池田満寿夫の周囲をめぐってばかりいるお話
池田満寿夫展
北海道立近代美術館(札幌市中央区北1西17)
3月11日まで

(今後の巡回予定):3月16日〜4月8日 盛岡市民文化ホール
             4月14日〜5月20日 熊本県立美術館
             7月20日〜9月2日 福岡市美術館
             9月5日〜16日 大丸ミュージアム・梅田(大阪市)
             9月21日〜10月21日 高松市美術館


 今回の出品作で、筆者がいちばん好きだったのは「宗達讃歌」でした。これほど日本美術を消化した上で制作された抽象美術も珍しいのではないでしょうか。しかし、世界の版画コンクールで受賞しまくっていたころの作品は正直言ってよく分かりません。そこで、彼の芸術を正面から切るのではなく、池田満寿夫美術館の前にあるお堀の跡のように、池田満寿夫の周りをぐるぐる回る文章を書いてみました。


 
反復という手法
 筆者が見ても分かる池田満寿夫独特の手法の一つに「反復」がある。同じモチーフを画面の中で繰り返すのである。「聖なる手1」「姉妹たち」「ヴォーグから来た女」「夏の夢」など、とくに1960年代の版画に顕著である。

 ごくデザイン的なことをいえば、横長の画面に人物一人を普通に入れると、たいていその画面の構図は破綻する。だから肖像画は昔から縦長と決まっているし、テレビや映画の場合は動きを入れたり、2人以上の人物を入れたり、1人だったら端に寄せてほかの図像を入れたり(ニュースなど)、さまざまな苦心をしているわけで、池田満寿夫の場合も、その工夫が画面に独特のリズムを生んでいると思う。

 もう一つ牽強付会っぽいことを書くと、20世紀の芸術はかなりの程度まで、過去の芸術の引用やパロディーから成立している。牛を見て、その感動を(あるいは祈祷の意味合いをこめて)洞窟に直接刻んだラスコーの幸福はもはや存在しない。直接的な表現はほとんどの場合もうだれかがやってしまっており、私たちは過去の芸術を参照しながらそこにある要素をシャッフルして反復するしかないのである。

 ポップアートとは、単なるノーテンキな表現ではなく、新しい表現がもはやないという断念や喪失感が背景に存在するのであり、ウォーホルがあれほど缶を繰り返し描いたり、死をモチーフにしたりしているのはそういう自覚があるからではないか。池田満寿夫は渡米後、ポップアートに惹かれたが、あるいは、彼の反復への強い志向は、無垢な感動を描くことの出来ない地点からの彼なりの逃走手段だったかもしれないのである。そういえば、今回の展覧会の最後に並んでいた水彩の連作「人間のすべて」も、過去の名作からの引用から成り立っていた。
 ただ、面白いのは、同一の画面であれほどモチーフの反復を好んだ池田満寿夫も、自分の画風の反復はせず、どんどん新しい作風と表現分野に挑戦し続けていったことで、このバイタリティーには、いつもグウタラしている筆者としては、まったくもって敬服せざるを得ない。

 
エロティシズム
 伊藤整のチャタレイ夫人裁判など、戦後のエロティシズムをめぐる議論には常に「芸術か猥褻か」という問題のたてかたがあったと思う。「これは猥褻ではなく、もっと高級な芸術であるから許されるのだ」という議論である。しかし、もうこの議論はもはや成立しにくくなっているんじゃないだろうか。高級な芸術とそうでない芸術との区別もつきづらくなっているし、そもそも、どうして猥褻だといけないのかという認識になっていると思う。俗っぽくいえば、世の中が性的なものに寛容になっているというか、制限が緩やかになっているのではないだろうか。

