目黒先生旅日記・2007年



2007年になりました。
この旅日記も、なんと!!7年目に突入です!
今年もどんなところが紹介されるのか楽しみですね〜♪〜♪

中尊寺の金色堂

★★2007年12月号

「岩手県平泉への旅」

今回は岩手県平泉への旅。
そう、平泉といえば平安時代に奥州藤原氏の都があった場所です。
大宮発6時30分発「やまびこ1号」に乗って一路一関へ、車内ではすぐに熟睡、なにしろ朝が早かったもんで。
一関から東北本線普通列車で平泉へ着いたのが9時ちょい過ぎ。
いやあ、それにしても速いもんですね。
初めて岩手県を訪れた時は上野発の夜行列車で行ったものです。(それって、いつの時代? ほっといてくれっ!)
中尊寺は、平泉駅から歩いて約20分、小高い山の中にありました。
本堂をはじめ、たくさんのお堂がありましたが、なかでも有名なのが金色堂です。
金色堂は屋根を除いたすべてが黄金色です。
よく写真で目にする金色堂の建物は、金色堂を覆っている建物だということがわかりました。(写真)
金色堂の中には、阿弥陀如来などの仏像がある戒壇の下に、藤原氏四代(清衡、基衡、秀衡、泰衡)の遺骸が安置されています。
ふんだんに金が使われている金色堂の華やかさから奥州藤原氏の豊かさと栄華がわかります。
昭和25年に発掘調査した時に、基衡は6尺豊かな大男だったこと(約180p)また、奥州藤原氏には蝦夷(えみし=アイヌ系)の血が入っていると思われていたが、 純粋な大和民族しかも公家に近い血筋であることがわかったそうです。
   五月雨の 降り残してや 光堂 芭蕉
それにしても土曜日で晴天だというのに、観光客が少ないねぇ。そりゃそうだわ。12月ですからねぇ…。とっくに観光シーズンは終わってますって。
さて、次に行ったのは義経終焉の地となった高館です。
小高い丘から間近に北上川の優雅な流れが見られます。
しばし、義経の悲劇を思い、中世の感慨にふける。それから500年後に芭蕉がこの地を訪れました。
   夏草や 強者どもが 夢のあと 芭蕉
おっと、こうしちゃいられない。なにせ、日帰り旅なもんで。
一関に戻って、今度は大船渡線に乗ろうと思ったのですが…。
日に数本の典型的なローカル線、時間的に無理とわかり、予定を変更。
平泉にある日帰り温泉「悠久の湯」に入りました。それにしても寒ーっ!。歩いて歩いてもうへとへとです。
でもそんなの関係ねぇ!、翌日には長野から黒姫に行ってきました。 小林一茶記念館を見るのが目的です。
一茶が晩年を過ごした土蔵にも生きたかったのですが、時間が…。この日はみぞれまじりの寒い日でした。
   これがまあ ついの栖か 雪五尺  一茶
そんなわけでひたすら鉄道になった旅でした。さて、次回はどこへ行こうかな?

(あるじより)12月の岩手は寒そうですね〜。
        旅日記の最後に日帰り温泉に入って帰るパターンが多いようですが・・・
        日帰り温泉シリーズのサイトもUPできそうですね(笑)


高麗の巾着田・彼岸花(別名:曼珠沙華)

★★2007年9月号

「ヒガンバナを見に高麗の里の旅」

来年の夏はハワイに避暑に行こうかと思っている目黒です。いやー、それにしても今年の夏は暑かったわ。 よく「暑さ寒さも彼岸まで」と言われますが、今後は「暑さは体育の日、寒さは腱国記念日まで」に改めたほうがいいと思います。
まあ、そんなわけで(どんなわけや!)9月25日(火)が振り替え休日になりましたので、高麗の巾着田に彼岸花(別名:曼珠沙華)を見に行ってきました。 
写真を見ていただければわかるわかるように、あたり一面真っ赤な絨毯を敷きつめたような彼岸花の大群落、それはみごとなものでした。
昔の人は、彼岸花を「死人の花」といって嫌ったそうですが、さもありなんという光景です。
この時期になると、毎年巾着田がTVで放映されるようになり、休日には観光客が押し寄せ、大渋滞になります。
幸い、平日に行ったのですが、それでもけっこうな人手でした。
高麗は、千川中学校に赴任して、1年生の遠足で初めて行った場所です。今回はそれ以来ということになります。
高麗川の河原でカレーをつくったこと、生徒が体操着のまま川に飛び込み、あっという間にほとんどの生徒がずぶ濡れになったことなどを思い出しました。
それから幾星霜、高麗川の水が今もきれいだったことにちょっと驚きました。
帰りに八高線に乗り、恥ずかしながら鉄道オタクで、特にローカル線に乗ることが大好きなんです。
車窓から武蔵丘陵を眺めているとかっては豊かな実りをもたらしてくれた田んぼや畑が耕作されることなく放置されたままになっているのがショックでした。
時代の担い手がいない日本の農業はどうなってしまうんでしょうか。そんなの、カンケイネェー!じゃすみません。
さて、次はどこに行こうかな。10月末に宮城の鳴子温泉の紅葉かまたは岩手の平泉と銀河鉄道の旅を考えています。

