《ハイジャック》
被弾した指揮車から出た善行は、上半身真っ赤だったという。何かの破片で首筋を切ったのだ。乗員退避を指示したのは本人、意識もはっきりしていたのだが、移動中に急に無口になりやがて沈んだ。今は軽トラの荷台に横たえられている。
幸い心配された幻獣側の増援はなかった。指揮権を継いだ芝村から、本部より掃討戦の指示があった旨連絡が入っている。
「俺はもう戻るぞ。お前らはもう少し後退したほうがいいだろうな。必要なら、誰かよこすように頼んでみるが?」
赤く染まった両手以外は黒い塊となっている石津は下を向いたまま何も言わなかった。しかし若宮が立ち上がると、素早く腕を伸ばして足首を掴んできた。
「待………て…」
「どうした?」
極端に無口な少女だが、衛生兵として有能だということは誰もが知っていた。若宮としてはそれで十分だと考えている。
「……足り…ない……わ……」
「足りない? 何がだ」
「血…………」
採血は十五分で済んだ。精製したばかりの血液が専用の袋に入れられ吊り下げられる。そこから善行の右肘までをチューブが赤い線となって繋いだ。
「なんだ、まだ居たのか。」
振り向くと運転席から瀬戸口が出てきていた。目立った怪我こそないものの、泥と汗に塗れた髪と落ちくぼんだ眼窩が、たった今掻い潜ってきた修羅場の惨状を物語っている。
「さすが忠犬……いや、晴れて血を分けた兄弟ってわけか?」
「瀬戸口。お前、時々妙なことを言う」
兄弟姉妹とは今や同じ親に育てられたという意味しか持たない。クローン世代には家族や血縁に対する実感が乏しい。
「妙だって? 心外だな」
荷台の縁に寄りかかって、瀬戸口は態とらしく首をすくめて見せた。
「血を分けるっていうのは家族だけを言うんじゃないんだぜ。血盟っていってな」
「なんだそれは」
「義兄弟になるのに、指なんかを切って血を混ぜ合うんだ。一種の儀式といえばそうだろうが…まあ、野蛮な話だ。第一、野郎同士でなんて、俺なら死んでもごめんだね」
「輸血に野蛮はないだろう。それに誰の血だろうが同じことだ」
現在の日本人は血液型因子の九割が一致するという。それに拒絶反応もほとんど起こらない。戦うため、目的に適った仕様というわけだ。
「…本当に同じだと思ってるのか?」
「うるさいヤツだ。何が言いたい?」
「そんな風に言ってもさ、まんざらでもないんじゃない?」
瀬戸口は薄笑いを浮かべている。問いに答えるつもりなど、端からないのだろう。
弄ばれていることに気づいた若宮は、不毛以外の何ものでもない話を早々に打ち切ろうと、黙々と手を動かしている看護兵の方へと向き直った。
「なあ石津。それにお前もだ瀬戸口。このことは司令には黙っておいてくれないか?」
「ど…して……?」
「この人…善行司令は意外と細かいところがあってな。気を使わせたくない」
石津は伏せがちの面をさらに下に向けた。やがて真黒い髪を揺らして頷いた。
「わか…た……わ……」
「瀬戸口…」
「わかった、わかった。石津がそうするっていうなら、俺も言わないさ」
瀬戸口は石津に二三、激励の言葉を残すと運転席に戻って行った。ドアが開いて助手席の東原が迎えた声が、風に紛れて聞こえた。
これだけの間にも、善行の容態は目に見えてよくなっていた。直に意識も回復するだろう、そう思いながら若宮はタオルの山を枕にしている白い貌を見た。
この人の唇はいつも乾いている。触れずともわかる……知っている。
不意に若宮の脳裏にはそれが誘うように薄く開く様が鮮やかに蘇った。さらには、その瞬間、僅かに血の紅をのぼせて密やかに己の名を呼ぶ様が。不謹慎という気は少しも起こらなかった。ここでは自分達の媾いなど、いくら重ねて想い描いたところで児戯に等しく感じた。
若宮は前線へ向かって走りながら、己の思いつきに、身の内が雷に打たれたように痺れるのを感じていた。
ただの医療行為だということは百も承知だった。瀬戸口が言うような深い意味など何ひとつ籠められてはいない。だが彼の指摘はあながち間違いというわけではなく、それどころか。若宮は指摘される前から気づいていた。今日の自分は誰だろうが同じだと、本気で割り切れるほど没我的とは言い難い。
…自分の血が善行を支える。
彼が知ることはない。知る必要もない。
若宮は何よりもその事実に安堵して、独り笑んだ。
《劇終》
★20041216 ASIA