2005年5月21日(土)
 


△▼5/21のゼミ▼△


本 日の作品

ストーリー      2
シナリオ       1

出席者: 女 4   男 4


 アシモフさんが仕事だったので忠太郎の担当となった。
 昨日監督協会から5月の会報が送られてきた。その中に、アシモフさんが先日85才で永眠された野村芳太郎監督の追悼文を書いていた。氏は野村さんの「助 監督を19本と予告編を3本」やり、クレジットはないが脚本もずいぶんやった。とても心にしみる文章で、氏には許可を受けず忠太郎の独断でコピーしてゼミ で配った。
 かって撮影所が映画を作っていた。それは名作駄作娯楽作いろいろあっても、常に撮影所のスタッフのチームワークの情熱と創意工夫が作品を支えた。そこ は、映画が好きな人たちの「稼ぎ」の場であると同時に「情熱を燃やす」場だった。
 「俺たちは鍋釜作ってるんじゃねえ」というのが年配のスタッフの慣用句だった。ボクはそういうキバリがあまり好きじゃなかったが、確かに一人ひとりのス タッフの頑張りがどれだけ作品を良くするかの度合いは、鍋釜より上だった。
 映画やドラマは(その設計図である脚本は言うまでもなく)、人と人の共同作業で出来る。知恵の出し合いで出来る。こだわりと粘りと、愛が作品を作る。勿 論今でもそうに違いないが、「撮影所」という特殊な閉鎖空間が、熱い血をたぎらせていた時代の、一人監督と一人の助監督の人間的な繋がりあいをアシモフさ んの一文は見事に伝えていると思う。今の人にもそれを感じてほしかった。



1.千葉作品「LOVE ME TENDER」 2稿(ストーリー)

 前々回やった1稿のリメイクである。読んでみて「アレレ、全然別な話だ、これは。どうなってるの?この前のゼミのまとめで点数つけて、材料はいいが人物 の突っ込みやお話の構成がいまいち」といったから、作者は怒りに任せて「コンニャロー、あっと驚くなよ、てめえ」なんて張り切りすぎたのかもしれない。
 何しろ同じなのは主人公とヒロインの商売、そして女に振られた主人公がソープに通いだすという3点だけで、残りはまったく違うすじだてになった。前作 は、「警官の主人公がストーカーを追い、ミイラ取りがミイラになってしまい、自分もストーカーを始める」という話だったが、今回は「おまわりさんの拳銃が めぐりめぐって人からひとにリレーされていく」お話だ。
 いはば、オムニバス仕立てで、ある時は自殺しようとしてる破算男、あるときは厭世観にとりつかれた、かってピストルの名手であった老人、そしてまたある 時は、男にいいようにもてあそばれ復讐を誓う若い女ーーというように持ち主が変わり、拳銃の持ち主のおまわりはあたふたさせられる。
 スピーデイな展開と、その間に挟まれたスラプステイックな笑い、うーん、ボクが薦めたワイルダーの「お熱いのがお好き」を意識しすぎたか?このタッチ は、映画のテダレにして始めて可能なのです。今はそこまで跳ばないほうがいい。
 しかも日本ではこのテの乾いたお話は受けない。才能ありながら一部のフアンにしかもてなかった岡本喜八の喜劇、ボクの師匠の前田陽一流のブラックユーモ ア作品が味わったせつなさの原因は、そこにあるのです。
 であるなら、この際取り掛かるべきは前作か今日の2稿か?講師の独断は良くないのでみんなの意見を聞いた。
1稿(ほんのりしたコメデイ)
2稿(乾いたオムニバス喜劇)−−設問は、
「どっちが好き?」では1稿に7票,2稿に2票。
「どっちを書けば面白くなりそう?」1稿に9票、2稿に0票,
 でした。作者も9票のうちの一人で「ボクもほんとは1稿が好きでして。でも、がらっと違うものにトライしてよかった。いろいろ見えてきた」という。
 このしたたかで強靭なパワーはいい。ボクは、シナリオのある側面は数学的要素があると思っている。書くものに愛情とこだわりは必要だが、それゆえに自分 に酔ったり客観的に作品を視る目をなくしては困る。
 ドンと構えていいものに仕上げてほしい。


2.内野作品「ボクをみてて」(ストーリー)

