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死者の死せる言葉をもって -Cum Mortuis in lingua mortua-

 



 司令はスロープを登ってくる間中、左腕が気になって仕方がないようだった。真新しい真紅のスカーフ・・・まだ似合っているとは言いがたい。

「・・・司令、お待ちしておりました、実は」

 小隊隊長室に連れて入る。薄暗がりの中モニターに映し出されていたのはダークグレーの軍服を着た・・・前司令、善行忠孝その人。

---《RUN》
 
 画面に向かった新司令は緊張を露にし、それからすぐ不満げな顔になった。なぜ自分たちを置いていったのか・・・彼を問い詰めたいとでも思ったのだろう。


「…おひさしぶりです。どうしました。」

 しかしそんな気持ちを慰撫するように、穏やかな声が流れ始めた。

「にっこり笑うんです。すべてはね、そこから始まるんです。」

 その一言に、司令がはっと目を開いたのが見えた。なにかしら思い当たる事があったのだろう。何度も頷く。俯きがちだった背筋が伸びる。

「よろしい。では涙を拭きなさい。」

 あどけないといっていい年の司令は、涙を拭くと昂然と顔をあげた。口の端を持ち上げて見せる。画面の中の彼も、にっこり微笑んだ。

---《BREAK》

通信は終了した。











 時は遡る。

 一週間前。


 ベッドで小型端末をいじっていた男は、若宮が近づくと顔をあげた。
 花のように白く、青い。
 
 彼が負傷したのは二日前のことだった。当初、彼は誰にも傷の深さを悟らせなかった。帰宅途中、ようやく異変に気づいた若宮が病院まで搬送したが、その時も軽傷と思い込まされていたほどで・・・だが、医者は患部を見るなり匙を投げた。
 
 だが、この人は生きている。肉体は滅びに就けども・・・幼き子らを戦場に残す無念が、魂をなお駆り立てるとでもいうのだろうか?

 回復の見込みがないと聞くや緘口令を敷き、最後まで責務を全うしたいと要求した彼は、もはや必要無いと水すら口にせず眠りもせず、驚異的な速度で書類を決済し親書を綴り・・・上層部と連絡して自らの葬儀の段取りまで決めた。



「・・・手を貸して下さい。これ・・・」
 左手を押し頂くと、彼は多目的結晶にメールを飛ばしてきた。
「なんですかな? これは」
「プログラムです・・・単純な」
 水のように澄み渡った瞳は、どこか遠くを見ているようだ。

「もしもの話です。後任の司令が行き詰まっていたら見せて・・・。文面はいくつか添付しておきましたから、状況で差し換えて・・・。こんなものが必要にならないことを、祈りはしますが・・・」
 瞼を閉じ、息を整える。
「覚えておいて下さい。志気を保つことが部隊運営の何よりの秘訣です。彼らは幼すぎて・・・あなたにしか、任せられな・・・」
 咽せて咳き込んだ。
 掌の中の手は膚は。すでに人らしい温度を失っている。

「僕は。もう、手伝うことは出来ません・・・後は・・・頼みましたよ・・・」
 彼はそこで、にっこりと笑ってみせた。

 結局それが、彼の最後の言葉となった。


 5121小隊の名は九州全土に知れ渡っていた。はみ出し者の集団を辣腕をもって駆リ、奇跡的大勝を続けた指揮官の名もまた、伝説に近いものとなっていた。故に軍の対応は慎重を極める。加えて志気の低下を憂慮した本人の意向もあって、その死は厳重に秘されることとなった。
 彼の突然の失踪は「関東帰還」という形で小隊に伝えられた。










 それから6日。折悪しく幻獣の攻勢があり、出撃は三度に及んだ。
 新司令とて用兵を学びつつあったが、経験不足は如何ともしがたい。戦局は大いに混乱した。後期型志魂号の投入と斥候兵の活躍で勝利を収めはしたものの、以前の危なげないそれからはほど遠いもので。戦死者が出なかった事も、僥倖としか思われなかった。

 傷つけられた身体。戦車。そして誇り。
 日を追う毎に、子供達の顔から笑顔が消えた。


・・・潮時だと思った。


 翌朝、小隊隊長室でプログラムを立ち上げた。
 数十秒待つと、ダークグレーの制服を纏った姿がモニタに映し出された。本人が言った通り、写真を加工しただけの単純なものだが、画像全体が粗く細工されているので、よく目をこらさない限りそうとは判らない。
 それでも写真の出所が分かって、若宮の胸は痛んだ。大陸から戻ったばかりの頃だ。法の庭にあった彼が、謂われなき罪とともに纏っていたもの・・・。