 こんなことを書くと池田満寿夫の芸術を貶めているようだが、彼があれほど受け入れられた背景には、彼が「高級な芸術」としてエロティシズムを表現し続けていたことがあったのではないだろうか。
 まあ、男というのはだいたいがスケベであり、しかし「漫画エロトピア」のエッチなマンガを見ているとあまり自慢できないけど池田満寿夫のエロティックな版画なら「芸術」だから許されるという側面はあるのではないでしょうか。「ヴィナス」シリーズで、裸婦が黒々とした陰毛をたたえているのを見ると、こういう作品を堂々と公立の美術館で公開してなんら問題視されないということにあらためて感慨を覚える。若い人は信じないかもしれませんが、ほんの10年ほど前まで、女性の陰毛というのは表向きには絶対に表現できないものとされており、たとえばテレビの深夜番組やピンク映画で裸の女性が登場するときはわざわざ陰毛を剃っていたりしたのである(かえっていやらしいと思うんだけどな。成人映画には前張りというのもあった。いや、この話題はもうやめよう)。
 ところで、1990年に角川文庫から出た、ヴェルレーヌの詩に池田満寿夫が挿画を付した「女と男」は、すごくいやらしいです。


 
表現分野
 「マルティアーティスト」という形容がこれほどふさわしい人って珍しいんじゃないだろうか。版画、絵画、小説、陶芸、書、映画……。そして、ただ多くの分野に手を出したというだけでなく、それぞれの分野が独立しているのだ、うーん、うまく言えないな。画家が小説を書けば、風景描写がくどくど続く文体になりそうな気もするが(あくまで想像ですよ。たとえば司修の小説がそうだと言っているのでは全然ありません)、彼の「エーゲ海に捧ぐ」は、表面的には美術と関係がない。逆も真なりで、彼の美術作品には文学臭いところが全くないのだ。これってスゴイ!! ことだと思う。

 対談などから派生した人脈の広さも相当なもので、例えば展示室で「加藤周一著作集」を見たときは驚いた。あの簡素な装丁も池田満寿夫の手になるものだったとは!

 ところが、展示室を出ると、彼の本が自伝1冊しか売ってないんだなあ。わたくし、今回の美術展自体には文句はありませんけれど、せっかく著書の多い人なんだから、文庫本とかあそこで売ればいいのに。でも最近の出版事情を考えると案外品切れだったりして。そこは、全国7カ所で巡回展を開くのだから、角川と中公に働きかけて過去の作品を復刊してもらえばいいと思うんです。「エーゲ海に捧ぐ」くらいなら1000部は売れると思うんだけど。だめ? 甘いかな。文学館の本庄陸男とか芸術の森の岡本太郎なんかもそうなのですが、絵はがきとかばっかりじゃなくてもっと関連書籍を並べてくれたらなあって思うこと、よくありますよ。
 


 ★個人的な話
 今回の展覧会について、道立近代美術館の或る学芸員に見どころが何かを聞いたら「図録が安くて豪華なところ」と答えていた。半分冗談だと思うけど、たしかに立派なつくりで、テキストも過不足ないという印象を受ける。しかも安い。北海道に巡回していない作品もかなり収録されている。
 巻末には久米さんの労作である年譜や主要文献一覧が掲載されているが、その文献一覧の最後から三つめに載っている「北海道新聞」の「青春の地に入魂の作品群」は、筆者が書いた記事で、懐かしいなあと思った。彼の急死の直後、長野市松代に完成したばかりの池田満寿夫美術館を訪れた際のルポである。当時はまだ「新世紀エヴァンゲリオン」にハマる前だったので大本営予定地の跡などに行くなどという発想はなくて、筆者は取材の後、美術館の裏手にある古城址でしばらくたたずんでいた記憶がある。北海道生まれの筆者には、城址というだけでエキゾチックなものを感じるのだった。
 松代がいつ長野市に編入されたのは知らないが、市街地には、あの、役場を失ってしまった後のまちに共通する寂しさが漂っていたように思うのは、先入観によるものだろうか(たとえば道内でいえば旭川市東旭川町、深川市多度志町、小平町鬼鹿など)。池田満寿夫が過ごした当時の松代とはたたずまいが違っているんだろうな、と思いながら、筆者は長野電鉄の古びた木造の駅舎で電車を待った。2輌編成の電車は、りんごの果樹園の間を縫うように、五輪景気に沸く長野市外へごとごとと走っていった。  


2001年2月8日


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