 離婚して8歳の男の子と暮らす母親の「愛の物語」だ。
 彼女は、もとヤンキーだ。ヤンキーなるものがいかなるものか、それを正確には知らないが、とにかく活発で陽気で、生き生きした30歳の女だ。旦那と別れ てどれぐらいか、まあ、そろそろ彼氏が出来てもいいわ、あたしそこそこの顔だし健康だし、仕事もちゃんとしている、一人でいるなんて勿体ないわ、と思って いるに違いない。ここはボクの想像の補足です。
 で、折りよくカッコいい男が登場する.腕白息子がかねがね苛めているモヤッシコの父親で、なんとあっちも父子家庭、おまけに男はなかなかの男前である。
 さあ二人はどうなる?勿論接近する。お互いに好意を持つ。息子たちがそれを知った時の反能は?
 平均的で普通の男と女のたたずまいの、ちょっとじれったいクスリとさせられる話かと思ったら、この男前はとんでもないマザコンで3度の離婚もそれが原因 と明らかになる。ヤンキーはまだいいにしても「3度のマザコン離婚」となると、無理にキャラクターをつけた、それもパターンそのままに、という印象をぬぐ えない。
 この作品の「狙い」を作者は、
  1、「親ばか」と「馬鹿親」について考えたい。
  2、子供を持つ男女の恋愛は成り立つか、
だとする。
 1も2も、親は誰も「親ばか」だし、男と女は何があろうが恋しあうものだ。大事なのはこうした「狙い」より、二人が、またそれぞれの子供たちがどうシナ リオの中で「生きる」かだ。今も昔も変わリなく子供のために恋や再婚をあきらめる人もいれば、そうでない人もいて島倉千代子は嫌いだが人生いろいろで、作 者がえらんだ人物を書ききればいいのだ。題名の「ボクをみてて」の先頭には、お母さんとかママとつくのだろう。
 誰でも得手不得手があって、僕はこの手の親子話、家族話が苦手だ。だから的確な指摘は出来ないが、題名からして子供の視線で書かれていると思ったが、と いう意見が出た。なるほどと思った。相手を持たない子持ちの30の女と、33の男の恋が子どもの目にはどう映るか?一つの切り口だろう。ただ、馬鹿なたと えだが、ボクが8つの少年でもしこういうことになっても、「ボクをみてて、(いつもボクのことを考えてて、僕のことを大事に考えて。あの人と結婚するなん ていやだ)とは決していわない、(ドラマでも)言わせない」と思うが。今の、苦労なしに育っていそうな少年たちはどうなんだろう。
 8歳ともなると興味はほかのいろんなことに向いて、親離れが起こるのでは?「ボクをみてて」とは作者がそう言われたいのでは?というのがボクの疑念だ。
 もっとも、息子をベンツで小学校におくり迎えした母親もいた。息子は女を部屋に囲った。この事件を考えると、内野作品は何かグロテスクなものを含んでい るのかも知れない。
今の「母と子」は難しい。
 「あたしもいつかは親ばかになるかもしれない。でも今はそういうのを見ると、とってもハラがたつんです」といった作者の呟きが印象的だった。
 ある人から「このストーリーは欲張りすぎている」との意見が出た。賛成だ。少なくとも男と女の恋が成就するかどうかよりも、ボクには小津さん流の「父と 娘」はべつにおいて、「母と息子」の深淵は、きわめて今風の魅力的な材料と思えるのだが。




 仕事が早く終わったアシモフさんがゼミの半ばで顔を出した。
 次のゼミでやる杉山作品「サムライボール」(200x236枚)を作者がゼミの員数分コピーして届けてくれた。出席者には配り、欠席者には送ることにし た。大阪弁時代劇の長編だ。前半の印象ではセリフもト書きも快調だ。皆さん、これをより面白くするためのアイデアを3つ4つ、次回に持ってきて下さい。

 ゼミに出したストーリーをとりあえずペンディングとするか、リフォームするかの判断は難しい。千葉君の例もあるから、それぞれが考えるしかない。
 ただアシモフさん、忠太郎がシナリオへといったモノはあだやおろそかにはしてほしくない。今年に入ってと言う限定つきでも、「ナンギな奴」「人生は甘辛 い」「シトラスの香り」「太郎さんからの便り」「夜明け前」といっぱいある。
 今日は日曜だ。皆さん、ストーリーのリフォームにシナリオ執筆に励んでください。


 昨夜アフターの居酒屋でしこたま飲んだが、俺はこれからまた酒の約束がある。思いを皆さんに残しつつ出かけます。






次回は、2005年6月4日 (土)


東京芸術劇場5F/NO4会議室
時間は、いつものように、13:30〜17:00

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上記作品のディスカッションはこちらで!!
ゼミで話し足りなかったことや後から思いついたこと
また、改めて作者に聞きたいことなどがありましたら
どんどん書き込んでください!



今までにみんなの書いたシナリオのリス トを整理してありますので、
それもご覧ください。

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