らくちん第9号

人が人を愛することの尊さ


日本AS友の会会長 田中 健治

 昨年7月1日、ふらりと来宅した友人が「まだあれから一回も外へ出ていないでしょう。一度外出して、トレーニングしておかんと、あかんのとちがいますか」と言って、ライトバンの後部座席を倒してマットを敷き、私を寝かせて、付近の海岸沿いをドライブしてくれました。
 これが、1月から寝たきり状態だった私の、活動再開の第一歩になったわけで、まことに友情とは有難いものであります。 今にして思えば、特注のリクライニング式車いすに座りっきりだったとはいえ、9月の定期総会へ、まさか出席できようとは、あまりにも無謀なことで信じ難いことであり、どれだけ多くの御手を拝借し、煩わせたことであろうかと、思わず頭(こうべ)を垂れ、敬虔な気持に迫られてしまいます。
 総会で、大勢の会友と出会い、ご家族の暖かさやご苦労に触れてみて、苦しさやつらさにめげないで、皆さんが夫々にどれほど工夫を凝らして日常生活を有意義に過しておられるか、そのお姿を目のあたりにしたとき、何か眩しいような、神々しさすら感じておりました。
 物凄い痛みを軽くさらりと表現したり、ほんの小さな喜びを大きな幸せと感じ取られる感性の豊かさは、どうやら皆さんに共通した生きざまの様に思われます。 しかも、おそらくこの総会に出てこられた方々の大半はギリギリのラインで出席されたのではないだろうか、帰宅された途端に、どっと疲れが押し寄せてくるんじゃあないかなと思ったりもします。 しかし出席したくても、どうしても出てこれない方々も大勢おられます。 その方々も、いつかはきっと何らかの機会に相見(あいまみ)えて、共に肩を抱き合える日が必ず来ると私は信じております。
 日本AS友の会では、会報「らくちん」の他に、気楽な気分の「友の会だより」を発行。 更にこれからは色々な事業を企画して、出会いの場を幅広く設定していきたいと考えています。
 ある小学校の出来事ですが、家庭教育の悪さなのか環境の影響なのでしょうか、気性は可愛いのに、学校という団体生活に馴染めない児童がひとり居りました。 乱暴を振るうということは無かったらしいですが、授業中に突然奇声を発したり、断りもなしにトイレヘ出て行ったりして、それが学習の妨げになるということで、とうとう父兄会が招集されて結論を出すことになってしまいました。 その時のことです。 Aという児童が立上って、きっぱりと自分はその子の味方であることを表明したのです。 A君の言い分はこうでした。 ボクがアトピーやとびひで、顔がクシャクシャになって、クラスの皆んなが、汚い汚いって言って、誰も近寄ってくれなかったとき、アイツだけは一緒に遊んでくれたんだ。 だからボクはいま、アイツの味方になる」
 この話をきいて、A君の両親と家族はよろこんでその児童の味方につき、次第にその輪は広まって、父兄会も問題を取り下げることにしたそうです。
 このお話も、私の近辺で実際に起ったことなのですが、人が人を愛することの、尊さということについて、また偉大さについて、近頃私は、しきりに考える様になりました。

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