
♪柱のキズはおととしの五月五日の背くらべ ちまき食べ食べ兄さんがはかってくれた背のたけ きのうくらべりゃ何のことやっと羽織のひものたけ
五月五日は、子どもの日。
「背くらべ」という童謡は、今はあまり歌われなくなったが、私は、五月五日になるとこの歌を思い出す。
作曲したのは「シャボン玉」「証城寺の狸囃子」など野口雨情とのコンビで数々の名曲を世に出した中山晋平だが、作詞の海野厚はあまり知られていない。
海野厚は、明治三十九年(1896年)、静岡県に生まれ、旧制静岡中学から早稲田大学に学んだ。
新聞に投稿した詩が北原白秋に認められ、短い間だが童謡作詞家として活躍した。
この詩をつくったとき、海野厚は早稲田の学生であった。
家族の話によると、夏休みや冬休みに帰郷すると弟たちを柱のそばに立たせて背丈を測ったそうである。
厚は、この歌をつくった年は体調が悪くて帰省しなかった。だから「おととし」なのである。
そしてこの「背くらべ」の次の年には永遠に故郷に帰ることができなくなってしまった。肺結核におかされていたのである。
作曲した中山晋平は、「当時『背くらべ』と北原白秋の『アメフリ』の作曲にとりかかっていたが、海野の病状を知り、この曲を優先して作曲したということである。
海野厚は、大正14(1925)年、28才の若さでこの世を去った。
結核が死に至る病であった戦前には、多くの前途ある若者が結核のためなくなった。
石川啄木26歳、宮沢賢治37歳、中原中也30歳、村山塊多22歳、滝廉太郎24歳等。