第2回ASIF会議に出席して

事務局長 井上 久

 平成4年10月14日〜17日、ASIF(Ankylosing Spondylitis International Federation 強直性脊椎炎国際連盟)の第2回会議が オーストリアのバードガシュタインで開催され、日本からただ一人、 日本AS友の会(Japan Ankylosing Spondylitis Club: JASCとして 登録)を代表して出席して来ました。

 成田から約14時間の空の旅でオーストリアの首都ウィーンに着き、 そこから国内線で300km西の音楽と歴史の町ザルツブルクへ飛び、 さらに陸路を100kmほど南へ下り、2日がかりでやっとバードガシュタイン にたどり着きました。バードガシュタインは、地形だけなら関東地方の 渓流沿いの温泉町を思い起こさせる趣でしたが、町並みは日本のそれとは 大違いで、とにかく美しく静かなそしてのんびりとした町でした。 町をあげての歓迎で、バードガシュタイン駅を下りると、日本なら さしずめ「歓迎! ASIFご一行様」とでもいう垂れ幕が目に 飛び込んで釆ました。

 会場となったホテルEuropaischer Hofはバ−ドガシュタインで最も 大きなホテルであり、建物の周囲を参加国の国旗がはためき、玄関に 車が着くやいなやすぐに出迎えの紳士が寄って来て、なにやらVIPに なったような気分となり、想像していた以上に盛大な会であることに 驚かされたものです。

 ASIF加盟国の中で最も活発な活動をしているアメリカが、国内の 関連会議と重なったらしく欠席だったのは残念でしたが、ヨーロッパを 中心にカナダ、そしてアジアからの唯一の参加国日本を含め、参加国は 全部で17ヶ国、親睦ならびに観光目的で参加した各国の患者さんや その家族を含め、参加者総数は約70名でした。

 到着してすぐに登録後、荷物を解く間もなく歓迎レセプション パーティーに呼ばれ、翌日の第1日目は終日代表者会議、その間、 患者さんや家族は近くの山や渓谷へ小旅行、その夜は全員バスで 山の上のナイトレストランまで行って、日本ではなかなかお目に かかれない珍しい楽器チターの演奏を聴きながらの親睦パーティ、 第2日目は、朝の代表者会議の後、昼から町の公会堂に場所を移しての 学術講演会、その夜は、もうさよならダンスパーティー、そして 3日めの午前中はバードガシュタインの温泉治療施設の見学、 その後は呼び物である洞窟内ラドン蒸気浴治療を全員で実地体験し、 ホテルに帰り、最後の昼食会の後解散と、とにかく病人の会にしては 大変ハードなスケジュールでした。

 第1日目の代表者会議では、それほど重要な議題が討議された訳 ではなく、イギリス人のASIF会長ロジャース氏から前年度の活動・ 会計報告、その後は順に、それぞれの国の代表が、自国の友の会の紹介 や活動報告、ならびにASをとりまく事情についての説明を行い、 格別突っ込んだ議論もなく終始なごやかに終わりました。

 2日めの午前の代表者会議では、やはり会長から今後の活動計画 などについての話がありましたが、最後にスイスの若手の代表から、 「こんな内容に乏しい会議ではだめだ!」といったような発言があり、 少しだけ白熱を帯びた議論になりかかりましたが、重鎮たちがそれを なだめで大事なく終わってしまいました。私自身も、正直言って会議の 内容にはやや期待はずれでした。

 しかし、ASという病気そのものの性質もあるのでしょう、ASIF 全体として、たとえばWHOに積極的な働きかけをしようなどといった 計画がなされるような性格の会ではなさそうです。むしろ各国間の親睦、 そして情報交換、特に日本を含めたAS後進国がイギリスやアメリカ などの先進国から様々な情報を得るための良い機会であるというふうに 考えれば、それなりの成果は上がったとも言えます。スイス代表に 攻め込まれていたところ、私が「もともとこの会議にはそれほどの期待は 持っていなかったから心配するな。しかし親睦、情報交換という意味で 私にとっては十分に意義のあるものだった。」というような発言したら、 会長を初めスタッフが嬉しそうな顔をしていたのが今でも思い浮かびます。

