現在は鎌倉小町通りにある       T−SIDE
           1996年2月
 なぜ
  バングラデッシュを訪れることになったか


  銭湯が好きな私は、1993年、この日も鎌倉にある銭湯を訪ねた。出てくると小 さなカレーの店が目に入った。好奇心の強い私…看板を見るとバングラデッシュの 文字。
 目が合った外国人青年マスター。カレーを食べるとこれが、スパイシィでうまい。
        それが、この青年マスターとの出逢い。
 その彼が日本人と結婚。日本で言えば仲人、その役をおおせつかり彼のふるさとでの結婚披露に同席することとなったのです。外国旅行は1995年、タイにしか行ったことがない私たち夫婦にとって、晴天の霹靂でした。


【バングラデッシュ・レポート】■その1

 「バングラデッシュについての情報の少なさ」

 バングラデッシュに行く前にこの国の情報を得ようとしてインターネットの
「YAHOO等」にアクセスしましたが、4件しかでてきませんでした。それもあまり有
効な情報ではありませんでした。要するに情報のあまりない国ということなんだと思わ
ざるを得ませんでした。そのうち忙しくなって調べずじまいでの出発。
 でも、帰国した今、「バングラデッシュで暮らすために」という在留日本人の個人的
なインフォメーションをバングラデッシュで読みましたので、それを元にまず、報告し
ましょう。
 
・バングラデッシュは、日本の国土の5分の2ほど。そこに日本と同じ人口の1億人
あまりが住んでいます。貨幣の単位は「TAKA」です。日本円との比較は、日本はバン
グラデッシュの3倍。1TAKA=3円ぐらい。現在は、1$=45TAKA =\130という
状況です。これだけでは、なにがどのように買えるかがわかりませんから、次のように
実際をあてはめてみました。
  
 教員の給料が3000taka=¥9000あれば、普通に暮らせるそうです。1.5q
ほどの距離を力車(人力車であって、日本人が持ち込んだ=小学生の頃、ベースのどぶ
板通りでアメリカ人を乗せていた三輪車を思い出した=自転車の後輪が二つある)に乗
って4taka=\12.。2takaで一番安いお菓子が買えます。

 国土の東西の距離は、250qぐらいです。「ボランティアの宝庫」と言われるくら
いの国です。貧富の差は極めて大きく、最下位は、路上生活、次はスラム、縄文時代の
生活。トップは、パソコン、洗濯機、炊飯器、掃除機、モダーンキッチン、日本の普通
と言われる家庭よりも生活水準が高いです。
                                
      あと説明は色々ありますが、このくらいの状況を前提にして
      これからレポートをしていきます。

                    1996年 3月記 ken