第6回ASIF会議に参加して(於・スロベニア)



 ASIF(Ankylosing Spondylitis International Federation)は、 ヨーロッパを中心に20数ヶ国が加盟している連盟で、2〜3年に1度、 持ち回りでCouncil meeting が開催されます。アメリカも一応加盟して いるのですが、彼ら独自に活発な活動を展開し(会長は女性で、大統領にも どんどん働きかけるほどの強者)、むしろヨーロッパ各国を傘下に 入れちまおうという勢いです。ここにもアメリカの体質が……。


 年会費や参加費は僅かで、会議の開催費用はほとんどが主催者持ち。 今回のスロベニアの会長は、ロータリークラブからかなり集金した そうです。そう言えば、スロベニアの会長は、職業がなんだかよく わからず、目つきがするどいので、ジョークで「マフィアのボス なんじゃないの?」と聞いたら返事しなかった。

 参加者は、必ずしも各国の患者会の会長という訳ではなく、 それぞれの国の患者会から費用を出してもらって正式な代表として 来ている国と、日本、つまり私のように個人的に参加している国が 半々のようでした。欧米におけるASの罹患率の高さから、 ほとんどの国の患者会は公的助成を受けているようで(リウマチ患者会の 支部となっている国もいくつか)、この点、我が「日本AS友の会」は 全くの独立採算制、その資金源は会員会費と寄付のみ…という厳しい状況で あります。

 厚生労働省への陳情はいろいろしてるものの、診断がつかずに 埋もれている患者も含め、なにしろ患者数が極端に少ない我が国の事情からは 仕方のないところでもあります。北欧や中欧のAS患者は毎年1〜2ヶ月間 スパに行って、全く無料でノンビリと運動療法を受けることが出来ると いう話に、いつも羨ましい思いをします(ただし、その分税金が高いが)。


 10月6日に成田を出発して、ウィーン経由で知人の住むザルツブルクへ。 10年前に初めて行った時のウィーン空港でのトランジットの際、 国内線乗り継ぎの入り口を間違えて酷い目に会った経験から、 今回は開き直って障害者として航空会社にエスコートを頼んだら、 これがまたラクチン!でした(スタッフは、多分一般のボランティア)。

 飛行機の降り口まで金髪の美人が出迎えてくれて(帰りは顔はコワイが 心はやさしいオジサンだった)、体内に3つの大きな金属を入れている私に とってはいつもストレスである金属探知機チェックも「ほとんど無し」 状態で、「入り口はどこだ、待合室はどこだ」などと、伸展できない首で 頭上の看板を見上げながらアタフタ歩き回るなどということは一切なく、 アッと言う間に目的地に到着。これはヨカッタ!、ラクだった!。


 3日間のザルツブルクの知人宅に滞在後(我が女房が日本の古典芸能に ついての実演を現地人相手にやるという大役を仰せつかりました)、 一緒に乗った身長2m揃いのスロベニアのバスケットボール選手団が 身体を「く」の字に曲げてやっと乗り込めるという45人乗りの プロペラ機で、スロベニアの首都リュブリアナへ。

 スロベニア共和国の表玄関、国内随一というリュブリアナ空港は、 日本の地方空港の趣、停っている飛行機は、アメリカやアラブの富豪の 自家用機じゃないか?と見紛おうほどの小さなものばかり。そして、 寒々と閑散とした空港でした。


 会議場となったホテルは、首都リュブリアナからさらに出迎えのバスで 2時間ほど行ったアドリア海に面したポルトロシェというリゾートにある ホテルで、部屋や会議室からはアドリア海が一望。


 会議は、10年前に初参加した時に比べ議論はかなり白熱。従って、 丁々発止とヨーロッパの代表と渡り合うという訳には行かず、オブザーバーの ように隅の方でジッと聞いておりました(と思ったら指定された席は中央。 もっとも日本はAS事情が違い過ぎて議論に参加できても大したことは 言えないが)。
 それでも、やっとalternative medicine(代替医療)の議題のところで、 いつも日本の患者会で話しているようなことを発言し、「参加した!」と いう証を残すことができました。終了後に、ポルトガルの代表が 「大変参考になる話だった、早速、会報に掲載する」と言ってくれました。