 2日目の学術講演会は、ASに関する最近の学術研究の発表という よりは、温泉療法や体操療法などに関するものでした。オーストリアや ドイツから日帰りの一般聴衆も多く参加したために、講演はすべて ドイツ語で行われ、一応英語の同時通訳がついたものの専門用語が全く 理解できなかったらしく、途中で止めてしまったりで全く用をなさず、 残念ながら講演の内容は私にはほとんど理解できませんでした。 ドイツ語がわからない他の国の人にも不評だったようです。

 バードガシュタインには、温泉を使ったたくさんの施設があり、 3日目には皆でそれらを見学に行きましたが、オーストリアはもとより 遠くドイツやスイスからも、ASに限らずリウマチや外傷などの患者さん がやってきて、温泉療法とともに休暇をとって行くそうです。 ASIF副会長でご自身もAS患者であるドイツのFeldtkeller教授も、 毎年療養に来ているとのことでした。病人に限らず、日曜日には恰好の レクリエーションの場として家族連れで賑わっていました。

 また全員水着に着替えて、トロッコに乗って洞窟内に入り、ラドン 蒸気浴治療を体験しましたが、38〜42度のラドン熱気の中、ズラッと 縦に並ぶ粗末なベッドの上に、全員動かないでじっと横たわっでいる だけなのですが、程良い熱気と静寂の中、心身ともにリラックスできる のは確かなようでした。お国柄か全裸の人も多く、病人にはやや刺激が 強かったようです。

 以上のようなスケジュールで、特にトラブルもなく、会はいたって スムースに運びました。日本はアジアから初めての参加ということでも あり、会議での発言は注目され、またそれ以外の場所でも非常に友好的に 受け入れてもらい、大変に楽しい時を過ごすことができました。

 特に驚かされ、見習わなければと感じたのは、とにかく外国の患者 さんは、皆明るく元気が艮いということでした。私よりも重症の人が、 さよならパーティーでは音楽に合わせて、ずっと体の大きな女性に 抱きかかえられるようにしながらも、実に楽しそうにダンスに興じて いたのを見ているうちに、日本AS友の会の懇親会でダンスパーティー を企画したら、どんなことになるだろかなどと思いが走った次第です。

 旅費以外は、すべでオーストリアのAS友の会であるOVMBの招待で、 食事は毎回豪華なフルコ−ス、ホテルの部屋の広さも日本の倍はあろうか というもので、いたりつくせりでした。いくつかスポンサーがついての ことでしょうが、最後の挨拶で、「いずれは日本でもこのような会議が 開催できるように努力する。」とは言ったものの、「では、数年後に どうだ?」と言われたらどうしようかと内心ビクビクしていた始末です。

 日本に比べたらのんびり(悪く言うと時間にルーズ)なヨーロッパ人 にしては、比較的テキパキと運営して下さったOVMB会長ならびに スタッフに心からの感謝の念を抱かざるを得ません。

 休む間もないハードスケジュールにはややへきへき、それと同じ様な 肉料理の連続には少々げんなりもしましたが、食事の毎に席を換えて、 同じASで苦しんでいる(実際にはそうとは思えないほど明るい) いろいろな国の人と親しく話を交わすことができました。食事の時は、 レストランのあちらこちらから笑い声が絶えず、親睦という意味では 非常に意義ある会議となったと思います。友人もたくさんできましたし、 今後の日本AS友の会の活動にとっても、有用なアドバイスをもらえた ような気もします。

 第3回の国際会議は、3年後の1995年にポルトガルで開催されること に決まりましたので、次回には、たくさんの日本の会員が参加できるよう 願いつつ、暗く活気のないモスクワ空港経由で帰国の途につきました。



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