「転ばぬさきの杖」とは言うけれど



日本AS友の会会長  田中 健治


 今年、平成17年3月12、13日、兵庫県姫路市の私立体育館において、 「ジャパンカップ障害者卓球選手権」が開催され、リフト付きバスでの 遠征でしたから、和歌山県障害者スポーツ協会の卓球部会会長として、 マネージャーを務める妻と共にチームに同行いたしました。

 姫路と聞けば、まず姫路城が浮かびます。確かに白鷺城ともよばれる その美しさと堅牢さは、他に比類無き名城中の名城に違いありません。
 がしかし、私にとってはもうひとつ、友の会の会員であるHさんが 居住しておられる地域として今回の遠征を前年から楽しみにしておりました。

 Hさんは、友の会の古くからの会員さんで、大阪労災病院では、 現在クリニックを開業しておられる辻本医師にみてもらっていた方です。
 脊椎の強直はあるものの、股関節の動きは比較的スムーズでしたが、 以前はひどい貧血と手の痺れに悩まされて、会報らくちんには 「風邪は万病の元」としうタイトルで寄稿されたこともありました。
 お仕事はコンビニエンスストア自営で、ご夫婦で夜遅くまで忙しく 立ち働いておられます。


 早い時期から電話で連絡を取り合い、携帯の番号を交換して、 ホテルではミーティングなどで、ゆっくりお目にかかれる時間が 取れないと思い、体育館で会う約束を交わしました。
 会場であれば、多分岡山から友の会会員のM.Hさんも選手で 来ていると思うので、ぜひ引き合わせたいとも考えておりました。


 3月、いよいよ大会が近づいてきて、翌朝出発というその 前夜のことです。
 珍しいことに、H夫人から電話が入りました。
 なんとなく胸騒ぎを覚えながら受話器にしがみつきますと、 「あのぉ〜、主人がインフルエンザで1週間ほど寝込んでいた んですが、漸く治りましてね、喜んでした矢先、 階段から転げ落ちましてねぇ。
 病み上がりで、ふら〜っとしたんでしょうか、鎖骨と肩甲骨を 骨折いたしまして。それで、実は今日、手術したんです」。

 驚きました。なにかあるとは感じていたものの、まさか… 「で、うまくいったんですか?」
 「はい、お陰様で。それでですね、主人が田中さんに 必ず電話しといてほしい、というものですから。 あれほど楽しみにしていましたのにねぇ」と。

 入院先は姫路城近くの国立姫路病院とわかりましたから、 どうにか時間を作ってお見舞いに行けないかと考えました。
 がしかし、知らない土地で、とても電動車椅子で走れる 距離ではないし、さりとてリフト付きタクシーの手配も ままならず、結局、大会二日目の日曜日に、 携帯電話でHさんとお話を交わしたことだけが せめてものお見舞いということになってしまいました。

 「昨日は、術後で痛くって弱っていましたが、 注射をしてもらって、今日は見違えるように楽になりましたと、 さっきも看護師さんにいっていたとこなんです」と、 電話の声も徐々に力強くなってきて、「なんか、フラ〜っとして、 転げ落ちたんですが、左鎖骨は折れて突き出していましたね。 左肩甲骨も骨折して、あとは、打撲だけですみましたが。 参りましたわ、アハハハハ」。

 「それだけですんで、奇跡的ですよ」
 「ほんとですねぇ。私もそう思います」
 「ところでHさん、もう10何年も以前に、階段に手すりを つけてくださいってお話ししたこと、覚えておられますか?」
 「よく覚えています」
 「で?つけていなかった」
 「そう、手すりをつけていませんでしたね。 つい、1ヶ月前にも、息子に言われたんですよ。 手すりつけへんか?ってね。
 転ばぬさきの杖っていうか、老いては子に従えっていうのか、 平気、平気って自分は大丈夫やって思ってましたわ」

 ハハハハと照れ笑いのご様子でしたが、事故から約2ヶ月 近く経った5月の初め、漸く丈夫な手すりが完成。 今は動きにくくなった腕のリハビリに励んでおられます。


 転倒ということに関しては、わたしにも苦い経験があり、 頭を強打して2度も救急車で運ばれました。松葉杖をついていた 頃のことですが、後で考えるとちょっと気をつければ事故に ならなかったのに、と思えることばかりで、まさに、 文字どおり頭を打たなきゃわからないっていうことなんでしょうか。
 Hさんは無事であったからいいものの、つり好きの会員さん でしたが、以前、つり宿の階段から転げ落ちて亡くなった方も おられますし、元気でいればいるほど、 強直している身体のことを忘れがちになってしまいます。


 昨年7月初旬のことです。知的発達障害者のスポーツの祭典、 スペシャルオリンピックス冬季大会が2005年2月に長野県で 開催され、その説明会が、和歌山YMCA会館で開かれました。
 ケネディーアメリカ元大統領の妹さんが、知的障害者だったそうで、 ケネディー家の庭に100名ほどの知的障害者のスポーツ愛好家を 招いて運動会を開催したことがきっかけで、ケネディー財団の 支援を受けて世界大会へと発展を遂げました。