 ASに関しては未だ根治療法のない現在、欧米では、その副作用も含め 西洋医学的治療については、患者間では否定的な印象が強く、体操療法や 物理療法、そして鍼・灸も含めたいわゆるalternative medicineへの関心が 必然的に高くなっているようです。しかし、良さそうなんだが、どこから 入ったら良いのか、どういう受け方をしたら良いか、限界や副作用なども わからないし……といった疑問が強いようです。


 その他、最近の話題として、ASに対する抗TNFα療法(アメリカでは RAに認可、ASには治験中)、遺伝子解析(順天堂AS診でも進行中)や 免疫学的研究の目ざましい発展(でも未だ原因究明は先の先?)、それと、 発症の誘因として妊娠・分娩、外傷、激しいスポーツ活動が注目されています。 確かに、日本AS友の会会員に聞くと、多くが若い頃スボーツに熱中していた という人が多いようです。


 それから、脊椎の易損性に基づく脊椎圧迫骨折・脊髄損傷のケースが 増えているのは、どこも共通の問題で、我が国でも、交通事故の補償問題 (実は、私の今の本職)の際に「割合的因果関係論」とか「民法第722条 過失相殺(類推適用)」に基づく素因減額で問題になっていますし (同じ怪我をしてもbamboo spineのAS患者は賠償金が3割削られる… 最近の判例)、最近、AS診を受診していたAS患者さんが、人工股関節 置換術を受けてせっかく歩き回れるようになったのがアダとなり、 夜遊びをしているうちに、深夜自動車に跳ねられて脊髄損傷になったと いう身近で切実なケースもあります。

 AS患者にはムチウチはなく、即、頸椎脱臼骨折・頸髄損傷(四肢麻痺) です。とは言え、それが怖いからといって家の中に閉じこもっていては しょうがなく、これは個々の「人生観」ということになります。私は毎日、 自動車通勤、一般人よりもはるかに高い危険率の頸髄損傷と隣り合わせ ですが仕方ありません。


 その他、特に、今後の運営や方針、障害者行政への参画、ヨーロッパ・ リウマチ疾患の患者会連合との関連などに白熱したディスカッションは ありましたが、やはり、まだまだ「世界のAS患者同志の親睦」が主たる 目的という雰囲気で、会議は早々と切り上げ、世界第2位の規模という 鍾乳洞にエクスカーションに行ったり、民族レストランに行ったりで、 諸外国の同じAS患者達と情報交換をしながら飲んだり歌ったり……、 楽しくかつ有意義な時を過ごす事ができました。

 つい最近まで戦争をしていた旧ユーゴスラビアなので、出発前ちょっと 不安でしたが、一番北にあってオーストリアと接しているスロベニア共和国 は、旧ユーゴ時代、経済的にも資源的にも民族的にも一番安定していた 地域であったため、1991年の独立の際にはユーゴ軍の攻撃を受けたものの 用意周到で迎え撃ったため、僅か10日間の戦いでこれを撤退させたと 言う実力ある国です。

 日本に比べれば人々の生活は質素ですが、経済的にも世界の中で中等度の レベルと自負しているほどで(インターネットで調べたところ、国民一人 あたりのGDPは約9,000ドルで、メキシコやポーランドと同レベル、 因みにアメリカ、日本はほぼ同じで約34,000ドル)、安心して訪れることが できました。事前に安全に関して聞いたところ、スロベニア会長との間で 「日本人を喰ったのは20年前が最後だ」「んじゃ、醤油でも持って行くよ」 といったやりとりはありましたが……。

 終了後、チェコの代表でAS患者でもあるDr.と一緒に、これまた40人 乗りのプロペラ機でプラハに飛び、当日の夜はそのDr.宅を訪れ、奥様の チェコ料理に舌鼓を打ち、またチェコ名物のビールで喉を鳴らし、翌日から 2日間、先を急ぐ団体客をよそに、ノンビリとプラハ市内を観光をしました。


