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”人類最後の悪あがき”、熊本戦線は一進一退を繰り返し、予断を許さぬ状況であった。
とはいえ1999年内に全滅必至といわれた学兵部隊投入が、こうも劇的に機能するとは一体誰が予測し得ただろうか。
夏の休戦期を越え、秋冬と続いた大陸からの大攻勢を凌ぎ切り、春の足音も間近まで聞こえはじめる頃・・・
”奇跡の立役者”5121小隊の本格稼動からは、ほぼ一年が過ぎようとしていた。
《A Couple of Birds》 |
2000年2月14日月曜日・晴。
小隊司令・善行忠孝が校門前まで来ると、そこには十数の制服姿がたむろしていた。みな真剣な面持ちで何かを待ち構えているようだ。
おや? 今日はやけに女生徒が目につきますね・・・。
ぼんやり認識しながらスロープを登り切ったところで、後方から風に乗って黄色い歓声が流れてきた。振り向いて見やれば、女生徒達に取り囲まれているのは赤毛の自称・美少年と黒髪の絢爛舞踏の片割れ。
「これ、貰って下さい!」
「お耳の恋人!」
「いつも応援していますぅ」
ああ、今日はバレンタインデーでしたっけ。
しかし・・・今さら気づくというのは、男としてどうでしょう。
思わず苦笑を浮かべたその時、左手の他目的結晶に朝の定時通信が入った。これは学兵全員が強制的に受け取らされるものである。
政府発表、一般向けに脚色された戦況報告、その他のニュース、天気予報・・・。全部隊へ向けた内容が終ると各部隊宛の短信が続く。機密に属さない指令、人事通達、そして最後に物資の送達状況。
加藤事務官が手配した 『チョコレート60kg』が 本校から届きました。ハンガーに入れます |
その途端、今度は前方の校内で大歓声が上がった。
「やったー!」
「さすが加藤さん!」
・・・60kg?
ハンガーに?
リアクションに困り、善行はしばらくそこに立ち尽くした。
遅刻真際になって、ようやく復活を遂げた善行が購買前を通りかかると、そこでも一騒動起きていた。
「なんだよ!どうしてだよー?」
額にゴーグルを乗せた少年が、販売員の女性に食ってかかっている。
「そこにあるじゃんか!」
「これは御予約分なんですよ」
「えー!? 予約なんて、ありかよォ」
その時、カウンターを乗り越えんばかりに身を乗り出した少年の肩を叩く手があった。
「滝川君。それ私たちのなの」
「ギュウニュウ、取りにきまシタ」
立っていたのは整備班長の原と、同じく整備班の小杉だった。二人の姿を見て、販売員は心底助かった・・・と愁眉を開き、牛乳パック4つを袋に入れた。小杉が代金を支払って受け取る。
「ご協力、感謝しますデス」
滝川少年はその様子を不満そうに見ていたが、
「ごめんなさいね、今日は特別なの。悪いけど他をあたってくれる?」
美貌の上司に婉然と微笑まれては、太刀打ち適わず。それどころか顔を真っ赤にして、何度も頷く羽目になっている。滝川少年、完敗。
「例のもの・・・よろしくね」
「愛を込めて作るデス。ダイジョウブ、ですヨ」
「じゃ、夕方にお届けしますから」
妙齢の美女三人が意味ありげに微笑み合う様を、滝川はあっけにとられて見ていた。
その姿があまりに哀愁を誘ったので、思わず声をかける。
「滝川君・・・」
「あ、委員長・・・あのさ」
滝川は善行に気づくと口を開きかけたが、
「いいえ!何でもありません!・・・つか、ヤベー!」
絶叫と足音を廊下に響かせながら、駈け去って行った。
後にはやはり、リアクションに大いに困った善行が残された。
その日の昼休み。
”女のムネって牛乳飲むと大きくなるって噂・・・マジだぜ!”
茜に報告して冷笑を買う滝川少年(14歳/男/彼女ナシ)だったが・・・それはまた別の話。
「司令、いるか?」
返事を待たずに小隊長室に入って来たのは、自称・美少年、瀬戸口隆之だった。彼は司令席前までつかつか歩み寄ると、手の平に乗る程の小箱をぽんと置いた。ピンクの薔薇をあしらったつやつやの包装紙の上に、御丁寧に赤いリボンまでかけられている。
善行は一瞬だけ顔を上げたが、すぐに視線を書類に戻した。
「勤務時間中です。持ち場へ戻りなさい」
「残念でした。今は自由時間です」
おお寒かった、とストーブに手を翳す彼を尻目に多目的結晶を確認すると。
数分前に七時を回ったところだった。
くそっ。この時間、わざと狙って来たに決まっている。
善行はそっと舌打ちした。
「それに・・・だったらアレはどうなんだ? 男女差別、はんたーい」
瀬戸口は戯けて言いながら、プレハブ側の窓に近寄ると、ブラインド越しに斜め前の食堂兼調理室を窺った。
そこを会場としていたのは、午後の授業終了と同時に始まった5121小隊主催・手作り菓子教室。小杉、速水、中村と小隊に料理上手が多いことに目をつけた加藤事務官による「格安特別企画」であった。
例の60kgと4パック、その他大量の砂糖やらクッキーの元やらが運び込まれ、エプロン姿の女子ばかり数十人が集結。女三人寄れば姦しいと言うが、実際、夕方の数時間にあっては戦場もかくやの喧噪であった。
この時間になってもまだ、蛍光灯の光と二十人を下らぬ女生徒達の笑いさざめく声が洩れている。あと十歩も近ければ、特有の甘い香りも聞く事ができるだろう。
私だって、注意しようとはしましたよ。
でも部屋に入るなり50人からの女生徒に睨まれて。
何が言えたと思います?!
