らくちん第10号

「9月からきょうまで」


日本AS友の会会長 田中 健治

 “継続は力なり”とはよく言ったもので、一年に一回の定期総会も回を重ねる毎に、その年度の特長が顕著に表れて、第7回の東京では『家族』、第8回の大阪は『友好』というように、あとから名称が付けられるほど毎回々々趣を持つようになって参りました。
 昨年9月の第8回総会も、前回に引き続き、ホテルと会場の一体化で開催いたしましたが、ゆっくり出来て、こころゆくまで久々の邂逅を楽しめる雰囲気と解放感を味わえる安らぎの場となりました。ここまで成長した日本AS友の会としては、今後も継続して行きたいスタイルかなと考えております。
 平成3年2月25日、ドラマチックな形でスタ−トした友の会ですが、その年の秋の第一回総会時に作成された基礎作りを標榜した「友の会規約」から、大きく飛躍した「会則」が今総会の承認を受け、その会則に基づいた会長選挙で、不肖私がもう一期、会長を務めさせていただくことになりました。
 体力的にかなりくたびれて弱ってきている点が何とも心もとないところではありますが、その分、皆様のお力をお借りしてと頼りにさせていただきますので、ご協力の程、よろしくお願い申し上げます。
 どのような会でも同様ですが、いくらスタッフの頭数が揃っていても、出来る人のところへは幾つもの所用が折り重なって行くものです。皆さん身体的な苦痛をカバ−しながら生計を立てている本業のお仕事の上、なおかつこのようなボランティア活動に関わって下さるわけですから、その労力なるや並大抵のものではありません。ちょっと行き過ぎると体調を崩し、病状を悪化させてしまいます。
 ASの病状変化に加えて、気づかないうちに忍び寄る加齢的な問題もあり、突然機能が停止してしまうことも十分心得て、体力維持・自己管理を考えてゆかねばならないでしょう。
 総会終了後、N副会長がVTR編集を終えてF委員に手渡し、F委員はM(新)副会長からの書記メモを参考にしながらVTRからテ−プを起こし、途中、木彫りの作品展出品もからんで右腕が炎症を起こして使えなくなり、東京へ転送。四度目のブドウ膜炎に苦しんでいた井上事務局長が、ほかの原稿と併せて校正してワ−プロに打ち込み、和歌山の私(田中)へ転送。当方で印刷所スタッフと仕上げの作業に入る矢先、私が1000ccの吐血で緊急長期入院。「らくちん10号」は大幅に発行が遅れてしまいました。

 以上なようなてんやわんやの中、12月21日、友の会設立当初からのメンバ−で監事だったSさんが、一晩の緊急入院で急逝。片腎の機能が停止していたものの、9月の総会では元気だったし、本当の死因も不明で、何とも割り切れないショックでした。葬儀には、関東在住の役員さんたち(井上夫妻、N氏、A氏、S氏)が参列。久々の顔合わせとなってわけで、このことがきっかけで今後の関東支部の活動が活性化すれば、故Sさんへの最高の餞(はなむけ)になるのではなかろうかと思っています。
 何はともあれ、新しくステップアップした日本AS友の会の幕開けは、こうした苦しみの中から第一歩を踏み出そうとしています。

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