 追憶を振り切ると、とりあえず善行自身が用意したと言う文面をロードしてみる。

「いい方法を教えましょう。にっこり笑って・・・すべてはね、そこから始まるんです。」

 初めて会った時、こんな声の持ち主がいるものかと少々驚かされた・・・深く張りのある声で、申し分のないメッセージが読み上げられた。薄い唇のモーフィングが意外に艶かしく・・・目を奪う。

---《RUN》
---《BREAK》

---《RUN》
---《BREAK》


 二度繰り返した後、若宮は新司令を探しに校門へと向かった。










「よろしい。では涙を拭きなさい。」

 あどけないといっていい年の司令は、涙を拭くと昂然と顔をあげた。口の端を持ち上げて見せる。画面の中の彼も、にっこり微笑んだ。
 通信は終了した。

 
 司令が立ち上がる。部屋を出て行こうとして、入口に立っていた若宮と目が合うと、少々照れくさげながらも、にっこりと笑いかけてきた。目を濡らす雫は完全には乾いておらず、頬もやや強張っていたが、眼差しには今までになかった意志と勇気の火を閃かせ、胸中の覚悟を如実に示している。
 今この時をもって、真の意味での後継者が誕生したといって、よいだろう。

・・・喜ぶべき事なのは判る・・・だが今は。










授業開始まで、まだ一時間ほどあろうか。
一人残された若宮は、ゆっくりとキーを叩いた。


>WAKAMIYA-SENSHI
変換。ENTER。

『ワカミヤセンシ』

数秒のタイムラグの後、死者の声が読み上げた。


>AISHITEIMASU
変換。ENTER。

『アイシテイマス』

電気信号がモニタ上に結ぶ、はにかんだ微笑。
スピーカーから流れ出す合成音の、愛の言葉。

もう一度。


>AISHITEIMASU
変換。ENTER。

『アイシテイマス』

そうだ、たった7音節でよかったのだ。


>ANATAWO,AISHITEIMASU
変換。ENTER。

『アナタヲ、アイシテ、イマス』

なぜ伝える事ができなかったのだろうか。
生きているうちに。あの人に。

 

>DAITEKUDASA---

Delete Delete Delete Delete Delete Delete Delete Delete Delete Delete Delete Delete Delete Delete Delete Delete Delete Delete Delete Delete Delete Delete Delete-----------。

言わせたいと密かに願った一言は。
冒涜にあたるだろうか。
いや。
もう、かまわないだろう?

 
> WAKAMIYA-SENSHI,AISHITEIMASU,EIENNI---

 目の前が曇って、手元が狂った。
 ENTERキーを押し損ねる。
 いやその前に、変換キーを押すのではなかったか。

 
 Beep---
 再入力を求めてきた。

 いや・・・・もういい。もういい。


“ミスター!”

 その名を呼びたい、叫びたいのだが、喉が締め付けられるように痛むばかりで声にならない。キーボードを払い除け机に突っ伏した。涙が溢れるのを、止めることができない。


Beep Beep Beepーーーーーーーーーーーーーーーー
Beep Beep Beepーーーーーーーーーーーーーーーー
Beep Beep Beepーーーーーーーーーーーーーーーー
Beep Beep Beepーーーーーーーーーーーーーーーー
Beep Beep Beepーーーーーーーーーーーーーーーー
Beep Beep Beepーーーーーーーーーーーーーーーー

耳障りなエラー音が鳴り続ける・・・。







*****

永遠に終わらないかと思われたそれは、唐突に止まった。
同時に端末からハードディスクの書き込み音がしはじめる。

 U HAVE KEY
 U GET FILE---

 訝しく思って顔をあげ画面を見れば、マクロが作動してファイルをダウンロードしているところだった。参照先は善行から受け取ったプログラムのディレクトリのようだが、見覚えがない。隠しファイルがあったのか?

 
 LOADING“FOR Y.W”--------OK.

 
 ファイルは例のプログラム用の文書で、保存されると強制的に展開をはじめた。
 ダイアログに自動で打ち込まれていくコマンドライン。
 それは若宮が最後に入力したものと一字一句違わなかった。


 >WAKAMIYA-SENSHI,AISHITEIMASU,EIENNI---

 変換。ENTER。

 数秒のタイムラグの後、死者の声が読み上げた・・・。







*****

5121小隊に、「傷ついた獅子勲章」の小さな箱とともに善行の訃報と二階級特進が伝えられたのは、それから実に一月後のことだった。






《劇終》





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「通信イベントの時点で実は既に。」という不吉な妄想を形にしてみたり。
実際ではイベント発生と同時に彼の生存は確定するはずなのにね。
逆に殺してしまった私は鬼です。ゴメンなさい。
20030117 ASIA