目黒先生旅日記・2011年 旅日記も11年目になりました。



2011年になりました。
この旅日記も11年目です。
今年もお楽しみにぃ〜♪★♪★〜

支笏湖。前方の山は札幌冬季五輪で滑降のコースとして使われた恵庭岳。

★★2011年10月号

「北海道/支笏湖・北海道大学・大倉山シャンツェ・羊ヶ丘の旅編」

10月24日から二泊三日で北海道に行ってきました。札幌は3年ぶりです。
今回の旅の目的は札幌市内に所有しているマンション、といっても区分所有ですが、の店子が家賃を滞納したまま突然いなくなってしまいました。 トホホ。
それで、部屋がどうなっているか急遽見に行ってきたというわけです。
貸していたのは中国人なんですが、コヤツが不法滞在で中国に強制送還されてしまったのです。
部屋は予想に反してきれいに片付いていました。
雑然としていると思っていたのでちょっとビックリです。
リフォームの打ち合わせもしてきました。
次は中国人以外の人に貸したいと思っています。
やはり、北海道に来たからには観光もしなくちゃというわけで、支笏湖、北海道大学、大倉山シャンツェ、羊ヶ丘に行ってきました。
今をイヌ、じゃなくて、ネコ?でもないな。
ほら、イヌと仲の悪い動物、犬猿の仲っていうじゃない。
そうそう、サル、今を去ること四十年数年前(なんやねん、それ!)10日間ほど、大きなリュックを背負って、 友人と二人で北海道を旅行しました。
その頃、リュックが横にはみ出していて、列車の通路を通るとき、横歩きでなければ通れませんでした。
まるでカニが歩いているような姿から北海道を旅行する若者はカニ族と呼ばれていました。
支笏湖はカニ族で旅して以来です。
昔のイメージと変わってなくて、懐かしかったです。
支笏湖では丸駒温泉に入ってきました。
ここには風呂と湖畔が石垣で仕切られている有名な露天風呂があります。
深さは140センチもあります。
TVで紹介されていますので、ご存じの方もいると思います。
支笏湖を眺めながら入る風呂はなかなか乙です。
札幌では北海道大学に行きました。
北大は日本一広いキャンパスをもつ大学です。
誰でも自由に入ることができます。大学生に混じって、観光客や散歩する人、保育園児の集団もいました。
もし、もう一度大学受験ができるなら、合否はともかく私は絶対北大を受けたいと思います。
北の大地で生活したいとずっと思っていました。
私の友人に北大を3回も受けたいう豪の者がいます。結局、受からなかったんですが…。
今、ヤツは行方不明になっています。おーい、山ちゃん、このブログ見てたら連絡下さい。
北大の学生食堂でラーメンを食べました。
味は日光の手前です。今市です。ウマイね。山田くん、ザブトン一枚やって!
最後に訪ねたのが羊ヶ丘です。
北海道といえばクラーク博士です。ここ羊ヶ丘にはクラーク博士の銅像があります。
クラーク博士が札幌農学校を去るときに学生に言った言葉「ボーイズ・ ビ・アンダーシャツ」は有名ですね。
少年よ、北海道は寒いので、必ず下着を着なさいという意味です(そんなわけないだろ!)
羊ヶ丘の近くには札幌ドームがあります。
クラーク像の左下に見える銀色の建物が日ハムの本拠地札幌ドームです。
次回はドームで野球を見たいと思います。
日本ハムファイターズは二番目に好きなチームです。
よくやったぞ日ハム!他の球団が巨人に遠慮しているなかで、日ハムは敢然とドラフトで東海大の菅野を指名しました。
凄いぞ日ハム。でも今日のCSは逆転負けでした。うーん、残念。
巨人の傲慢さがプロ野球をダメにしているのです。ドラフトで誰を指名するかは自由です。
日ハムはエライ!でも、私がいちばん好きなのは東北楽天イーグルスです。
東北人なら当然です。