 チェコは、平均月収が4万円前後と、日本の10分の1以下で、西洋や アメリカで出すような我々の感覚でチップをあげると、おっそろしく喜んで もらえます(もっとも、共産圏の時代にはチップなどなかったので、 チップがもらえるだけでもオドロキの様子)。やはり共産圏時代の名残りか、 医師の収入は並以下、そして女医が多いそうです。

 貧しいと言えば貧しいのですが、人々の生活はまさしく「清貧の思想」、 自分達の歴史や建造物や芸術に誇りを持っており、特筆すべきは、多くの 人々が小さい頃からバイオリンの教育を受けていることです。多少オーバー なのでしょうが、町中を歩いている人、誰にでもバイオリンを渡せば、 すぐに弾ける……と言っていました。

 その割には、教会で行われたチェコフィルの演奏者の抜粋による室内楽の 演奏会は大したことなかったけど(観光客相手なので手抜き?。ひょんな コネからチェコフィルが来日する時にいつもついてくる通訳の女性と 食事しましたが、決して公表できない裏話が聞けておもしろかった)。


 先般の大洪水のために、地下鉄はまだ不通、その客が、市内を縦横無尽に 走るトラム、そしてバスに移動したので、日中、車内は大混雑。もの試しと、 夜間に乗ってみましたが,チェコ人に限らず欧米では普通のことですが、 私が杖をついて乗り込むと、必ずサッと席を譲ってくれる人がいるのには 感激します。

 プラハ市民がいつかは住みたいと憧れる市内の一等地、すなわち ヴルタヴァ川河畔はほとんどが水に漬かり、今でも通行・侵入禁止で 閉店状態が続く有名店もたくさんありました。あれだけの大洪水にも かかわらず、たとえばダムの放水時刻など事前情報がしっかりして いたために、死者はほとんど出なかったとのことです。


 プラハ市内では、私の青春時代の憧れだった「体操の花」、 東京オリンピックの女子器械体操金メダリストのベラ・チャスラフスカの 写真と(40歳以上の人しかご存じないでしょうが、今のサルのような 器械体操の女子選手とちがって当時の女子選手は実に色っぽかった)、 東京オリンピックの時に着たという和服を、何故か市内のボヘミンヤン グラス店で発見し、すぐさま記念撮影。

 彼女は、メキシコオリンピック後に結婚し、その後は、国民的英雄として 政治活動にも参画、「花」の名に恥じない華々しい人生を送っていたよう ですが、つい最近になってご主人を亡くされ、また息子さんがベラの父親 (つまりオジイサン)を殴って昏睡状態にしてしまったという事件が 重なって精神病院に入ってしまったという寂しい話を聞きました。

 中3の東京オリンピックの時に、試合のチケットが買えずに練習だけを 見に行ったところ、むしろ身近に接することができて感激した思い出が 蘇りました。そう、今の私の外見からは思いもつかないでしょうが、 青春時代は、なんとミュンヘンオリンピックを目指していた体操少年 だったのてす。


 因みに、中欧の若い女性は、肌が透き通るように白く、短髪が良く似合う キリッとした顔だちにスキッとしたプロポーションで、とにかく美人揃い。 それが30歳を過ぎる頃から、皆が皆、なぜかブクブクと太って来るぅ。


 その他、スロベニアといい、チェコといい、本土を侵略されたことのない 我々日本人にとって、侵略の歴史とも言える実に複雑な過去には、 驚かされました(本当は、話を聞いてもなかなかピンと来ないけど)。

 帰国日は、これまたプロペラ機でウィーンへ、その後、関西空港へ。 その足で、右股関節離断、左大腿骨切断の手術を受けて入院中の 日本AS友の会の田中会長を見舞った後、トンボ帰りで羽田に 帰ってきました。

 という訳で、毎日、英語、それに混ざってドイツ語、スロベニア語、 チェコ語のシャワー、毎夜、郷土料理に酒浸りではありましたが、実に 充実した楽しい旅ができました。こんな体験ができたのも、ひとえに ASになったお陰と感謝する次第です。次回はチェコのどこかのスパか、 イギリスのバースで開催される予定です。


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