ゴスペル日記



NAOMI


 2004年2月29日。私は神奈川県平塚公民館大ホールの舞台に立っていた。 いよいよ150人の仲間と共に歌う初めてのゴスペルコンサートの開幕だ。

 私がゴスペルを習い始めたのは去年の1月のこと。娘、未久(みく)が 通う音楽教室に1枚のポスターが張ってあった。「ゴスペル教室開講。 無料体験レッスンに参加しませんか?」

 障害を抱えながらがむしゃらに子育てして5年が過ぎていた。 少し自分のために時間を使いたくなってきた頃だった。また、学生時代、 まだASの症状がほとんど出ていない時代に吹奏楽部で音楽漬けだった 日々がなつかしくなっていた頃でもあった。

 「また音楽をやりたい」
 でも、もうこの身体では楽器はムリ。「うた」はどうだろう? 経験はないけれどもしかしたらできるかもしれない。「体験レッスン」の ポスターの前でそんなことをグルグル考えていた。

 私らしく「とりあえずチャレンジ」精神にのっとり「体験」の日に レッスン室に足を踏み入れた。30代とおぼしき女性ばかり20人ほどがいた。 友人らしき人と談笑している人あれば私のようにポツンと手持ち無沙汰に 落ち着かない様子の人もいる。「みんなコーラスの経験があるのかなあ」 なんて、果たして見かけで判断できるわけ無い事をしょうもなく考えて いるうちに開始時刻。小柄でショートカットの丸顔の先生だ。若い……!。 「講師の三科かをりです。体験レッスンなのでとにかく歌っちゃい ましょう。曲は映画《天使にラブソングを》でも聞いたことあると 思いますが、《OH HAPPY DAY》です。繰り返しが多いので 初めてでも大丈夫。まずパートを分けましょう。高いのがソプラノ、 次に低いのがアルト、さらに低いのがテナーです。各自希望するパートに 分かれて下さい」

 このとき、むかし音楽の授業で低いパートのほうが歌いやすかったこと を思い出し、アルトパートに。そして、そのまま現在でもアルトにいる。 このとき、アルトを選んどいて良かった。この1年後、コンサートの ために、どんどん難曲を歌わねばならなくなった。とてもじゃないが ソプラノの高い音は、歌えない。

 譜面が配られた。ああ懐かしい五線譜。音符を見るとだんだん興奮して くる自分が感じられた。
 「それでは私が先に何小節か歌ったら後に続いて歌ってくださいね」
 先生は、電子ピアノに向かい、どんどん歌っていく。よくとおる 澄んだ声。後にいろいろ知ると、CDデビューもされ、NHKなどにも出演、 活躍中のソプラノボイスの先生だった。私たちも、あわてて先生に ついてゆく。

 「はい、いいですよ。がんばって」などの声に励まされみんなの声も だんだん大きくなっていく。
 「じゃあ、ソプラノとアルトであわせてみましょう」
 ちゃんとハモってる!
 なんと30分ほどで1曲終わってしまった。それなりにちゃんと和音に なっていたようだ。楽しかった。それが素直な感想だった。でも それこそが、音楽の原点だ。こうして私は、ゴスペルの第1歩を踏み出した。

 ゴスペルとは“GOD SPELL”神の声のことである。日本語では、 「福音」と訳されている。ブラックゴスペルミュージックの始まりは アフリカ大陸。300年程前奴隷として白人たちにアメリカに連れてこられた 黒人たちは、過酷な生活の中で見つけた望みが、神への信仰だった。 彼らは、白人たちの家から遠く離れた場所で、秘密に集まり、 神に祈り歌い、踊ったといわれている。見つかれば処罰が待っていた。 彼らはその危険の中でも集まり、神を信仰した。ゴスペルは苦難の歴史で 生まれた祈りの歌である。ゴスペルは、どんな苦難の中でも生きる希望を 失わず、生まれてきた喜びを感じて、生きていこうというエネルギーに 満ちている。だからこそ、それを聞く人々の心に、魂に迫る力を持って いるのだ。
 詩の内容は神への敬愛が多いがそればかりとも限らない。それは友情 だったり、恋人への愛だったりもする。またノリノリの曲ばかりでなく しっとりとバラードもある。歌い手もクリスチャン、ノンクリスチャン、 肌の色も問わない。自分が感じたように伝えたいように歌えばよい自由さ がある。