善行は、つまみ出された顛末を思い出し渋い顔になると、ペンでコツコツと机を叩いた。
「・・・わかりました。で、それは何のつもりですか?」
「おいおい・・・いくらアンタでも、今日が何の日かくらい知ってるだろ?」
「バレンタインデーくらい知ってますよ。だから聞いてるんです。なぜ私に?」
書類にサインを施しながら、面倒そうに話す善行。
「それなんだがな。女子高のお嬢さん方に頼まれたんだよ」
「ああ。そういうことですか。」
おや? 意外に泰然としたものだ。
瀬戸口は食えない奴、という善行への評価を二割増しにしながら、箱に付いていたカードを外し、善行の手元まで突き付けた。
『5121の美声の君へ』
「・・・? あなた宛では?」
さすがに手を止めた善行、ペンを置くとカードの表書きをつ、と指でなぞった。
「だろ! 俺もそう思った!」
なぜか力説。瀬戸口、拳を握りしめている。
「でもな・・・ま、これ見ろや」
カードを裏返す。そこには丸っこい字で何事か記されていた。ピンク色のペンで書かれたメッセージは、同じ色のハートマークだの花模様だので縁取りされていて、なかなか賑やかだ。
戦場はイヤだけど、あなたの声を聞けるのは嬉しい。 戦闘は恐いけれど、あなたの言葉が勇気をくれる。 私たちみんなが、あなたに励まされています。 お仕事これからも頑張って下さい。 尚敬高校女子一同 P.S. できたらズボンは衣替えしないで下さい。 年頃の乙女はちょっと目のやりどころに困るのでス |
瀬戸口がそろそろお暇しようかなーと体を反転させかけた時、善行が咳払いをして、口を開いた。
「そうだ瀬戸口君。これのお返しの事ですが・・・」
「もうホワイトデーの話ですか。マメだなあ・・・いや流石」
なにが流石ですか。
小さく呟いて真顔になる。
「どなたに渡せばいいんでしょう」
「あ、そうか・・・。そうだな、やっぱ渡して来た子が妥当だろうが・・・」
廊下で会った子に渡し役を頼まれただけで、クラスも名前も分からない。いくら愛の狩人・瀬戸口隆之とはいえ、女子高の生徒全員の顔と名前が一致するわけではないのだ。まあ、顔さえ見れば、いつでも思い出す自信はあるが・・・。
「おいおい調べとく」
「ではその時は、貴方から渡して貰えますか?」
”おい、それは自分で渡すのがルールだろ”
聞き捨てならない。
瀬戸口は食って掛かりそうになったが、善行の次の言葉に遮られた。
「彼女達に戦場で死ねと命じるのが私の仕事です」
色付き眼鏡の奥にようやく見える、伏せられた目。
変なところで気を使いすぎだよな、この男。
言っている事は、たしかに分からなくもないが・・・。
「ま、カワイイあんたの頼みだ。愛の伝道師として引き受けないわけにはいかないな。」
瀬戸口が「あいのでんどうし」をことさら強調して請け合うと、善行はホッと息をついてメモ用紙に”瀬戸口君”と書き箱のリボンに挟み込んだ。
「恩に着ますよ・・・。昔からこうした行事は苦手でね。」
「そうかい? 俺は好きだぜ。年に一度の告白デーなんて洒落てるじゃないか。」
そう言った顔の中で、日頃は底知れない印象を与える二つの紫の瞳が、柔らかく暖かな光を宿した。
「上手くいこうがいかなかろうが、そんなのは大した問題じゃない。要はきっかけなのさ。・・・現にお嬢さん方、みんな幸せそうに笑ってるだろ。」
言いながら背にした窓の方、調理室を親指を立てて指し示す。
「それに命短し恋せよ乙女、ってね、昔の人はいい事を言った。戦争中だから恋愛するな贅沢するななんて、そんなのはツマラナイ大人の嫉妬みたいなもんだ。そうは思わないか?」
長口上を黙って聞いていた善行は、一度深く頷いて同意を示した。
「あれは・・・加藤さんの60kgは」
そこで、くすりと笑った。悲しげに。
「レーションの中身です。そのままでは食べられたものじゃありません」
それでも、と言い差した善行は、眼鏡を外して眉間を指で押えながら続けた。
「子供達は、手をかけ作りかえようとしている。好きな相手に渡すために、懸命になってね・・・。確かに彼らの前では、時代も戦争もたいした意味は持たないのかもしれません。だからこそ、私は彼らのためになら、戦っていたいという気に、なる」
「どこかの誰かの未来のために。・・・、ですか」