米沢城のお堀端

★★2011年9月号

「米沢の旅編」

上杉鷹山って知っていますか?
鷹山は米沢藩15万石の大名です。
鷹山の名前が世間に知られるようになったのは、アメリカ大統領のケネディがそもそもの発端です。
新聞記者から「日本で尊敬できる政治家は誰ですか?」という質問に、ケネディは「上杉鷹山です」と答えました。
それまで上杉鷹山は歴史好きの人なら知っていましたが、一般には無名でした。
鷹山は、米沢藩第9代藩主、諱は治憲ですが、隠居後は鷹山と号しました。
巨額の赤字に苦しむ藩の財政改革に成功した名君です。
今の日本に必要なのは鷹山のような政治家だと私は思うんです、野田さん。
事業仕分けで、建設が中止されたはずの公務員宿舎、いつのまに復活したの?
財務大臣だったあなたがサインしなければ復活しなかったはずですよね。
改革は率先垂範です。
鷹山は、一汁一菜の粗末な食事、木綿の着物を着て、自ら範を示しました。
是非、野田総理、国民に政府が自ら率先してお手本を示してください。
さて、9月16日、残暑厳しい朝、会津只見から数年間に開通した大峠を通って、米沢へ行きました。
途中、喜多方でラーメンを食べましたが、只見の山六食堂のラーメンの方がおいしいと思いました。
大峠を降って、しばらく行くと、「左小野川温泉」という標識があったので、小野川温泉に立ち寄ることにしました。
小野川温泉はその昔、有名な美人小野小町が入った湯だそうです。ホンマかいな。
共同湯の尼湯に入りました。入浴料200円です。安っ!。
湯は透明で臭いはありません。
ただ、50℃近くあって熱いんっだって、これが。熱湯CMじゃないんだから。
その後、米沢城に行きました。
写真が米沢城のお堀端です。
石垣や堀は残っていましたが、天守閣などの建物は残っていません。
私、米沢は2度目ですが、最初に訪れたときはもう30年ぐらい前で、その時は上杉廟を見学した記憶はありますが、米沢城は初めてです。たぶん。
米沢といえば、最近では鷹山よりも直江兼続ですね。大河ドラマの影響って大きいな。
鷹山の残した有名な言葉があります。
「成せばなる 成さねばならぬなにごとも ナセルはアラブの大統領」って…古いね、どうも。
「山田くん、ザブトン一枚とって!」ジャンジャン。
ところで、話は変わりますが、私、海江田万里が総理大臣にならなくってホントよかったと思っています。
だって、海江田万里、総理って、漫才師みたいじゃん。終わり。



中国・大連の駅前

★★2011年5月号

「中国/大連・旅順の旅編」

5月末に中国は大連、旅順に行ってきました。
クイズです。
世界的な指揮者小沢征爾、映画監督山田洋次、女優浅丘ルリ子、元プロ野球選手でタレントの坂東英二の共通点は何でしょう?
梅宮辰夫も歌手の加藤登紀子もそうですよ。
「みんな、70代!」違う、違う!
加藤登紀子は60代です。
正解は満州生まれの有名人です。
戦前、満州(現在の中国黒竜江省、吉林省、遼寧省)は日本の植民地でした。
歴史で勉強しましたね。
大連は満州の玄関口にあたる港町です。
5月末に、大連、旅順を訪ねました。
なぜ、5月末かというと、アカシヤの花が咲く時期にあわせたからです。
団体のツアーで行ったのですが、ツアー客の多くはリタイアした夫婦です。
一人は私を含め男性3人、合計31人のツアーですが、その中に、茨城と栃木県から来た男性5人がいました。
なんと、この人たち、毎年、来ていて、今回が8回目だそうです。
昼のバスで巡る観光は退屈そうにしていた5人のおっさん、夜はスナックに行くんだと生き生きしていました。
毎年、来るかね。
もしかしたら麻薬の運び屋?と思ったのは私だけでしょうか?
まっ、それはともかく、大連はとても魅力的な街です。
まずは気候のよさです。
気温は東京とほぼ同じです。
違うのは湿度が低いこと、だからとてもさわやかです。
日本の統治時代は、レンガの建物とアカシヤの並木の美しい街だったそうです。
清岡卓行の芥川賞受賞作「アカシヤの大連」にも大連の美しさが描かれています。
そのアカシヤの並木は現在も大連の象徴ですが、残念ながら、古いレンガの建物は取り壊され、高層ビルに変わっています。
写真は大連の駅前です。
車の量の多さにも驚かされます。
この写真を見ただけでも中国の経済成長の凄さがわかりますね。
大連は、もう一度、行きたいと思わせる魅力的な街です。
特に、歴史好きにはたまらないです。




