目黒先生旅日記・2004年編




2004年になりました。
この旅日記も4年目に入りました。
早いですね〜
毎回の写真でその季節を感じることができ、くだらない(?)失礼!!ダジャレ?昔話?格言?も楽しみのひとつ。
今後も変わらず旅日記を通して、いろいろな場所を紹介していきますね!
そして今年も・・・(不) 定期刊行です。
あしからず。



★★2004年8月号


「江戸時代にタイムスリップした大内宿」


福島県南会津に大内宿という集落がある。
ここはかって会津西街道の宿場として栄えた。
江戸時代の大内は、街道を通る物資輸送のために、各家が荷継ぎの馬を持ち駄賃稼ぎをしていた。
旅人を泊める宿屋があり、大名の参勤交代のために本陣もあった。
しかし、明治17年、大川沿いに新しい道がつくられたこどで、村は経済的な打撃をこうむった。
国道の開通によって時代の波から取り残された大内の集落は宿場としての使命を終えた後、人々は家を建て替える経済的な余裕がなく、農業や炭焼きでほそぼそと生計を立ててきたのである。
しかし、なにが幸いするかわからない。
今では不景気にも関わらず観光客が年々増加し、休日ともなると、狭い山道は車で大渋滞となる。
私も会津の人間だが、実をいうと大内宿を見学するのは今回が初めて、灯台もと暗しとはまさにこのことだ。
福島県田島町から会津若松にいたる国道121号線湯野上温泉から大内宿入口と書かれたせまい山あいの道を4qほど登ると小さな盆地に出る。
同じつくりの旅篭が建ち並ぶ様はまるで江戸時代にタイムスリップしたようだ。
しかし、残念なことはかっての旅籠が民宿を営むことは理解できるが、ほとんどの家が土産物を売ったり、そば等の飲食物をあきなっていて、観光地ずれしていることだ。
桃源郷に俗化したお土産はふさわしくない。
世界遺産に指定された岐阜県の白川郷は土産物屋が集落の入口の一箇所しかなく、合掌造りの民家は現在も人が居住し、人と家が一体化していて生活のにおいがした。
大内宿も土産物屋を一箇所にし、旅籠は民宿だけにすればよいと思うのだが、お土産で生計を立てている人たちは賛成しないのだと思う。
江戸時代の宿場がそっくり残った大内宿、ぜひ一度訪れて見てください。
近くに湯野上温泉や芦ノ牧温泉もあります。
ただし、五月の連休や紅葉の時期の三連休は避ける方が賢明です。
今回は、まじめにきめてみました。

(あるじより)今回はいつも“ステキ”なダジャレがなくて残念・・・・・。





★★2004年3月号


「春うららの金沢」


 毎年この時期になると、旅に出たい、何が何でも出たい!と感じる今日この頃です。
というわけで、3月13日(土)に、たった1泊ですが北陸は金沢へと男3人、旅だったというわけです。
何を隠そう(隠してないって!) 金沢は、私が大学1年の春、うーん何年前だ?あまり昔で思い出せない。
ふらり、一人旅で訪れた思い出の地です。
覚えているのは兼六園、卯辰山、室生犀星の歌碑等々。
そういえば、当時は北島三郎の「加賀の女」という歌があったなあ。
「君と出会った香林坊の…」後は忘れた。ちなみに香林坊というのは金沢の繁華街です。
金沢といえば、日本三名園の一つ兼六園、兼六園の冬の風物詩は雪つり。松などの古木が雪の重みで折れるのを防ぐために、木の中心に棒立てて縄で枝をささえるのである。
さすが雪国、3月なのにまだ雪つりがあった。
さてさて、今日(14日)はまさにハルウララじゃなくて春うらら、北陸は寒いだろうと思って厚着をしてきたがみごとに外れた。
金沢城もあの頃は石川門しかなかったが、今は立派な公園になって建物もいくつか復元されている。さすが、観光地。
写真のようなレトロな観光バスも走っている。
夜はおきまりの加賀料理、治部煮、ゴリの唐揚げを食べたが、なんだ、なんだ、こりゃ、ゴリなんて、子どもの時に川で採ったカジカじゃねえか。
ワカサギよりも小さなヤツが二つで900円か、高けーなあ。
イサザの踊り食いというヤツも試したが、イサザというのハゼ科の小魚である。これを生きたまま酢醤油で食べるのである。
これにはイサザか驚いた。ホントかね。
よーく見てみると、金沢には絶滅寸前のガングロ女や超ミニの女子高生等の変な若者がいない。中途ハンパに東京の悪いところだけをまねている茨城だとか栃木のようなヤツがいないのがイイ。とても健康的な街だ。日本もまだ捨てたもんじゃないな。
ウン。
てなわけで、思い出の地金沢の旅は天候にも恵まれ楽しい旅でした。

(あるじより)そういえば最近はガングロの女子高生みかけませんね。でも、たまぁ〜に渋谷あたりに数人・・・。



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