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公式サイト掲載外伝「ReturntoGumparade」による







《爪》


 決して陽に灼かれることのない、褐色の肌。
 決して奥に像を結ぶことのない、金色の瞳。

 ショーウィンドウの如く並べられたケースに納められていたのは、
 彼の人とどこまでも同じくありながら、ただ、あるだけの存在。
 
 いずれは「かれ」の腕が、己を抱くだろう。
 いずれは「かれ」の指が、己を辿るだろう。

 先端に咲き揃った花弁のような---桃色の爪。






 善行は嘔吐いた。




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「あのう、先生・・・あのひと、入ったきりなんですが・・・」
 どうしたらいいでしょう、と困惑した表情の女性所員が指差したのは、男子トイレの扉だった。出口まで案内を命じられた相手が、失礼と一言残して中に消えかれこれ二十分。ドアの内からは勢い良く水の流れる音が聞こえている。
 先生と呼ばれた白衣の少年は、ふうんと鼻を鳴らしたあと、薄く笑みを浮かべて請け負った。
「戻っていいです。あとは私が面倒見ますから」


 ドアの開く音に、洗面台に突っ伏していた青年・・・善行忠孝は顔を上げた。栓を最大限に開放しているため跳ねかかる飛沫で袖も胸元も濡れ放題だが、気にする余裕はなかったらしい。
「これ。使って下さい」
 少年が差し出したタオルを受け取るとその場にうずくまり白いパイル地に顔を埋めた。
 
 青い爪をした指が蛇口を締める。
 キュ、と小気味よい音を最後に、タイル張りの空間を静寂が支配した。


「みっともないところをお見せして・・・すみませんね」
 しばらくあって善行が発した声は、高さも大きさも皮肉めいた調子も、普段とまったく変わらなかった。ただタオルの陰に半ば隠れた顔は、完全に血の気をなくしている。
「責めるつもりはありません。ただ、あなたの反応が意外だというだけです。意外というよりは・・・不可解、ですかねェ」
 ポケットに両手を入れ背筋を伸ばす。切れ長の目に伶俐な光を宿した少年は、善行を見下ろす位置に立って続けた。
「わかりません。なぜ、たかが戦闘用に?まして部品用にまで・・・」
「・・・理解してもらおうとは思ってませんよ」
 善行は重い息をつきながら立ち上がった。眼鏡を外し水滴を拭う。


 またしばらく静寂があった。


「冥福を祈りますか?葬式でも出しますか? 「あれ」は脳も延髄もない肉の塊ですよ? さすがは《英雄の介添人》・・・なんとも、お優しいことです」

 少年はくすりと笑った。相対した善行は黙って眼鏡をかけた。右手でフレームを押し上げる・・・彼なりの憤怒の表出。しかし薄い唇からは結局、反撃の言葉の一つとて紡がれることはなく。ただ、少年の顔面を石になれよとばかり睨みつけるに留まった。
「申請したのは、あなた。その事をお忘れなく」
「・・・わかっています!」
 腹立たしげな応えが、果たして届いたかどうか。
 少年はひらひらと片手を振りながらドアから出た後だった。

「戦闘用だろうが量産型だろうが、ヒトはヒトだ・・・」
 善行は洗面台の鏡に向き直ると、誰にともなく呟いた。
 二度。繰り返し呟いた。


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 郊外の一戸建て家屋は、所有者の本州疎開に際し、軍がただ同然で借り上げたものである。同居人が増えたのを機に転居して一月。いずれは三人三様、官舎なり学兵寮なりに散る事になろうが、とりあえず今は、広すぎるながらも楽しい我が家、だ。
 質素な門をくぐるころには、かれこれ十時を回っていた。

「お帰りなさいませ。遅かったですね」
 ドアホンを押すより早く玄関が開き、金色の前髪を乗せた頭が飛び出した。
「ええ、まあ」
 善行は曖昧に答え、柔らかい笑みで顔色の悪さを隠蔽した。ドアを閉め、靴を脱ぎ、上着を脱いで若宮に預ける。いつも通り、いつも通りと思う程、ぎこちなくなる気がした。

 若宮は主人が脱いだジャケットを受け取って、触れた僅かな湿気に首を捻った。雨など降ったろうか?・・・いや。ホンジツハセイテンナリ。しかし主人が時に示す荒唐無稽さにはすっかり慣れ・・・慣らされたので、今さら追求などと野暮なことはしない。心配もするだけ無駄。心配するくらいなら即行動、が身上でもある。

「萌さんは?」
「先に休まれました。今日は公園へ散歩に行ったんですよ」
「そうですか。それは、いい気晴らしになったでしょう」

 友人の忘れ形見。善行は萌というその少女をも「友人」と称し手元に置いた。当初は心を閉ざしていた彼女も日毎に慣れ、細々会話ができるほどになった。彼女に関するちょっとしたエピソードが善行の気憂さを晴らすと知って、若宮が帰宅時にその様子を語るのも、そろそろ日課になろうとしている。

 和んだ空気に馴染ませるように、善行は軽い調子で切り出した。
「手術の日程を聞いて来ました。一週間後です」
「なんです? それで遅かったんですか?」
 ラボまでは往復でゆうに二時間はかかる。
「大事な話ですから。電話で済ませたくなかっただけです」
「そうですか。」
 若宮は屈託ない笑みを浮かべ頷くと、それ以上は何も問わなかった。


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「若宮。ちょっとこちらへいらっしゃい」
 夕食後のリビングで、新聞を片手に善行が呼んだ。
 呼ばれた若宮は、ダンベルを上下していた手を止め、主人の元へ馳せ参じる。
「はい。なんでしょう?」
「ここに座りなさい」
 命じられた若宮は怪訝な顔になり、手の中にあったダンベルを脇に置いた。ゆっくり指し示された場所・・・ソファの手前、淡いオレンジの絨毯のひかれた床に腰を下ろす。いったんは胡座、あわてて正座。なぜか主人の二匹の飼い猫まで集まって来たが、気にしている余裕はあまりない。自分は何か、叱られるような事でもしたろうか?