 育児は、ある意味孤独で単調な作業の繰り返しだ。結果はすぐには 出ない。他人にはあまり評価されない。常にこのやりかたで良いのかと 不安になる。そんな世界からほんの少しの間だけ抜け出せる月に2回の 90分。そんなレッスンを過ごしていたある日、先生からうれしいニュース。
 「自主コンサートをやることになりました」

 この音楽教室は全国に教室があり、ゴスペル講師も何人かいる。 そのうち三科先生に習っている「三科クラス」といわれる厚木・藤沢・ 平塚方面の生徒150人でコンサートを開くというもの。
 各地ちらばっているので150人での合同練習は不可能。リハーサルで 1回合わせるのみとなる。私の所属する○○○教室は開講してまだ1年。 他のクラスは3〜4年レッスンしているので実力の差が心配だ。 何より習った曲数が圧倒的に少ない。コンサートでは15曲歌うとのこと。 あと半年しかないのにまだその半分は知らない曲だ。 それからがたいへんだった。

 月に2回しかレッスンがないのでとにかくどんどんやっていくしかない。 詰め込む。詰め込む。皆それぞれ録音機を持参しレッスン内容を録音。 各自自宅練習の日々。歌詞を覚えるのが大変だ。全曲英語。ひたすら 聞いて覚えた。英語の歌詞を「見て」しまうと、どうしてもカタカナ英語 になるので、耳から覚えた方がいいのだ。
 それを証明したのが未久だ。テープに合わせて練習している私の横で、 折り紙を折りながら、ぬり絵をしながらいつのまにか鼻歌で歌って しまっている。う〜む恐るべし5歳児。ママも負けてなるものか。 お皿を洗いながら、洗濯物をたたみながら、わずかなひまを見つけては 再生ボタンを押し続けた。

 こうしてすぐに本番の日。当日は、2時間ほどのリハーサル。 立ちっぱなしで本番さながら。足が痛い……。すぐに着替えのため楽屋へ。 150人の楽屋はみな興奮気味のカオ、カオ。化粧直しにも余念がない。 近くにいた同じ教室の仲間たちと円陣を組んだ。
 「がんばろう!おー!」

 みんなでゾロゾロ舞台への階段を上がる。杖をついてゆっくりゆっくり 上がる私に後ろから「大丈夫ですか?お手伝いしましょうか?」と声を かけてくれる。そんな優しい気持ちに触れると緊張も少しほぐれてくる。
 今回いろいろな優しい場面に出会えた。ゴスペルは歌いながら足で ステップを踏み手拍子をする曲が多いので、杖が邪魔だ。舞台上に杖を 置く場所がなく困ったと思っていると、今日初めて会った隣にいた人が 助けてくれた。妊婦さんだ。もうかなりお腹が大きい。「私が拾います から」と床の隅に置いてくれた。
 歌は、妊婦さんも障害者も健常者も同じバリアフリーの世界。 ステップも手拍子も自分のできる範囲で良いのだ。

 本番の2時間は、あっという間に過ぎてしまった。700席の会場は、 立ち見もでるくらいの熱気に包まれた。お客さんも手拍子をしてくれて 楽しんでくれた。もちろん、私たちも!主人と未久も中央一番前の席で 応援。未久がしきりに手を振っている。私は、なるべく笑顔を絶やさず 歌うように心がけた。お客さんに「ゴスペル大好き!」という気持ちが 伝わるように。

 終演後に、AS友の会のSさんご夫妻がロビーで待っていてくださった。 実はこの2週間ほど前AS友の会関東支部交流会があり、そこでSさんが 音楽好きと伺い、むりやりコンサートにお誘いしたのだ。優しい笑顔で 「感動しましたよ。楽しかった」とおっしゃってくれた。
 また、受付にはIさんご夫妻から大きな花束が届けられていた。 みんなに感謝の気持ちで胸がいっぱいになる。
 大人になると人からほめられる事は少ない。舞台でスポットライトを 浴びることもそうあるものじゃない。今日は何もかも気持ちよいこと だらけだった。

 子供は親の姿を見て育つと言われている。ママの寝ている姿、 痛がっている姿を見せることが多い娘にも「ママもがんばっているな。 輝いているな」と思ってもらえたらうれしい。そしてそのうち大きく なった娘と一緒に歌えたら……。夢はどんどんふくらんでいく。


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