 その日は、結構忙しい日で、18時30分からの説明会出席のため、 リフトタクシーを18時で予約してあり、バタバタと用事を片付けて、 表に出て待っていました。ところが、予約時間を5分過ぎても 10分経過しても、来る気配が無く、電話をかけてみますと、 何と予約係のミスで、この日に限ってドライバーとの スケジュール調整に不備が発生しており、申し訳ないが 更に20分ほど待ってくださいといいます。

 説明会の係には事情を伝えて、遅刻すると連絡しましたが、 待つことかなり、代わりのドライバーを系列の 介護支援事務所からまわしますと連絡があり、 やがて、汗をたらたら流しながら初めて出会うドライバーが 大慌てで到着して、わたしも、大急ぎで電動車椅子を 動かし、リフトに乗りました。

 リフトタクシー(福祉タクシー)はハイエースタイプの 車を改造したもので、リフトを降ろし、車椅子を乗せて 持ち上げ、そのまま車中へプレートをスライドして 運び込むようになっています。
 プレートはそのまま閉じられて車の床になる仕組みです。

 で、わたしはいつもの手順通り、ガタンと音を立てて リフトのプレートが停まると同時に、何のためらいも無く レバーを前へ倒し、前部シートにくっつく位置まで、 前進させました。
 とその途端、「ドーン!!」と、凄まじい音が響き、 わたしは頭から床に叩きつけられておりました。 妻は絶叫し、所用で来ていた友人とともに 車内に飛び込んできました。
 近所の人たちも音に驚いて顔を出し、 わたしは何が起こったのか、皆目わからず、 そっと目を動かしますと、飛び込んできたのは、 車椅子の前輪が深さ10センチほどの溝に落ち込んで グニャっと横にゆがんだ姿でした。

 訳がわからない。なぜ、溝があるんだ。
 ドライバーは呆然と立ち尽くしています。
 ぼんやりと不可解な事実がわかり始め、 プレートが十分に閉じきっていなかった。それで溝が出来た。
 そうとは知らず前進したために、前輪が落ち、 反動で両足の無いわたしは前へ飛ばされた。

 私のことを知らないドライバーはわたしが 一人で前へ進むなんてことは考えもしなかった。 それにしても、なぜ、閉じ切っていないのに、 プレートが停まったのか。
 様々なことが一瞬の間に交錯しましたが、 とにかく私を家の中に運ばなくてはということで、 妻と友人とで、まず、車椅子を引っ張り上げ、 わたしを二人で抱え上げて、ベッドに戻りました。

 説明会のほうには事情を話してキャンセルで 了解してもらい、左側頭部が腫れてきたのと、 頭痛が激しくなったので、冷やしておりました。
 その後、1週間が経過して日赤でCT検査を うけましたが、幸い頭に異常はみつからず、 思いがけない腕とか右臀部などに打撲の痣が 鮮やかについていることが判明いたしました。

 後日、いつも世話になっていて、事故当日は 非番だったドライバーが驚いて言うには、 途中で停止することは考えられませんが、と。
 まったく、悪いときには不手際が重なって、 何が起こるかわかりません。腹部に巻いていた シートベルトを肩口から斜めに変え、 途中でパンクすればどうにもならないので、 タイヤも少々の穴は自動的にふさぐタイプに 取り替えました。


 私の中には、極端に怖じ気づく私と、 泰然として事に当たる私と、 向こう見ずに突っ走る私が同居しています。
 うまくバランスが取れるといいのですが、 何時もいつもうまくいくとは限りません。
 身体のケアを含め、まさに、「転ばぬさきの杖」 とはいうけれど、の心境を、たえず味わっています。


 今年4月からの役員人事ですが、 役員名簿に記載のとおり、大幅に動かしました。 これも、いうなれば友の会が転ばないための決断であります。
 どうがよろしく皆様のご協力を賜りますよう、 伏してお願いいたします。


 日本AS友の会は、設立趣旨である、 病因究明や個々の正しい病気認識と理解、治療法の開発、 福利厚生の確立、ASに対する社会認識の向上、 等を図るといったこと全てを含めて、ひと口でいうならば、 基本的には「生きる勇気と希望をつなぐ会」であります。

 近頃、総会も回を重ねるごとに、ご家族や小さい子どもさん ぐるみの出席がふえて、大変ほほえましい光景が目立ちます。
 子どもは希望、そして、未来であります。
 中には、自分自身に置き換えて、 帰宅してから一層さびしいお気持ちに駆り立てられる方も おられるかもしれません。

 わたしは、20歳のころ、どこからか聞こえてきた ひとつの短い詩が気に入って、そのような時、 繰り返し繰り返し深く味わっておりますが、 (確か「らくちん」創刊号だったかの表紙裏にも書きましたが) もう一度書いて、この稿の締めくくりにしたいと思います。


 憧れは てのひらの上の
         ギヤマンの玉なるや・・・
 たとえ 地に墜ちて砕くとも
 憧れは まだ てのひらの 上にあり



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