「何をそう、かしこまってるんです?」
 おそるおそる上目遣いに見上げる若宮に向かって、歩み寄って来た善行の方が、今度は怪訝な顔をした。それから胡座で結構です、と座り直させる。

「さて」
 善行はその正面、膝を突き合わせて座ると、いきなり若宮の手首をはっしと捕まえた。若宮は完全に面喰らった。そして声も出せずに固まること数秒、今度は主人の指の感触に、ほんのり頬を赤らめる。
 しかし善行の鋭いといっていい眼差しは、若宮の様子などほとんど捉えていなかった。捉えていたのは別の一点。
「さっきから気になってたんです。爪が伸びてます」
 何を期待していたものか、思わずなんだ・・・、と口に出す若宮。
「なんだとは何です。」
「あ、いえ。失礼しました。それより、爪ですか。気が付きませんでした。いや、よく見ておられます」
 若宮はいかにも恐縮したというように、体を縮こまらせた。


「私が切って差しあげます。」
 高らかに宣言しながら善行は古新聞を広げた。バサバサという紙の音の大きさに、側に居た猫二匹がびっくりして走り去る。善行の手にはいつの間にか爪切りが握られていた。
「とんでもない! 自分でできま・・・」
 断りかけた若宮は、我と我が身を顧みて口を噤んだ。隻腕・・・。
「一人で出来そうだったら、わざわざ手伝いませんよ。出来そうにないから言ってるんです」
「でも!そんな事、忠孝様にさせられません、悪いです!」
「気にしない事です。爪なんぞ伸びて当たり前です・・・ヒトなんですから。ほら、手をかしなさいって」
 膝をついた姿勢から身を乗り出し、手を差し出すように何度も迫る善行。しかし若宮も譲らない。申し訳ないを連発しながら腕を背後に隠してしまった。これ以上押し問答をすれば、自室に駆け込んで抵抗するだろう。
 善行は思案顔になって黙りこんだ。


「仕方ないですね。言いたくなかったんですが、この際です。」
 何か決心したらしい。わざとらしさを多分に含んだ溜息を吐き出すと、眼鏡のフレームを二、三度触れて、表情を消した。しかし紅をさしたようになった顔の色までは、さすがに隠し切れない。
「いいですか、よく聞きなさい。ちゃんと切らないと私が・・・・」
「忠孝様が?」
 聞き返されて善行、思わず語勢が鈍る。
「私が、その・・・痛い思いをする・・・つまり、そういう事です」

 若宮はしばらく自分の太い指の先と、完全に真下を向いてしまった善行を交互に見比べていたが、ついに合点がいったらしく、一声大きく唸った。
「ふーーーむ、なるほど。つまり、」
「わっ!」
 善行が床に突いていた両腕を引っ掴んで引き寄せる。完全にバランスを崩した体を全身で受け止めると、膝の上に抱き込んでしまった。筋肉の塊のような外見から鈍重そうな印象もある若宮だが、実際には遥かに敏捷で小器用である。そうでなくては随伴歩兵など勤まらない。
「つまり、痛い思いというのは」
 神業の素早さで、善行の背中側、シャツとチノパンの隙間に手を突っ込む。
「ちょっと! なに考えてるんです!?」
「貴方と同じ事、のつもりですが。違っておりますか?」
しれっと答えた。

 善行はさすがに一瞬鼻白んだが、
「はい、いいえ、違いません・・・」
 軍隊風に受け答えして、くつくつと忍び笑いを漏らしはじめた。ゆっくり腕を伸ばすと、雄牛のような首にからめ、目と目の高さが合うまで体を引き上げる。若宮はその重みを上半身だけで支える一方、背中に手を回し・・・二人はどちらからともなく唇を合わせると、百もの吐息を分け合った。


 ・・・が。
 若宮が更にシャツをはだけようとした途端。
 「あ、いた」 
 手酷くつねられ、撤退を余儀なくされる。
 「仕方のない手ですね。・・・先に切らせなさい」
 そう言った善行の手には、またもやいつの間にか、爪切りが握られていた。


 善行は人間離れしているといっていい厚さ硬さ頑丈さに閉口しながら若宮の爪を切った。これでも猫相手よりはよほど楽です、と軽口を叩きながら。一方の若宮はというと、自分の五つの爪が手入れされるその間、まるで手品でも見るような眼差しで、動き回る善行の指先をじっと見つめていたのだった。




《劇終》


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《あとがき》
片腕若宮に萌。リタガンに言及ないので左右どちらと書きませんでした。お好みでどうぞ。
一戸建てにしたのは「忠孝様」がぼろアパート住まいじゃ侘びしすぎるから。捏造。
そしてラブラブ度オーバードライブ。
20030128 ASIA