《砂漠》




「石津十翼長。救急箱をお貸りします!」
若宮は手の甲の擦り傷に息を吹きかけながら整備員詰め所のドアを開けた。返事はなかったが、毎度のことなので構わず入る。昼なお暗い部屋の中央に、二つの人影があった。

善行が作業台の脇に立って眼前の少女を見つめていた。
石津は下を向いている。長い髪に覆われて顔はほとんど見えない。

若宮の姿を認めた善行の目が、刹那、泳いだ。
「では十翼長、仕事に戻ってください」
漸く聞こえるほどの小声で告げると部屋を後にした。

若宮は善行の浮かべた表情が、己に焼きついたのを自覚した。
渇いた眼をしていた。
しばらく脳裏を離れないだろうと思った。


*****


日付の変わる頃、若宮は善行のアパートへ向かった。
この時間に訪なう目的は自明でひとつしかない。

出迎えた善行は顔中に疲労を滲ませていたが、拒む気配はなかった。
黙って薄い布団に身を伸べると、若宮を見上げた。

あの時と同じ。
渇いた眼をしていた。


*****


釦が千切れ飛ぶのも構わず、ワイシャツを引き剥いた。首筋から胸に唇を這わせはじめると、それだけで呼吸が忙しくなる。胸の二つの飾りとその周囲が腫れたように紅くほころびはじめた。

しばらく上半身に愛撫を重ねるのが常のところを、ズボンの前立てに手を掛ける。善行は恥じ入り、明かりを消すよう頼んだが、若宮は聞かなかった。抗ってばたつかせた脚を押さえ込み、下着ごと結局全部を取り去ってしまう。
「明かりを・・・」
抗議しようと開きかける口を両手で顎ごと捕らえ、舌を割り込ませる。強く強く吸い、そして時折、息を戻して分け与えた。互いの鼻先が鼻先を掠める度に、痛痒に似た予感が全身を駆け巡る。
善行の体から力が失われ、腕がだらりと垂れ下がった。


*****


声を押し殺し眉を顰めているが、もちろん初めてでも嫌いでもない。
むしろ時に恐ろしいほど執着する。

鳩尾の汗を舌で掬われてまず一度、背を反らしながら善行は達した。浅い息をつきながら、双方の下腹を濡らしたものを舐め取りまた舐め取られる。済むとすぐに、余韻に震える指先で若宮の前髪を掴んだ。有無を言わせぬ強引さで腰の辺りまで引き寄せようとする。
「三度は多過ぎます」
若宮は巧みに躱すと体を裏返させ、後ろから抱きすくめた。


本来用途の違う器官を傷つけまいと、指で確かめながら耳元に囁く。
「ミスター。石津十翼長のことですが・・・」
焦点を失いつつあった善行の瞳に剣呑な光が宿った。
「なんです、こんな、とき・・・あッ」
言い終える前、突き入れられた楔に、鋭く息を飲むのが聞こえた。続いて苦痛と快楽を示す形容詞の断片が唇から零れ落ちる。支えを求めた手がシーツを掴んだ。


*****


明日に差し障りのないようにと優しく揺らし始めると、やや不満気ながら体をあずけて来た。
海の波ほど緩やかなリズムに誘われたものか、善行は眠気を帯びた声で言った。

「・・・わかっています」
「何がですか?」

「彼女が違うことは」
「何とですか?」

はぐらかされたと思ったのだろう。
善行は若宮の肩に爪を立てた。

「痛いですよ、ミスター」
咎めた声は冷静さを保っていたが、実はさほどの余裕はなかった。

ひりつく手の甲と肩の痛みが征服欲を煽り立て、丹田がじんと熱くなる。
十七歳なりの最大の忍耐を示したあとで、若宮は本能に押し流された。
善行はその奔流を全身の肌を粟立てながら受け入れ、自らも二度目の情慾を吐き果てた。


*****


若宮は己の体の下で死んだように動かなくなった男を見つめた。
顔から眼鏡を取り去ると、先より影を濃くした瞼にそっと口づける。

あらん限りを注ぎ込んでこの人を満たそうと、いつも思っているのだが。
お前には出来ない仕業だという声が、何処からか聞こえて来もするのだ。
世界を満たす人間をお前が満たすなど、望むべくもないのだと。

あの女には、それができるのだろうか。
或いはあの女だったら。



ふいに目の前に砂漠が広がった。
これは夢だと若宮は思った。

そこで自分は両の手の平で水を汲み、灌しようと試みている。
だが零しても零しても、跡形もなく砂の下へと吸い込まれていくばかりだ。
水は赤くまた白く、一掬い毎に違う色をしていた。
あたりには、井戸も泉もないのだった。



《劇終》


★20030321 ASIA