ASママの“らくちん”子育て日記   妊娠・出産編


NAOMI


 妊娠というと、どういうイメージが湧きますか?。 突然、口に手を当て洗面所に駆け込み、蛇口から流れる水の音を バックに、その前で鏡を見つめる女性……なんてことは全くなく、 市販の妊娠検査薬で、いともあっさりと判明したのでした。井上先生 にお電話したところ、すぐに紹介状を書いて下さいました。その前の 年に、人工関節置換手術をした順天堂浦安病院です。整形外科の先生 にも連絡して頂き、その時のレントゲン写真やデータなどを参考に 産婦人科の先生と相談してもらいました。それまで、ほとんど毎日 一錠服用していたロキソニン®をきっぱり中止。 お腹がどんどん大きくなると、その重さに股関節が耐えられるか 心配でしたが、結局はAS人生の中で体の調子が一番良い時期でした。

 出産までの痛み止めは必要ありませんでした。井上先生からは、 「リウマチ患者は妊娠中、体調が良くなるというデータがあるので、 ASも同じかもしれない」と伺っていたので、「その通りだなぁ」 というのが実感です。ということは、最近解禁された低用量ピルを 服用すればASの症状も少しは治まるのかな、なんてシロウト考えは、 先生の「うーん、たぶんダメ」の一言でトホホ。それに男の人は どうするの?。まぁ、それはとにかく、妊娠中の過ごし方は、AS だろうがなかろうがごく普通です。かえってASの方がいいかも……。 「走ってはいけません」「自転車はいけません」「重い物は 持たないように」。やれと言われてもできませんから。

 そんなわけで、私は良い妊婦だったと思います。初産で36歳という 高齢、おまけにAS。立派なリスク妊婦。妊娠中毒症の原因とされる 塩分の取り過ぎに気を使い、冷や奴にもお醤油をかけずに食べて しまいました。何と言っても大変だったのは、定期検診のための病院 通いです。前半は4週間に1回、後半になると2週間に1回、出産近く なると1週間に1回です。神奈川から千葉まで、主人に仕事を休んで もらい、車でたっぷり3時間。大病院の宿命か、また待ち時間が長い 長い。ASの私には背もたれが直角で低めのソファーに大きいお腹で ずーっと座っていることが、それだけで本当に疲れることでした。 終いにはクッション持参で横になって待っていました。杖をついて 産科の待合室をウロウロしている私を、結構みんなチロチロと見て いました。杖をついていようが車椅子に乗っていようが、みんな同じ 妊婦です。まず、同じ女性の偏見がなくなれば障害者夫婦ももっと 増えるのに。

 そうかと思えば、私が妊娠したことを喜んでくれた友人達もいます。 同じマンションに住む彼女たちは、私を除けば全員小さい子を持つ ママです。皆で、子供を遊ばせている時に、私が妊娠したことを話すと ポロポロ涙を流して喜んでくれ、しばらくみんなで泣いていると、 子供たちが心配そうに見たりしていました。つわりの時に、ごはんの おかずを持って来てくれたり、小さくなった洋服や育児グッズを貸して くれたり。たくさんの優しさを感じました。井上先生も心配して、 たびたび電話を下さいました。こうして大きなトラブルもなく順調に 過ぎました。

 最初から帝王切開が決まっていたので早めに入院。麻酔科の先生から は、私は脊椎の強直のために下半身の麻酔がかけられないので全身麻酔 になるとのこと、そのために赤ちゃんも眠って出てくるとのことなどの お話がありました。赤ちゃんに麻酔がかかってしまうなんてちょっと 怖い気がしましたが、仕方ありません。もうすでにASの母を持つ苦労 を背負って生まれてくるのだと申し訳ない気持ちです。そして、陣痛の 痛さも経験することなく出産となりました。出産日も、主治医と 「いつにしますか?」「じゃ、16日にお願いします。主人が休みの日 なので」「その日は、麻酔科が忙しいので17日でもいいですか?」 なんてやりとりで決まったのだから、いいかげんと言えばいいかげん です。だからよく雑誌に載っている「今月の星占い」なんて、やはり 当たらないのかも……。

 その前年の人工股関節手術の時は、病室で眠くなる薬を飲まされた ので、手術室に入る時にはウツラウツラと夢の中でしたが、今回は ぎりぎりまで麻酔をかけないということで、はっきりした意識でベッド ごと「中央手術室」の扉の中へ。「腕を通した浴衣を脱いで体にかけて くださいね」と言われながらふと見ると、手を振ってくれる看護婦さん が。整形外科に入院中にお世話になった方が、異動になって手術室に いたのです。知った顔に出会え、二言三言、言葉を交わし緊張が少し 緩みました。そのまままたゴロゴロとさらに奥の部屋へ。「ふーん、 こんなふうになっているのね」なんて動かない首でちょっと見たり して。

 例の大きなまん丸のライトの下に到着すると、井上先生の顔も見え ました。「がんばって」と声をかけられ、さらに安心。その他にも、 私の周りには目だけ出した手術着の先生方がすら〜。産科の主治医は 勿論、麻酔科の先生、人工股関節を入れて下さった整形外科の一青先生 まで。私と赤ちゃんのためにこんなにたくさんの方々が、本当に ありがたいことです。感慨に浸っている間もなく、両手を真横に縛られ 十字架にかけられたキリストのようです。いや、これから出産するなら 聖母マリアか?。なんて図々しくも考えていると、体にかけられていた 布がぱっとはがされました。「きゃー、私ってば、こんなところで スッポンポン。みんな見ているのに〜」と声をあげるわけにもいかず。 そのうちだれかが太股の内側をクリップのようなものではさんだので 「痛ぁ〜」と、これには声をあげました(あれは、いったい何のため?。 いまだにわかりません)。そのうち口をマスクでふさがれ、ミントの 香りがしてきたらもう眠ってしまいました。

 その次に気がついたのは井上先生の「女の子だよ。元気だよ」という お言葉。外で待っていた家族によると、赤ちゃんは泣いて手術室から 出てきたそうです。私に麻酔がかかると直ぐにお腹を切って取り出して くれたのです。静かに眠って生まれてくる子だと思っていたのに、元気 いっぱい泣いていたので、家族はみんな泣いてしまったそうです。 みんな涙、涙です。私がASになって子供なんて持てるはずがないと 思っていたのに、思いがけずこんな小さな赤ちゃんに対面できて うれしかったと後から言っていました。周りの人たちにいつも心配 かけるばかりの私でも、やっとちょっと恩返しができたかなという日 でした。

 そして私はというと、やはり涙でした。出産の感激に……ではなく、 出産後の子宮収縮の痛さに。陣痛を経験しなかった分まとめて来たと いう感じです。が、友達に言わせれば「陣痛なんてそんな甘いもん じゃないよ!」。スミマセン。手術室からまた「痛い」と言いながら 出てきた私に、主人がびっくりして「足が痛いのか?」「違う。 お腹、お腹が痛い」「なんだ。それならだいじょうぶだ」とあっさり。 しかし、結局一晩中眠れず。9ヶ月ぶりにロキソニン® のお世話になりました。平成10年6月17日。娘「未久(みく)」が 誕生しました。未来の「未」と井上先生のお名前を頂いて「久」。 こうしてASママと未久との試行錯誤の毎日がスタートしました。


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