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《指輪》
「それ、食べて下さいね」
若宮が部屋にあがると、善行は写真を選り分けていた手を止め、卓上の小箱を指差した。国内有数の老舗メーカーのもので金色のリボンがかかっている。
「洒落てますな。もしかして、女性からのプレゼントですか?」
からかうような口調に対して、善行はそっけなく答えた。
「なに言ってるんです。引き出物ですよ。一昨日、友人の式に行くと言ったでしょう。」
「ああ、そうでしたな」
そのわずかな時間で若宮は包みを開き、さっそくクッキーを口に放り込んでいる。
「美味いです」
「全部食べていいですよ。僕はいい・・・」
「では遠慮なく」
善行が甘いものを食べないのを知っている若宮は、嬉々として菓子を貪りはじめた。
善行が茶をいれに立った間に、箱の中身をあらかた片付けてしまって、若宮は置かれていた写真の束に興味を向けた。
「結婚式ですか・・・」
油っぽい指先を申し訳ていどにシャツで拭ってから、一枚手に取る。善行と同年代の男女ばかり十数名の集合写真だ。ちょうど盆を手に戻って来た善行に問いかける。
「ミスターは?写ってませんが」
「当たり前でしょう、僕が撮ったんですから。だいたい式に呼ばれたのも半分以上、カメラマンとしてみたいなもんですし」
別段、皮肉というわけでもないようだ。日頃から写真が趣味だと公言しているので、まんざらでもないといったところだろう。
「でも、一枚くらいは写ってるでしょう?」
「たぶん、ないですね」
「じゃ、あったら自分に下さい」
「はあ、いいですけど・・・?」
一方的に約束を取り付けると、若宮は数センチもの厚みがある束を確認しはじめた。
新郎新婦入場。家族紹介。経歴紹介。指輪交換。
若宮はそこまで来て突然、善行の左手首を掴んだ。
次の瞬間には、ぱっくり口を開けて指に噛みつく。
「なにするんです?!」
善行は慌てて手を引いたが、時すでに遅し。
薬指の根元のあたりにくっきりと、紅い環が刻まれていた。
「・・・・指輪」
若宮が子供のような笑顔で宣言する。善行はゆうに十秒間、口もきけなかった。
が、やられっぱなしで黙っているほど殊勝な性格でもない。
「指輪交換、でしょう」
交換、というところを強く発音しながら、手を突きつける。
若宮は報復される事など考えてもみなかったらしい。ゆうに一分間、躊躇していたが、やがてえいっと左手を預けた。
善行は大きな掌を両手で支えると、薬指の第一関節だけを口に含んだ。
「・・・甘い。」
菓子の味でもしたのだろう。上目使いに見上げる目と視線が絡んで、若宮の頬の辺りがぱあっと紅くなった。それを見るや薄い笑みを浮かべ、今度は唇の先で指をついばみはじめる。骨張った手の甲の節々、皮膚の薄いところを重点的に。
「くすぐったいです」
若宮は振りほどこうとして動きかけるが、その度に許されない。指と言うのは特別に触覚の発達しているところである。その先から股まで舐められては、変な気も起きてこようというものだ。若宮の声は悲鳴に近くなっていた。
「やめてくださいよ、もう・・・」
それでもまだ、善行は首を縦には振らなかった。若宮の手首を押さえていた力をさらに強めると、ついに薬指を銜え込んだ。巨躯に相応しく太い指を口一杯に収め強く吸う。
生暖かく湿った感触に脊髄を何かの信号が駆け上がる。いてもたってもいられなくなった若宮は自分の指に奉仕している男を組み敷いてやろうと腰を浮かしかけた。
その時だった。
「痛ッ!」
若宮が正真正銘の悲鳴をあげ、半歩ほども膝で後ずさった。同時に善行が激しく咳き込みはじめる。若宮の指で喉の奥でも突いたらしい。
「う・・・えっ・・・」
「すいません! 大丈夫ですか?」
助け起こそうとする若宮の手を振払うと、善行は畳の上で丸くなって肩を震わせはじめた。
「ミスター・・・?」
笑い声が止まらない。時折、噎せ返りながら・・・ひどく楽しそうに。
「・・・なにやってるんですかね、私たち。」
やっと発作を収めた善行が、荒い息の合間に呟いた。手を上げて目の端の涙を拭う。薬指の赤らみは、もはや判別できないくらい薄くなっていた。
若宮は己のその同じ指に刻まれた印に唇を寄せて黙り込んだ。舌先に僅かな鉄の味を転がしながら、・・・いつまでも黙っていた。
《劇終》
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