「ええ、・・・」
語尾は聞き取れなかった。
眼鏡を外した眼差しが窓へ向けられ。
その実、もっと遠い、遠くを見ているようで。
瀬戸口は息が詰まった。
そして思い出す。
ヒトのために半身を捨てた、どこまでも優しい女性のことを。
「どうしました、瀬戸口君?」
心配そうな声の出所を見れば、いつも通りのヒゲメガネ。
面影など欠片ほども残っているものではなく・・・。
いや、そんなバカなこと。
絶対に、願い下げだ。
なんとなく照れくさくなったので、気晴らしに水を向けてみる。
「そうだ司令。バレンタインデーのそもそもの意味、知ってます?」
「さあ・・・詳しくは」
「キリスト教の聖人、バレンティーノの記念日・・・ってのはおいといて。実はね。」
瀬戸口は悪戯っぽい笑みを浮かべると、机越しに体を伸ばして、善行の耳元に囁いた。
「鳥がツガイ始める日・・・」
ガタガタ。
反射的に椅子ごと後ずさった善行、机の上に両手を付いて見下ろしている瀬戸口を、上目使いに睨み付けた。
「・・・・だ、そうです」
「それが・・・、どうかしましたか?」
「いやね。いろいろツガウんだと思いますよ、こういう日は・・・なにも、鳥に限ったことでなくね。・・・あれ?不謹慎でした?」
「まったく。自覚があって言っているんでしょう?」
にっこり、と効果音のつきそうな最上級の笑顔を前にして、善行は軽く首を竦めた。
「・・・困った人ですね」
数分後。
再び書類と格闘をはじめた善行の所へ、スカウトの仕事の報告がやって来た。渡されたチェック表に目を通して判を押したところへ、
「なんです? これ」
問いかけられ目をあげると、若宮は机の上の包み、いや正確には先ほど付けたメモの上にごつい指を突き付けていた。すうっと金色の目が細められるのを見て、善行は心の中で首を竦めた。
少々・・・面倒なことに、なりましたね。
「まさかとは思いますが・・・、瀬戸口十翼長から?」
「いいえ、いいえ! 違います。何を言ってるんです」
微妙に頬を膨らませ拗ねて見える若宮に対し、善行はメッセージカードを見せて、潔白を証明した。
「そうですか・・・」
「分かっていただけました?」
「しかし、貴方の口はどうにも信用ならないですからな。好きなものをキライと言ったり、欲しいのに嫌がったり」
どんな場面を想定してるのだか・・・余人には聞かせられない台詞を並べる若宮に、善行は軽く肘の一撃くらい喰らわせたい気分になった。
「そう言われても・・・本当の事を言っているんですから。これ以上どうしようもありません」
「じゃ・・・この口に聞いてみますか」
抵抗する間もなく顎に手がかかって。
「あ、何するん」
・・・・・・・・・・・・・。
「あ、甘ッ!!! なんですか貴方」
「? ああ、素子さんに味見を頼まれまして」
ぺろぺろと犬か猫のように嘗め回す彼の、唇の端に残っていたのは。
まぎれもなく本日の主役・・・チョコレート。
驚愕と呼吸困難とで目を白黒させていた善行は、口の中に濃厚に残された洋酒の香りにハッとなって立ち上がった。
「貴方、酔ってますね。この未成年!」
「はい、いいえ。酔ってなぞおりません」
こうもハッキリ答えられたところで、至近距離で顔を見合わせれば、日に焼けた頬の下が赤らんでいるのは隠しようもない。
「あ、ミスターにもつきました。ちょっと失礼」
”何が”
と問ううちにも、唇がもう一度塞がれて。
「ひょこへーほひ、ひはっへるへひょう」
(チョコレートに、決まってるでしょう)
歯列を舌で撫でられ、不覚にも腰から下の力が抜ける。
「ふぁひひふぇんふぇふ、ほんはほほふぉふぇ」
(なにするんです、こんなところで)
善行が鉄拳制裁を決意した時。
カチャリ。
外から、カギの掛けられる音がした。
続いてヘッドセットで聞き慣れた、良く通る声が。
「・・・ツガイの小鳥」
「せ、瀬戸口くん?!」
「鳥籠は閉めときますよ」
高らかに宣言すると、足音は遠ざかっていった。
「あ、あなたねえ!」
「おう瀬戸口! 気が利くな!」
ドアのカギは、中からノブを捻るだけで開くのだと。
動転した善行が気づいたのは、かなり後になってからだった・・・らしい。
《劇終》
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