らくちん第6号

「出会いのとき」


日本AS友の会会長 田中 健治

 昨年10月27日、東京で開催された「第5回定期総会」には、第3回総会の折に出席できなかった私も、今回は体力がいくらか回復したということもありましたが、何よりも多くの方のお力添えを頂戴して交通機関の不自由さがクリヤー出来、なんとか出席させていただけたことに、いいしれぬ感動と感謝を噛み締めたことでございました。
 総会は、出席者数の少なさが俄かには信じられないほど、充実した実り多い内容であっただけに、どうすればもっと多くの会員さんたちに出席していただけるのだろうかと、あれやこれや、もっぱら思案の昨今です。

 11月に入って、一本の電話が飛び込んできました。平成7年1月17日のあの阪神大震災で、倒壊した家屋の下敷きになり、かろうじて救出されたご婦人からでした。
 数年前から腰が痛く、神戸近辺の大病院を数ヶ所回ったけれど、いずれも椎間板ヘルニアと診断されて、手術を勧められていた矢先の大震災だったとのこと。それでも小学校での避難所生活では、水を運んだり、不自由な中で随分頑張ってこられたご様子でしたが、半年ほどたったあたりから首が痛みはじめて、いまは、堺市に就職していて難を免れた息子さんのアパートに、身を寄せておられるということでした。
 堺へ来て、すぐ近くの「大阪府立リハビリセンター病院」で診てもらったところ、椎間板ヘルニアではなく『強直性脊椎炎』と診断され、初めて聞く奇妙な病名に不安ばかりですっかり戸惑っていたところを、ひとりの親切な看護婦さんが「日本AS友の会の会長さんへ、お電話してごらんなさい」と勧めてくれたというお話でした。
 電話を通してだけの当て推量でしたが、少し元気を取り戻されたところで、同じ堺市内で開業されている辻本先生(友の会顧問医)を紹介させていただき、その結果、間違いなくASであると診断され、それ相応の投薬により、一時的にせよ、体の痛みは信じられないほど軽減して、すっかりお元気になられたようでした。
 この仲介をしてくださった看護婦さんは、おそらくAS友の会賛助会員のAさんだったのではなかろうかと思いますが、人と人との出会いの玄妙さ、つながりの貴さを、つくづく感じさせられた出来事でした。
 私たちは、このよに生を享けてより、数え切れないほど様々な出会いを経験いたしますが、こと人と人とに限ってみても、その『出会いのとき』の確かさは、寸分の狂いもなく訪れることを実感し得た今、これから先、そのひとつひとつを大切に重い、いい出会いを積重ねていきたいものと願っています。

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