シルクロードを旅して



H.M.


 9月12日より18日まで、中国の西果ての地、新疆ウイグル自治区への 旅に行って来ました。実は、昨年9月末に、この旅行を予定していたの ですが、例の9月1日のテロ事件の発生にともない、アフガニスタンに 隣接する地域ということで、一週間前に中止になってしまいました。


 今回の旅行は、日中国交正常化30周年記念ということで、羽田から ウルムチまで直行のチャーター便で約8時間のフライトでした。 ウルムチからバスで3時間、トルファンへ。トルファンは海抜5,000m 級の天山山脈の麓にありながら、盆地の海抜は低く、市街地でも24m しかなく、大部分は岩山と砂漠であり、市の北側には東西に延々と屏風の ように火焔山が続いています。

 年間雨量は20m前後、真夏の火焔山の地表温度は80℃にもなると いうことです。私たちが訪れた時も、約40℃ありましたが、湿度が低い せいか、日本の暑さよりは楽でした。過酷な気象条件であっても、 天山山脈の地下水にも恵まれ、ブドウや瓜などの栽培に適し、鮮やかな 緑に溢れていました。


 交河故城や高昌故城は、この地がシルクロードの要衡の地であった ために争いの舞台にもなったようです。高昌故城ではロバ車に乗って 城内へ行くのですが、ロバ車には、走りながらウイグル族の少年が みやげ物を売りに来ますが、「日本人友達」と言いながら寄ってくる 人懐っこく、したたかな子供たちもそんな気候風土のせいでしょうか。


 ベゼクリク千仏洞は火焔山の山中にあり、ムルトウク河の西岸の 断崖にある石窟で、高昌王国と天山ウイグル王国の仏教徒によって 6〜14世紀に作られた石窟ですが、その大半は、14世紀のはじめに 偶像崇拝をを禁止するイスラム教に改宗したウイグル族によって 破壊されたり、近代の各国の探検家によって持ち去られたりして いました。

 こんなところにも仏教とイスラム教の対立があり、隣接する中東には イスラム教とキリスト教の対立があり、シルクロードというロマンチック な響きとは異なることを感じました。


 夜、ウルムチから空路2時間、中国最西端の町カシュガルへ。 明日は万年雪を頂いた700m級の高峰を背にした紺碧の湖、カラクリ湖へ。 高山病に備えて、念のため酸素袋を15元(約2,000円)で予約する。


 今日は、バスで片道200kmの旅のため、7時朝食、まだ真っ暗ななかを 8時に出発。言うのが遅くなりましたが、中国と日本の時差は1時間ですが、 広大な中国々内の時差はないため、ここでの日本との時差は3時間位 あります。ですから、こちらの午前7時は日本の午前4時頃になります。 その代わり夜は9時頃まで明るく、街も賑わっています。1時間程走って、 すこし明るくなって来た町外れの村で最初のトイレストップ。ここから 先にはトイレは無いとのことで、以後は青空の下のみ。


 村を出て、南下しながら高度を上げていくと、パミール高原に入り、 徐々に山の景色が美しくなるのに比例して、道は悪くなってくる。 この道路はパキスタンに通ずる「中パ公路」と呼ばれ、かつて玄奘三蔵 がインドへの求法の旅に際し、帰路に利用した道であり、今では パキスタンへの物資を満載したトラックも走っていて、道路は舗装されて いますが、雨等により岩山が崩れ、その脇の凸凹の砂利道へ追いやられて しまいます。1ヶ月前に通れた道も通れないこともあり、道路工事は あちこちでしているのですが、いたちごっこのようです。


 中パ公路の景観もコングール山の美しい雪山を背景に砂漠あり、 オアシスあり、渓谷あり、緑の牧草地ありと見飽きることがありません。 午後2時に目的地のカラクリ湖に到着。現地のガイドが言うには、 こんなに良い天気に恵まれるとは運が良いと言われるだけのことはある 標高3,600mから見るパミールの高峰「コングール」(7,700m)と 「ムスターグ・アタ」(7,500m)は6時間の悪路との闘いの疲れを 癒すのに充分過ぎるものでした。

 窓外の景色を見ながら遅めの昼食を取る。午後3時半帰路につく。 カラクリ湖にいる時に頭痛がしたので、風邪でも引いたかなと思いながら も、せっかく買ったご馳走を食べないことはないと思い、酸素を鼻から 吸入する。高度が下がるにともなって頭痛もおさまる。やはり高山病だった のか。もちろん、ホテル着は午後9時である。


 今日は、カシュガルの市内観光のため、少しゆったりとした時間に 朝食をとる。カシュガルは古くから中近東や天竺に通じる通商の町として 栄え、現在はウイグル族の町、イスラムの香りを濃く漂わせる町である。 カシュガルの人口の93%はウイグル族を中心とする少数民族が占める。

 町には、中近東風の音楽が流れ、ドッパと呼ばれる刺繍を施した四角い 帽子をかぶり髭をたくわえた男たち、矢がすりの民族模様のワンピースを 着た女たちが行き交い、露天の店では、ナンやシシカバブーが売られている。 ここが中国なのだろうかと思わせる最果ての町である。しかし市の中心の 人民広場や毛沢東の像をみると、中国なのである。


 中国最大のイスラム教寺院でカシュガルのシンボルであるエイティガール 寺院を訪れる。モスクは本来、異教徒の立ち入りを禁止するが、観光名所 でもあるここでは礼拝の時間以外に見学出来る。寺院前の広場は普段でも 多くの人で賑わう。寺院の左側の通りを入って行くと職人街で、帽子、金属 アクセサリー、楽器、台所用金属製品を作りながら売っていて、庶民の イスラム文化に触れられる。


 夜11時、飛行機でカシュガルからウルムチへ。ウルムチのホテル着は 午前2時。相変わらずの強行スケジュール。ウルムチは天山山脈の北麗を 通る天山北路のオアシス都市として発達し、現在では、広大な中国の 6分の1を占める新疆ウイグル自治区の首都として、高層ビルの林立する 近代的な都市へと変貌しています。市内にある新疆ウイグル自治区博物館 では、4,000年前のミイラである「楼蘭の美女」に会うことが出来ました。 その姿はいまも眠っているようでした。


 ツアー最後の夕食、ウイグル料理とウイグル族の民族舞踊を楽しんだ後、 空港へ向かい、また、深夜発の全日空機に搭乗し、一路羽田へ。翌日午前 5時無事帰国する。



 今回の旅行は中国々内への旅行でしたが、昨年のテロ事件の背景等を 考えるうえでの勉強になりました。

 私は12年前に強直性脊椎炎による、左人工股関節の手術を受けています。 そのために空港のX線検査には必ずひっかかり不愉快な思いをします。 数年前までは、機械によってはセーフのこともありましたが、このごろは 機械の性能が良くなって、検査も厳しくなってきたこともあり、必ず反応 します。

 普通は、機械が作動すると、ボディチェックを受けて通過できたのですが、 カシュガルの空港では、ボデイチェックだけでは納得せず、警備員が手鏡の 形をした、検査機器を股関節部分に当てると作動するので納得せず、やむを 得ず携帯していた英文の診断書を提示して、通過しました。

 外国語を話せない私にとっては大いに役にたちました。これもパスポート と同様に大事なものです。検査機械や空港の警備員からみれば、人工関節も 凶器にみえるようです。しかし、私からみれば今回のような旅行を可能にして くれたのもこの金属なのです。何年か先に再手術をしなければならないかも 知れませんが、この金属を大事にしたいと思います。


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