S.M.(委員) とてもプライベートなことですので、田中会長ご夫妻の承諾を得て 書かせていただきました。書かずにはおられないような心境になって しまったというのが正直なところです。 第7回総会の終った次の日、私たち夫婦は会長ご夫妻といっしょに 過ごす時間をいただきました。その時のことです。 以前から電話でお話は伺っていたのですが、実際に見せていただくと、 そのたいへんさにたじろいでしまった私たちです。 36年くらい前に出来た小さな傷が、今では難治性下腿潰瘍になって 少しずつ広がってきていること、絶えずジンジンする痛みがあるのだが、 このごろ火ばしを当てたような、向こうずねがえぐられるような痛みが 出てきたこと(細菌検査をしてもマイナスとのこと)、看護婦さんも 腰がひけてしまう手当てを奥さまがずっとしていらっしゃること、 近頃、医者から足を切断する決心をせまられていること……、 お話には伺っていたのですが、会長がいつもにこやかでおだやかで、 また、たんたんとお話しをされるので、これほど大きな傷だという ことは想像できませんでした。傷はひざ下からくるぶしの下まで 皮膚の見えている所がなく、ひどいやけどを負ったような状態でした。 会長は、「ぼくには傷がまともに見えないからいいけど、家内は実際に 毎日見てるわけだから精神的にもつらいやろうなと思うよ」と。 傷の状態が悪い日は、手当てをしている家内の顔が違うんやなあ。 顔に出さんとこと思っているらしいんやけど、どうしても出てしまう んやろね。それで、あっやっぱり良くないんやなと、今の自分の足の 状態がわかってしまう。そんな時は確かに痛みも激しいんやけど。 そう話をするそばでテキパキと、奥さまが山ほどの滅菌ガーゼを ひろげて手当てをしていらっしゃる。消毒液はつけるのではない。 ドボドボと傷にかけてゆくのだ。みるみる消毒液は減ってゆき、 薬のチューブはやせていく。 会長が外出する時には、この山ほどのガーゼと消毒液、薬、 そして滅菌手袋はかかせないのです。これが荷物にするとかなり 大きいのです。 何か、お手伝いできたらしようと、そばにいた私たちは見ること 聞くことに、ただぼう然とするばかりでした。 以前、奥様が入院された時、会長は奥さまのベッドまで毎日 通って、同じベッドの上で、逆さに寝た恰好で奥さまに手当てを してもらったこと、奥さまは奥さまで、けんかをして家をとび 出しても傷の手当てのことが気にかかり、ぐるりと近所を歩いて 結局はすぐ帰ってきてしまったことが昔一度あったのよと、 笑いながらお話しして下さいました。そんなおふたりのやりとりを 聞いていて心があつくなった私たち夫婦です。 いろんな治療方法を試してみてこられましたが、一番効いたのは、 身体の調子が悪くて寝たきりの生活を余儀なくされた時に、傷の状態が よくなったそうです。絶対安静が最良の治療法なのでしょうが、 寝てばかりいると体全体の筋肉が落ちてしまうし、ASにとっては 動けなくなる恐れもあり、そうばかりはしておられません。 総会の時に、井上事務局長が、田中会長という尊敬できる人に 出会えてうれしいとおっしゃっていましたが、私も今回その思いを 強くしました。 あれだけ大きなたいへんな傷と痛みを抱えて、切断ということを 目の前にせまられながらも、おだやかに私たちの話を聞いて下さる 会長に対して、また奥様に対して、敬意を表さずにはいられません。 今回の総会が“家族と共に”という雰囲気でしたので、よけいに 会長ご夫妻のことが心にしみました。 何もできない私たち夫婦ですが、会長の足の傷が痛みませんように、 一日でも早くよくなりますようにお祈りしています。 会長ご夫妻に出会えたことに心より感謝しつつ書きました。 〔付記〕 田中 健治 昭和38年の夏、当時和歌山県の白浜にあった国立白浜温泉病院で リハビリに励んでいた頃、右足の向こう脛をヤブ蚊に刺され、そこを ズボンの上から松葉杖の先端ゴムの部分でひっ掻いて傷をつくって しまったのが難治性下腿潰瘍のそもそもの始まりでした。 左足は、昭和39年夏、股関節に人工骨頭を入れる手術を受けた際、 当時は腰までギプスを巻いたものですが、そのギプスの内側の突起で つけられた小さな傷跡が、数年後に、右と同じような部位の同じような 潰瘍に発展してしまったのです。その後、たび重なる感染と植皮の 繰り返しの中で社会復帰を果たせたことは、家族にも、医療スタッフにも 感謝しています。しかし、それでもなお現在、傷の状態は不安定で、 両足ともに膝下から足首まで全周にわたって皮膚がなく傷が露出している 状態です。 過去に一度だけ成功した血管造影で、強直している両股関節と 両膝関節の周辺の血管が極端に細くなっているがわかりました。 潰瘍(皮膚壊死)の原因として、これに由来する皮膚の血行(栄養) 障害も十二分に考えられますが、皮膚科のDr.に言わせれば、 そのほかにもインダシンその他の鎮痛剤の作用やASという疾患に 伴う免疫機能低下などの影響を考えられるということです。しかし、 阪大皮膚科へ入院中に、どこといった疾患は持ち合わせていない 30歳のご婦人が、やはり向こう脛の100円玉くらいの潰瘍が治らなくて 半年間入院されていた例もあり、難治性下腿潰瘍をASの合併症と 考えるのは、余りにも早計すぎると思います。 |