの土壌に学べ!!

不屈の精神持て我がASに学べ!!



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