■その15【暮らしぶり]
フェリー船上の青年実業家


フェリーで渡った川の支流で朝、沐浴をしていました。
 【バングラデシュ・レポート】
 
 新郎の田舎へ行く中間点。メギナ川のフェリーで3時間も渡らなければいけません。そこでのことです。なかなか船着き場に近づけません。1時間も待っているのです。
インド製のトラックの行列です。我慢できなくなった新郎が降りて行ってしまいました。
帰ってきて怒っています。

 私は、どれもこれも楽しい旅の光景ですから、それはそれで結構楽しみです。なんとトラックの運転手は、ここで一週間も待っているという情報を新郎がもたらしました。私たちはそうはいきません。慌て始めました。「ここのお巡りは最低なんだ。交通整理は真面目にやらないし、賄賂をとって、それを先にしている。おまけに構わず突っ込んでくるから、にっちもさっちも動かない。」 

 帰ってきてバングラのネットで知ったニュースですが、このようなトラックの渋滞のために食料品が腐ったり、経済効果が極めて悪化している地方が発生。物価が上昇した、ということでした。それだったのです。そのため船待ち場では、男のための売春宿も増えているとのことです。日本の江戸時代も渡船場の宿は、それで栄えていたのを思い起こしましたよ。
   なぜ、3時間も川を渡るのにかかるかの話。
 それは、インドが川上にダムを建設してしまい、乾期になると水量が極端に減少。方々に砂州が出現してしまい、1時間半ぐらいの距離、砂州をぬって走らざるを得ないから倍の時間がかかるというわけです。インドとの国境では小競り合いが頻発し、死者も出ているというニュースも後で知りました。
 

 フェリーは鉄の箱船でそれ自体は、動力を持っていません。
浦賀港で修理の艦船を出し入れするのにタグボートが活躍します。それで引っ張っていくのです。ポンツーンに係留するときは、橋桁に箱船をぶっつけるのです。お客も手伝ったりしました。そういう人ってどこにでもいますね。 

 船上では何もすることがないので日本人の私たちは、取り囲まれます。新郎が輪の中心に位置します。なにやら話し始めて、とうとう3時間話し続けました。バングラデシュ人が、うなずいたり時々質問したりしています。一人は、高校の同級生だったことがわかりました。

 8年ぶりの再会だったようです。新郎の姿は、辻説法をする僧侶のようです。実際、そうだったのです。バングラデシュがどんな国に成長していくのが良いのかとか、こんなシステムをどうすればいいのか、人々に説明をしていたのです。青年実業家の熱き思いを語る姿は、感動的でさえありました。中身はバングラ語でわかりませんが、伝わってくるのです。雰囲気が…。彼は、その後、喉を痛めました。
                        ken