(あるじより)高麗川の河原でカレーをつくったこと、確か中1の時ですよね。私も思い出しました。
        中1の担任の先生は、体育のと〜っても怖い先生でした(笑)
        中学に行ったのを思い出して、そういえば20代の頃はよく高麗川にバーベキューに行きましたよ〜。
        豆まきの時に年の数だけ豆食べるといいますが、本当に年の数だけ食べたら、もう鼻血が出るような年になりました(笑)


上高地の景色

★★2007年8月号

「日帰り上高地の旅」

梅雨が明けた8月1日、日帰りで上高地に行ってきました。
上高地に日帰りで行けるというのもすごいね。梅雨明け10日という言葉どおりの快晴です。
こんなにいい天気は一年に何日もないと地元の人が言っていました。
私にとって久しぶりの上高地です。
若い時はここから穂高や常念岳に登ったものです。
その頃は新宿からアルプス号という夜行の急行に乗って行きました。
しかし、残念なことに急行アルプスは今はありません。
上高地は、国立公園のため、新たに建物をつくることや環境を破壊することが禁止されているので昔と少しも変わっていないのがいいですね。
ただ、焼岳は、昔は噴煙を上げていたはずですが、それが見えないのが違う点かな。
大正池から河童橋まで歩くことにしました。
歩いていると、人だかりがします。なんと、10mくらい先にツキノワグマが…。
長い間、山に行っていると、いろんな野生動物にお目にかかりましたが、ツキノワグマは初めてです。
最近、山にはいると「熊に注意!」という立て看板が至る所にあり、中にはこんなところにもという場所もあるのですが、見たのは初めてです。
子グマらしいのですが何かを一心に食べていました。
さて、梓川の河畔に数軒の宿があります。
そこに「温泉日帰り入浴可」という看板があったので、600円を出して入ってきました。これも昔はなかったかな。
このあたりは、かの有名な白骨温泉、入浴剤を入れていたと話題になった、が近くにあるので乳白色の湯かと思っていましたが、透明な単純泉でした。
入浴後、河童橋をめざして歩いていると、ソバナとかキンミズヒキ、マルバダケブキなどの花が咲いていました。
河童橋からは奥穂から前穂の吊り尾根(写真)がくっきり見えました。
今度、上高地に来るときはぜひ穂高に登って見たいと思いました。

(あるじより)ツキノワグマに遭遇なんて、ビ・ビ・ビ・びっくりです!!無事でなによりでした・・・


城址公園内にある致道館博物館

★★2007年5月号

「藤沢周平の故郷―鶴岡の旅―」

5月21日、山形県鶴岡市に日帰りで行ってきました。日帰りです!
鶴岡はいつか行ってみたいと思っていました。
藤沢周平の小説に出てくる海坂藩のモデルとなったのが鶴岡です。
映画「たそがれ清兵衛」「武士の一分」の舞台となった町といったほうがわかると思います。
現在、城跡は公園になっており、市民の憩いの場です。
公園内にある致道館博物館を見学しました。
致道博物館の建物は明治時代につくられた郡役所だそうです。(写真参照)
いかにも明治時代の建物らしくハイカラ(死語ですね)です。

藤沢周平の生まれた場所にも行きたかったのですが、時間の関係で…残念。
藤沢周平が2年間という短い期間勤めた中学校(現在は湯田川小学校)の敷地に、記念碑があります。

