子供と一緒に育った私



M.O.


 長男が二年前の6月に結婚をして、振り返ってみて、子育ての悩み 等の原稿をMさんに頼まれ、思いを遠い昔に巡らせてみました。

 ASという病気をもらったのが、2人目の子供が生まれてから 数ヶ月後でした。お乳をあげながらの大学病院への往復2時間の通院、 ちなみに24歳の頃。

 上の子の幼稚園のお迎えまでには帰らないと……という気持ちは焦り、 自分の病気どころではありませんでした。今思うとよく出来たものだと 自分自身に「感心」してしまいます。でも子育てに無我夢中でしたから、 病名を告げられた時も、その後の辛い事もなんとか乗り切れてきた ような気がします。

 幼稚園での保護者の床掃除「ゲッ!拭けない」
 遠〜い公園への遠足「行けるだろうか?」
 運動会「体育座りができないじゃん!」
 「もう〜!」、でも子供は何も責めない。
 「ごめんね。こんなおかあさんで」


 上の子供が中学、下の子供が小学高学年の頃、自転車に乗れなく なってきた。いつもの夕方、マラソンをしてくるというので、 「危ないから自転車でついていってやる」とは言ったものの、 危ないのは自分だった。やっとのことでサドルに座り、ペダルを 漕ごうとしても股関節が硬くなっていて、うまく漕げない。 なんてことはない、結局は子供達に後ろを押してもらって帰る 羽目に……。出来ないことは、いくら頑張っても出来ないのだと 確信した日だった。

 毎日少しずつ進行するASの日々の中で、大人の私はなかなか 受け入れられずにいるのに、子供達はすんなりと(はっきりと聞いた わけではないから、心中は判らないいが)受け入れてしまう。

 早くに東京に出た息子は、私が駅の階段の多さに「また〜ぁ」と ふてくされていると、「おぶってやろうか?」と。8年以上も前の 事なのに、今でも嬉しく思う。でも実際には、股関節が硬くて、 おぶってもらうことなどできなかった。

 夫は「のろまだ。カメだ」なんて悪口ばかりなのに、なんて優しく 育ったのだろう。優しく育てようなんて努力も何もしてないのに、 いやはや儲かった気分だ。

 娘も、私の手を引きながら歩んでくれる。毎日の生活の中の、 自分ではできなくなった色々なことを頼むとけっして嫌とは言わない。 何故なんだろう。不思議に思う。私が怖いのだろうか、それとも かわいそうなのだろうか。う〜ん実に感心してしまう。私なら 「え〜やだ、めんどうくさい」なんてたぶん言うだろう。なんて やな奴なんだろう、私って。そんなこんなでASの中での子育ては、 大それた事もせず、子供たちに助けられ過ぎたのだろう。本当は 毎日痛くて辛くて死にたいと思う事だってあるのに、子供たちの 一生に、自殺をした親という荷物を背負わすことができなくて、 なんとかがんばって生きている気がする(自分勝手な考え)。

 こんなに迷惑をかけているのに、この先どんなに迷惑をかける のだろうと心苦しくなってしまう。私のように、自分の親に意地悪を したり、言ったりしない2人の子供達を感心したり、見習わなければ ならないと思うが……なかなかだ。子供達が独立をしていくこの時期を いい機会に、自分のそういうくだらない部分を少しでも排除し、 少人数でもいいからこんな私を少しでも愛してくれる人達と仲良くし、 私も与えられるばかりではなく、何か与えられるよう努力をして行こう と思う。

 先日、TVでいい言葉を教えていたのでメモをしておいた。 その言葉とは、『福不可量』と書いて「幸福とは量ることはできない」 という意味なのだそうだ。なるほどそうかもしれない。自分の身の丈に 合った幸福に満足できなければ、つまらない人生になってしまう。 考えてみれば、こんなくだらない自分を支え育ててくれたのは、回りの 人達や子供達だったのだ。子供達を私が育ててきたようなつもりでいたが、 育てられたのは実は私自身だったのだ。ありがとう。そしてこれからも よろしく。

 最後にこんなにも自分の思っていたことを正直に書いていいのか、 ずいぶん迷ったけれど、なんだかけっこうすっきりしてしまった。 これを機会に、口先だけでなく、何とか自分を磨かねばと奮い立てている。 皆さんに嫌われぬように。


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