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《マッシュルーム》
屋上で弁当を広げながら目下の夢、という話題になって。
「レトルトカレーのマッシュルームだけを、山ほど集めて食べるのが今の夢だな。」
若宮はこう答え、大いに周囲の失笑を買った。
*****
「ずいぶん安上がりな夢ですね」
「はぁ」
「昼間、話していたでしょう」
台所から出て来た善行はやや乱暴に盆を置いた。満載した小鉢が音をたてる。卓についていた若宮が僅かに目を見開いた。
「聞いておられましたか。・・・しかしレトルトカレーは安くないですぞ。自分の給料ではですなあ」
「そういう意味で言ったんじゃありませんよ。・・・まあ、あなたがどんな夢を持っていようが勝手ですけどね」
善行は一方的に話を打ち切ると黙々と箸を使いだした。若宮もこれに倣う。
鰤の塩焼、いりどり、納豆に卵、豆腐と葱の味噌汁、それにもちろん白飯。これはこれで安上がりなメニュー。ただし半端な量ではない。善行宅のエンゲル係数はここ数カ月、6月の不快指数なみの高さを記録している。
*****
「美味しいですか?」
善行が唐突に尋ねた。
若宮は口一杯の飯を味噌汁で流し込むと、目を白黒させながら答えた。
「どうしました? そんな恐い顔で」
「正直に言って下さい。口に合わないのでは?」
若宮はぶんぶんと首を横に振った。
「そんなわけないじゃないですか。どうしてそんなこと聞くんです?」
「カレーが好きなら、初めからそう言ってくれていればと思っただけですよ。・・・僕は作った事がない」
言ったきり善行は若宮と逆、壁の方を向いた。
若宮はものの一分ほどもその横顔を見つめていたが、やがてほろ苦い笑みを浮かべた。
「御存じありませんでしたか」
「?」
辺りを憚るように潜められた声。
「実は、料理の味なんぞわからんのです。」
なんの冗談を、と言いかけた善行を制して続けた。
「自分らはそのように設計されているのです。おかげで栄養価さえあれば、どんなものでも摂取できますよ。雑草だろうが木の皮だろうが、最悪味方の肉でも。食えるものは何でも食って、生き延びて、戦い続けます。」
潜めていたはずの声はここまで来てむしろ、断固とした強い調子に変わっていた。
「どうせなら幻獣どもを喰ってやりたいところですが、死体が残りませんからな。腹の足しにもならんとは、ますます癪に障る奴らです」
こう付け足すと若宮は、わはは、と声を出して笑った。
しかしすぐに善行を顧みて、ぱったりと動きを止める。そこには世にも険悪な顔があった。若宮は箸を置くと頭を下げた。
「つまらない話をしました。忘れて下さい」
*****
沈黙が訪れた。椀からあがる湯気以外に動くものもない。
若宮がゆっくりと顔をあげると、善行は宙を睨んでいた。膝の上に握りしめた拳が、瞋恚のほどを窺わせる。
「いったい何なんだ?・・・人を何だと思って」
呻いてまた黙り込んだ。
しばらくして善行は若宮に向き直った。深々と頭を下げる。
「すいません・・・謝らなくてはいけないのは僕の方です」
「やめて下さい!ミスターには関係のないことです」
若宮は面食らってわめいた。膝立ちになって頭を上げさせようとするが、善行は頑なに床を向いたまま言い募る。
「僕はいつのまにか、あなたのことを何でもわかった気になっていた。とんでもない思い上がりだ。今まで何度あなたに聞きましたか。美味いか不味いか、甘いか辛いか?」
若宮は複雑な表情を浮かべそれを聞いた。それから膝でいざり寄って善行の肩を横から抱く。耳に口を寄せて尋ねる。
「当たり前のことを、当たり前に聞いて下さった。・・・違いますか?」
善行は答えようとはしなかった。
若宮は質問を変えた。
「『美味い』というのはよく判りませんが、『嬉しい』というのと近いでしょう?」
「そう・・・そうですね。そうかもしれません」
「自分は言えばあなたが嬉しそうな顔をなさるので、だから『美味い』と言います」
「僕のためだと?」
若宮は首を横に振った。
「自分のためですミスター。自分はあなたの笑顔が、一番嬉しい」
善行は若宮の台詞を反芻するように口を閉ざしていたが、やがて顔をあげ指摘する。
「あなた、おかしな人ですね」
「おかしいですか?」
「おかしいですよ、とても」
善行は声も立てずに笑い出した。笑い続けた。
その様子を若宮はどうにも理解できない、といいたげな目で見ていた。
*****
「ところで。どうしてカレーのマッシュルームなんですか?」
「実はカレーでなくとも構わないのですが・・・そう・・・感触が似ておりまして」
ゆっくりと、しかし強引に善行の肩を引き寄せながら、若宮は説明した。
「何が、・・・なにと?」
不穏な気配を察し逃れようとする善行の顎をとらえ、こちらを向かせる。
「初め少し冷たいところとか、だんだん柔らかくなるところとか」
「ですから何が?」
普段から何かと邪魔な眼鏡を外させて。
「あなたです、ミスター」
若宮は喰らいつく、という表現がしっくりくるほど深く唇に唇を重ねた。時をおかず口腔を舌で満たし閉め出されないようにする。それから自分より明らかに低い体温を伝えてくる歯列と舌を、暖めてやるつもりで撫で回した。
善行は一瞬途惑う気配を見せたが、すぐに自らも舌を絡ませ出した。僅かな隙間も埋めようと奪いあううちに、どこからどこまでが自分なのかわからなくなる。呑み込む前に吸い出される唾液が溢れ混じりあい、口中の粘膜が溶け出していくような錯覚で脳髄が冒される。
しかし陶然とした表情も束の間。善行は酸素を求めてもがき出した。
「・・・・・・・・・・・・・・・・!!」
肺活量の差。若宮はさらに十二分に滑らかな感触を楽しんだ後、ぐったりとなった善行を解放した。自然と溢れている涙を指で拭ってやりながら感慨深げに零す。
「どうも、思っていたほど似ておりませんでした」
「なん・・だって?」
漸く開いた目に角を立てた腕の中の善行に向かって若宮はにこり、微笑んだ。
「あなたの方がきっと、ずっと『美味い』からでしょうな」
《劇終》
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