2003年9月6日20日(土)
今回は2週分連続です
△▼9/6のゼミ▼△
本日のテーマ ・自由課題 ストーリー 3
出席者: 女 5 男 9
新人がまた一人入会した。男性。男優位のゼミの勢いはとどまらないようだ。しかもきょうは、受講生だけで14人となり、教室は超満員で補助椅子を使い切ってしまった。おかげでゼミは熱気ムンムン。中身も充実。この勢いがとどまることなくいってほしい。
〇自由課題
1 岡 作品「真相」バイク事故で死んだ女性。身元確認に現われる父親。だが娘ではなかった。 バイクは盗まれたもので、死んだ女に心当たりはなかった。それから1年。女の身元は、依然わからないままである。 さて、娘は18歳。母親が小さいときに亡くなり、父子家庭に育ったが、父に反発して家に寄り付かない。 が、ある日、久しぶりに家に帰った夜、奇妙な夢を見る。その夢を境に、彼女の身辺が一転する…。
非常に興味深い始まりだが、後の展開が未整理で混沌としているようだ。
母の死の「真相」が分かって主人公は生きることの大切さを知る、というのがこのドラマの“真相”と言うべきものなのだが、作者の意図とドラマの運びがかみ合ってないのが、惜しい。母の死の真相と事件の真相とが交錯するべきではないか。 冒頭が印象的なだけに、それを深める形で進めるべきで、そこからそれていくべきではないだろう。事故の方が忘れられているので、肩透かしにあったようである。 むしろ、死んだ女性を主人公にして、死んでいく人間の一瞬のイメージというドラマにしたらどうかと、Kくんが「ルル・オン・ブリッジ」という映画を紹介してくれた。この作品にとってはないものねだりのような気もするが、一見の価値はある映画だろう。2 紺野作品「ギラギラヒカル」(仮題)
マンガ原作ということだが、映像ドラマのストーリーとして考えることにする。舞台は新宿。経歴を隠してストリートファイター選手権に出て賞金稼ぎをしている元女子格闘家。だが、もう一人の元格闘家だが実業家として成功している女がいる。二人は同じ時代を戦ったライバルであった。二人は、再会する。そして、最後に戦った思い出の「後楽園ホール」のリングに上がる。
その格闘の中で、二人が本当にやりたいことが何だったのかが分かる。二人は力を合わせて、新宿の裏舞台を取り仕切るギャングに立ち向かう。
設定は面白い。二人の元格闘家を中心に、大きな枠を作って「ワル」の人物を配置するといいと、忠太郎師。連続ドラマとして考えたらどうかとも。
格闘家が悪と対決するというちゃんとした(分かりやすい)目的があるのだから、後はストーリー次第であろう。その意味でも、相手の人物のキャラクターが問題であろう。
よみきりでなく、2、3回分のストーリーを考えるのがいい。
3 野竹作品「明日吹く風」主人公は29歳の女性。子供のころ福祉のボランティア に熱心だった両親に育てられ、心の中で反発するようになった。グループホームといって、障害児が一緒に住むようになり、父も母も自分だけの親ではなくなってしまったからだ。福祉に熱心な親は、そんな子供の心を分かってくれようとはしなかった。
親元から離れて10年。福祉から離れよう離れようとして暮らしてきた。普通の生活がしたかったのだ。
だが、妊娠している親友から、思いがけない相談を受け、悩む。産まれてくる子供に障害があったらどうしようかというのだ。そのことで姑とぶつかっている。
彼女はどう答えていいか分からない。久しぶりに実家に戻って見ようと思う。そこで彼女は、グループホームの利用者たちに温かく迎えられる。彼らを見ていると、福祉に反発していた自分が間違っていたのではないかと思う。
親友と一緒にいろんな施設や作業所を見学する。親友は親友なりに得るところがある。
彼女は、改めて、福祉の勉強をしようと決意するのだった。
「“普通に”、を卒業しようかなって…」 ボランティアの活動はそれ自体が「善」で、活動家は「善人」で終わってしまうきらいがあるが、その子供の視点というのがとてもユニークだ。作者の実体験を踏まえいるというだけあって、説得力がある。子供にとっては必ずしも幸せではないというのはもっともなことだろう。
最後は、両親の活動を見直し、自分もそこに戻っていくという結末が、やはり、と思わせてやや甘い感じだが、しかし、これはこうであってもらわないとおさまらないという気もする。
ユニークな視点なので、それぞれの人間をきちんと描いていくことが大事だろう。きっと、両親にも両親なりの悩み・葛藤があったに違いないのだから。
結末を固定的に考えないほうがいいのかもしれない。
4 城ノ口作品「わたしがここにいなくても」(仮)
親子二組の夫婦に離婚問題。定年を迎えた夫に反して新しい行き方を求める妻。一方、娘夫妻は、仕事人間の夫の浮気が原因で離婚寸前。
この作品はゼミでやるには時間がなかったので、アフターゼミでの個別指導ということにする。語り口はいいし、目のつけどころも悪くはないのだが、話はあるのにドラマがないと思う。
こういう夫婦を取り上げて何を描きたいのかが、今一つはっきりしないのが惜しい。
妻であり母であるよりも女であることを選んだ女性を前面にだして、その生き方を描くという風にしたら、面白くなるのではないかと思う。そのためには、彼女が63歳というのは少々歳をとりすぎているのではないだろうか。
アフターゼミも大盛況だった。話はあちこちに飛んだが、とても新鮮であった。どんどん新しい血が入って新しい作品が生まれるといい。ともかく、飽きずに書きつづける習慣を身につけることから始めたい。
△▼9/20のゼミ▼
本日のテーマ ・自由課題 ストーリー 1
出席者: 女 0 男 4 前回とは打って変わっての小人数。しかも男だけという椿事である。あの勢いは止まってしまったのだろうか?
それに、唯一作品を提出していたSが欠席なので、急遽、古典的名画の鑑賞に切り換え、今日はおまけのゼミということにした。
〇映画鑑賞「グランド・ホテル」
これは、シナリオの代表的形式と言われる「グランド・ホテル形式」の元となった古典的作品である。限られた時間と場所にさまざまな人間が集まり、その人間模様を描くという作劇法である。
1932年のアメリカ映画。監督/エドムンド・グールディング。主演/グレタ・ガルボ。
まず、冒頭がホテルの公衆電話コーナー。そこに次々に電話をかけにくる人たちが、この映画の主要な登場人物。そこで状況を説明しておいて、それぞれのドラマに入っていく。
当時の5大スターの競演で話題を呼んだという。人気が凋落して無気力になったロシアのバレリーナ、男爵と称しているが実は稀代の盗賊、生きるためなら何でもしようという女性速記者(グレタ・ガルボ)、事業が危機に瀕している実業家、彼の会社の従業員だが健康を害し、この世の名残に贅沢をしに来た貧しい男。ベルリンのグランド・ホテルの一日半という限られた時間のできごとである。
いろいろかみ合ったりかみあわなったりした挙句、予期せぬカップルが誕生し、速記者と貧しい男は連れ立ってパリのグランド・ホテルに向かう。
ゆったりとした運びで進むが、模範といわれるだけあって、それぞれの人物はきちんと描かれている。70年も前、というか、映画が生まれて30数年しかたっていないのに、こんなにしっかりしたドラマが出来ていることに、改めて感心させられた。
ゼミで映画を見たのは2度目だが、時々はいいかもしれない。
アフターゼミは、いつもと同じように、2Fの喫茶店。男6人でじっくり語り合った。これもまた良きかなである。しかし、作品がないのはやはり盛り下がる。次回に期待しよう。
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