松山城

★★2011年3月号

「春うららの四国―松山―の旅編」

こんばんワン 目黒です。
家族の白い目を気にしつつ、遊びまわっています。
まあ、これも農作業が始まるまでです。
さて、今回の旅は四国―松山・高知―です。

春や昔 十五万石の 城下かな 子規
今回は、正岡子規の故郷松山と坂本龍馬の高知を旅してきました。
東日本大震災の自粛ムードのなか、行くかどうか迷いましたが、行くことで経済を拡大させることができると考え、予定どおり行くことにしました。
まあ、そんなに大げさなことでもありませんが、自粛はいけませんよ。日本経済が縮小します。
ところで、私、昔から西の方はあまり好きではありません。
理由は単純、暑いのがダメ…という猫舌人間なんです。(そんな言い方はない!)
四国は、高校の修学旅行で行った高松しか知りません。(古いねどうも)
昨年あたりから西へも行ってみようと思うようになりました。
なぜかって?それはですね。大好きな歴史がそこにあるからです。
で、今回は愛媛と高知というわけです。
松山は子規の句にあるように、久松松平氏十五万石の城下町です。
久松松平氏は家康の異父弟の大名です。
代々藩主には松平定○という名前をつけます。
NHKに松平定知アナウンサー(昔、タクシーの運転手に乱暴したお人)という方がいますが、もちろん、久松松平氏(の分家)です。
ニックネームは「お殿様」だそうです。どうでもいいか。
ところで、現在、日本に天守閣がいくつあるか知っていますか?
正解は12です。
えっ!そんなに少ないの!と驚かれるかもしれませんが、本当です。
厳密にいうと、明治以前からあるのはわずか12です。
それ以外の多くは、観光用に戦後再建されたものです。
日本人は新しいものにすぐに飛びつきますが、古い物はあっさりと捨ててしまう習性があります。
そのため、多くの城は明治にはいると取り壊されてしまいました。
残った12のひとつが写真の松山城です。
松山城は平山城(標高160m)です。
これも近世の城としては珍しいです。
市内からはロープウエーかリフトで行くことができます。
私?もちろん、歩いて行きました。当然です。
松山城は普段なら「桜祭り」の時期なんですが、今年は中止だそうです。
西日本は自粛しなくていいのに…と私は思います。
松山城を見学後、路面電車で道後温泉に行きました。
道後温泉は聖徳太子や漱石はもちろん、かの「坊ちゃん」も入った有名な温泉です。
湯銭420円(これは安い!)子規のエピソードもたくさんあるのですが、それは後日ということで。
終わり



「リゾートしらかみ」の車窓からガラス越しに撮った冬の日本海

★★2011年1月号

「大寒の青森・秋田の旅編」

大寒の中、青森、秋田へ行ってきました。
こんな寒い時期に、なんて物好きなとおっしゃるかも知れませんが、わけありなんです。
JR東日本に「大人の休日倶楽部」というのがあります。
かの吉永小百合様がCMしているやつです。
この会員パスで1月下旬の3日間JR東日本乗り放題、もちろん新幹線も、というのありまして、まあ、観光客が少ない時にJR東日本がやっているわけなんです。
うまい手ですね。
そんなわけで、1月23日「はやて」で青森へ。
チョー、早いやないけ、3時間ほどで新青森駅じゃん。
青森駅からバスで三内丸山遺跡へ。
ここは日本最大の縄文時代の遺跡が発掘されたところです。有名ですね。
でも雪に覆われていて、物見櫓らしきものくらいしか見られません。
寒いので早々と引き上げ、近くの青森県立美術館へ移動、青森出身の芸術家といえば棟方志功ですね。
その後、2時41分のバスで新青森駅に戻ろうとしたら、バスが来ないんだ。来たのは3時半は過ぎていました。
「バカヤロー、寒空の下待たせやがって」と心の中で叫びました。
駅に着くと、雪で在来線のダイヤがメタメタです。
なんとか弘前へ。今日はここで泊まります。
翌日、今回の旅の最大の楽しみの五能線です。
「リゾートしらかみ」に乗車します。全席指定、しかも平日にもかかわらず満席です。いるんですなご同輩が。
車窓から眺める冬の日本海は素晴らしいの一言です。
写真がガラス越しに撮った冬の日本海です。
約4時間で秋田着。二日目は秋田泊まりです。
最終日は奥羽本線で秋田県横手市をめざします。横手はニュースでご存じのように大雪です。
雪のために到着が遅れ、急遽「後三年の役資料館」に行き先を変更し、バスに乗りました。
後三年の役とは11世紀末、東北地方の豪族清原氏と源氏中興の祖八幡太郎源義家が戦った合戦です。
この戦いで源氏と関東ブス、じゃなかった関東武士団との絆が結ばれました。
また、義家に協力した藤原清衡が奥州藤原氏の基礎を築くきっかけとなった戦いです。
こじんまりとした資料館ですが、歴好きな私は興味深く見ました。
その後、バスの時刻を見ると大曲雪、それは間違いない!もとい大曲行きのバスが時間的にちょうどよかったので大曲に、ケガの功名というやつで、これが幸いしました。
ほんとは横手から奥羽本線で新庄に行き、そこから山形新幹線に乗る予定が、雪のトラブルで奥羽本線が動いていなかったのです。
運がよいことに大曲は秋田新幹線が止まります。
新庄まで行けないので、大曲から秋田新幹線に乗り帰ってきました。
横手焼きそばが食べられなかったのが残念です。
ホント、大雪でメッタメッタな旅でした。




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