無題


M.O.


 今朝の肉体はご機嫌が悪い。全身が鉛のように重い。両脚には、 ハリネブミのようにびっしりと刺が刺さったような痛みがある。 昨夜は、ボルタレンを2錠服用したが、効果がなく、痛くて寝不足だ。 睡眠薬も使ったが、3時間ほどしか眠れなかった。頚部と頭部全体が 痛くて頭の向きを変えてみる。動かすのも痛いから1センチ刻みだ。 右に左に慎重に動かす。手のひらほどの高さも微調整をする。痛みの ない姿勢を見つけることは出来ない。身を固くして耐える。ゼノール を頭部から首、両背に広範囲に塗る。メントールのスースー感で気を 紛らわせる。

 朝早く、5時に目が覚めてしまった。インダシンの座薬を入れる。 鎮痛効果はその時々によってバラつきがある。効くときもあれば、 全く効かないときもある。今朝のインダシンは薬効顕著で痛みが 軽減してウトウト眠ってしまった。昼頃にはすっかり痛みが軽減した。 めし屋の日替わりメニューどころか、朝昼晩の気紛れメニューである。

 痛みが軽減すると、今度は、気分のイライラが募り、我慢も限界だ。 我ながら自分自身を持て余す。気分を紛らわすために外に出掛けてみよう と思う。愛称、キャデラックに乗る。我が愛車はどんな高級車より ありがたい電動車イスである。

 刺激的な繁華街を目指す。途中で公園に寄ってみる。「メガネの オジチャン!」とご近所さんの女の子が声をかけてくれる。虹彩炎の 目には、いつも真っ黒なサングラスをかけている。昼間はもちろん、 夜もライトやネオンの光が辛いのだ。特に車のライトは、サングラスも 射抜く。我が手で目を覆って車の行き過ぎるのを待つ。女の子には サングラスを外して素顔になってご挨拶をして別れた。

 渋谷の繁華街はナンデモアリのファッションの洪水だ。コーヒー ショップの香りだけを御馳走になって通り過ぎる。
 青年たちの思い切りのパフォーマンス、楽器をかき鳴らして歌を唱う。 グループで茶髪のボロボロファッション、ルーズソックス、生き生き した青年たちはただそれだけで、うれしい気持ちにしてくれる。 つい我が青春時代と思い比べて羨ましく思う。天皇の赤子として殺す ために育てられた。50年前までの私の世代である。戦争遂行者を未だに 許すことは出来ない。仕事を始めてからは、夏休みになると田舎へ行く。 田舎での楽しみは焚き火と魚釣りだ。その日は、夕方から渚で渡り蟹の 釣りをした。30cmほどの落下傘状の網に蟹の餌になる魚の頭や腸を くくり付けて、波うち際に放り投げておく。十分も待てば蟹は網に足を 絡ませて身動きが出来なくなる。海の夜風は少し涼し過ぎる。焚き火を 始める。夜風の涼しさと焚き火の温もりの中で、子蟹の唐揚げを塩で 食べる。冷たいビールとあいまって美味さも上位であろうと思っている。


 焚き火の材料は、何故か枯れきった篠竹であった。東京の仲間は 焚き火が珍しく、顔を赤々火照らせて、篠竹を焚き火の真ん中に放り 込む。焚き火は瞬く間に大きくなってキャンプファイヤーのようだ。 仲良しグループとの至福の一時であった。

 が、その時、両眼に激痛が襲った。その激しい痛みはただごとでは ない。即座に車に乗って東京へ向かった。ビニールの袋に氷を詰めて 目玉を冷凍にするほど冷やし続けた。途中で氷を補給する。眼科の先生 は、それこそ一目診るなり『虹彩炎』と診断した。「脊椎炎からきて いるから完治はしない。日光に注意して定期的に受診をするように」 と言われた。短期間に3度も激痛にみまわれた。

 以来、真っ黒なレンズのサングラスを常時使っている。日光浴はする が日光は見ない。部屋のカーテンは閉めたままで、モグラの生活だ。
 天井の蛍光灯は3本のうち2本に減らした。これを心掛けてからの 虹彩炎は小康状態が続いている。

 ASの皆様には熱気や日光には、ご注意下さい。
 ご健勝を願ってやみません。


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