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教え子たちが還暦近くになったことをきっかけとして
「藤沢周平先生記念碑」を建てようということになった。
最初は碑の建立に反対していた藤沢も、教え子たちの
「この碑は教え子みんなで建てる、先生だけの記念碑でなく、
先主と教え子「みんなの記念碑としたい」との熱意に負けて、
建立を許したそうです。
ただし碑は後々残るものだからと
「みんなに迷惑をかけないように。余り目立つものにするな。
余り無理するな」と3つの条件を出されたそうです。
そして、碑が完成し教え子たちが集まりました。
藤沢も参加する予定で、みんなに会えるのをとても楽しみに
していたそうでが、体調が悪く欠席。
除幕式には次のようなメッセージが送られてきました。

『教え子の顔を久しぶりに見るのを楽しみにいたが、
出席できず残念です。
短い教師生活だったのに、記念碑まで建立していただき、
面はゆくも感謝しています。』
その後、藤沢周平は、かねてより悪化していた肝不全で、
平成九年、六十九歳の若さで、みんなに惜しまれながら亡くなった。
葬儀に駆け付けた教え子万年は『あれだけの大作家だったので、
葬儀に参加出来るのだろうかと思ってましたが、
『教え子は子どもと同じだから、葬式には最後まで付き合ってもらいなさい』と
奥さんに伝えていたそうで、最後まで見届けてきました。
最後まで心のやさしい人でした。」と語っている。
最後まで、教え子のこと、ふるさと鶴岡のことを気に懸けていた藤沢周平。
今改めて藤沢周平の作品にてみてはいかがでしょうか。
  文芸春秋「藤沢周平のすべて」の記事より
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帰途は陸羽西線というローカル線に乗りました。
鉄道オタクの私は特にローカル線が大好きなのです。
まばゆい新緑の中を走る2両編成のジーゼル車で新庄まで行き、そこから山形新幹線に乗って帰ってきました。
鶴岡には湯田川、湯野浜という温泉もあり、雪を抱いた月山も見られるし、近くには「おしん」で有名な酒田市もあります。
庄内なかなかいいところです。
鶴岡には庄内空港がありますので、飛行機で行くこともできます。

(あるじより)鶴岡に日帰りとは・・・。強行スケジュール??
       かと思いきや、ローカル線を楽しむなど、充実した1日ですね!
       でも、「ハイカラ」は死語です(笑)




★★2007年4月号

「信州高遠のサクラ」

4月14日(土)かねてから見たいと思っていた高遠のサクラを見に出かけました。
高遠は、内藤氏3万3千石の小さな城下町です。
現在は平成の大合併で伊那市に併合されました。
また、元禄時代、絵島生島事件のヒロイン絵島が流された地として知られています。
夏の高遠は訪れたことがあったのですが、その時は観光客が皆無でした。
やっぱり、高遠はサクラですね。
さて、今回は某旅行社の日帰りパックツアーです。
長野新幹線で上田へ、そこからバスで高遠へ向かいます。
本日、ぽかぽか陽気の晴天、絶好の花見日和です。
しかし、しかしです。こんな日は、他の人も同じことを考えます。そうだ、高遠に花見に行こう、って。

諏訪から杖突峠を越え、高遠をめざしますが、途中からバスは大渋滞です。
「バカヤロー、車なんかで来るんじゃねぇーよ!」と思わず怒鳴りたくなりました。
渋滞にはまって1時間半…。おかげで昼食はバスの中で食べるはめに。
で、なんとか駐車場に到着し、高遠城趾に。
ついてる!満開じゃあーりませんか。
高遠のサクラは、コヒガンザクラという種類で、ソメイヨシノに比べ、小ぶりでピンクの色が鮮やかです。
ここには1500本のサクラが植えられています。
いやー、それにしてもすごい人、人、人です。さすがですね。
2年前に弘前のサクラを見に行った時もすごかったのですが、こちらもなかなかです。
仮設トイレがあちこちにあるのですが、女性用は長蛇の列です。
男でよかった。
駐車場も近くの中学校の校庭や、なんと!河川敷まで車で埋まっています。
そんなわけで、サクラを見物したあとは、伊那から高速に、松本を通って、再び上田へ到着。
上田城の夜桜を見物して、帰宅の途につきました。
妖しいまでサクラの美しさ、梶井基次郎は、サクラの下には死体が埋まっていると書いていましたが、いやー、ホントにそのとおり、美しさに感動した高遠のサクラでした。



(あるじより)高遠ってNHKでやってる大河ドラマ「風林火山」にもでてきてますよね。
       山本カンスケ役の内野聖陽ファンで毎週みてます(*^^)v
       桜とは関係ないか(笑)


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