〔寄稿〕

病と共存しつつ


埼玉  Y


 大学職員として30年近く勤務しておりました。 情報教育部門にて、仕事をしておりました際に、 背中や首に激痛を感じました。 整形外科等の受診をしましたが、 一般的な診断しかされずに、対症療法で様子見でした。 2003年春頃に、異動先の職場で首を痛め、 頚椎捻挫の診断され、労災認定されました。

 大学の名誉教授である義父が、 アルツハイマーに罹患しましたが、 パートナーや子どもの支援を受けられませんでした。 介護保険でのヘルパーの派遣等も、義父が拒否しました。

 教育研究では、義父を尊敬しておりました私と、 私の子息で、京都までの遠距離介護を開始しました。 (大学には介護制度がありましたが、 取得しやすい職場にはおりませんでしたので、 退職届けを提出しました。)


 義父の介護をしながら、ヘルパーの資格の習得に励み、 また、その他の福祉関係の資格を習得しました。 その後、パートナー(妻)が逆らったり、 否定したり等するため、 義父の暴力が出たために強制入院となりました。

 昇天し残務整理後の2005年6月に、 アルツハイマーの遠距離介護ストレスにより高血圧となり、 二週間の入院生活をしました。


 入院中に四肢の痺れと痛みを発症し、京都、東京、 長野への確定診断探しの旅が始まりました。 2006年9月長野にて、脊椎関節炎、二次性の線維筋病症との診断。 2007年8月長野の病院に入院し、薬合せを試みましたが、 副作用があり断念しました。


 2008年8月鹿児島大学付属病院にて、 T教授の和温療法をするために入院しました。 教授、スタッフ、支えてくださる皆様のおかげで、 副作用のない、私にあった治療となりました。

 一人での入院に際し、九州支部長のY様が、 見舞いにかけつけてくださいました。
 心強く、今でも感謝しております。


 それ以降は、さいたま市の病院と連携をとりながら、 長野の病院へ通院しております。 四肢の痺れと痛み、仙腸関節やアキレス膣の炎症や付着部炎、 関節の可動域も狭くなり、炎症もあり、生活の質は低下。 杖やストックを使い、転倒防止に努めています。

 クーラーで全身痛を発症しますので、 入院は個別管理出来る個室、日常の生活は、 クーラーのない町に移動しての生活を続け5年となりました。

 残存機能を使い、薬学部と歯学部にて、 医療コミュニケーション教育に関わり、 模擬患者活動をしております。

 また、埼玉県栗橋病院にて、医療市民マイスターとして、 患者さまのお困りごとの相談等の活動中です。


 7月20日より群馬県草津町にあるセカンドハウスにて 温泉療養中の身です。 療養生活のメモ帳も持参しておりません。 よって、詳細は、割愛させて頂きましたこと、ご容赦ねがいます。


 義父のアルツハイマーの遠距離介護に手を差し伸べたことにより、 大学人としてのプライドも、経済状況もかわり、 納得できない私が存在します。 ただ、私を支えてくださる医療スタッフ、 ボランティア仲間、患者会の皆さま、 子息に感謝しております。


♫ASではありませんが、現在は広義にとらえ、 患者会に所属させていただいております。



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