目黒先生旅日記・2003年前半編



2003年になりました。
昨年の旅日記の発行は全6回でした。
1年は12ヶ月だったような・・・・・。
お仕事忙しいのですね。
なんだかんだいって、このコーナーも3年目となりました。
これからも旅日記を通して、いろいろな場所を紹介していきますね!
今も昔も変わらず山好き好き!!スキー好き好き!!の旅日記のコーナー。 定期刊行を望んでるのですが、今まで通り先生の気まぐれ月のみの発行となりますので、あしからず・・・



2003年2月号


2月15日(土)ポカポカ陽気に誘われて、今年初めての山行とあいなりました。
冬は日だまりの山というのが私の流儀、そこで今回は雪のない東京、神奈川、山梨の県境に位置する三国山、生藤山(しょうとうさん)、醍醐丸の縦走へと出かける。
早朝、中央線は上野原駅で下車、そこからバスで麓の神社へ、降りた人は私を含めて4人だった。
朝の冷気の中を登り始める。あたり一面杉が植林されている。
これが花粉症の原因になるのかと思った。まぁ自分には関係ないが…。
昼なお暗い杉の樹林帯を1時間半ほど登ると峠にでる。
尾根道は山桜の木が多い、春になれば花見の登山客でいっぱいになるという話だが、今は静かだ。
天気は快晴だが、霞がかかっているような空だ。
あれ、富士が見えるはずだが、うーん、今日は日光だ。日光、ん?、ちょっと違うな?。日光の手前の、ほら、そうそう今市だ。
そんなわけで、醍醐丸から和田峠に出て、そこから車道を50分ばかり歩く。八王子最奥の集落陣馬に着く。
ここから陣馬街道をバスで八王子へ、途中の恩方は童謡「夕焼け小焼け」の作詞者中村雨紅が生まれた土地である。
「夕焼け小焼けで日が暮れて 山のお寺の鐘が鳴る」という歌詞の情景に今でも違和感がない山里だ。観光シーズンには「夕焼け小焼け号」というボンネットバスが走る。
八王子から、和田峠をへて神奈川県藤野町にいたる陣馬街道は東京の校外にありながら、昔の街道の面影を残している道である。
今回は、温泉がなかったのと富士の眺めがイマイチだった。


(あるじより)明けましておめでとうございます。(もう3月に入りましたが・・・・・一応、今年初の旅日記なので)これからも末永く、なるべく“定期刊行”の旅日記よろしくお願いします。 では、さっそく本年度最初の「日本ムツカシ話」と思ったのですが、今回は『目黒の格言』だそうです。


「今日の格言」
●その1
「芸は身をたすく」のたとえで「ゲイは美川憲一」
《おまけ》
マラソンの有森裕子と結婚したガブリエル君の歌「浪花恋時雨」のメロディで
ゲイのためなら女房も泣かす…    ちょっと古いな

(あるじより)ハイ、ちょっとどころか、結構古いです。いつも思ってたんですが、こういうのどこで考えてるのですか? 電車の中?給食を食べながら?


2003年3月号


   


3月28日、同僚6人で函館へ行って来ました。函館は2度目なのですが、なにせ前回は大学生の時だったので、うん十年ぶりです。
1泊2日という短い日程ながら函館の魅力を満喫してきました。
羽田発10時の便で函館空港へ、さっそくガイドブックで調べた函館市場の食堂でイクラ、ウニどんぶりを食べた。
「あれ?たいしたことないや。これだったら去年、札幌国際スキー場で食べたイクラ丼のほうがうまいや」と思った。ふつうスキー場の食い物は高くてまずいというのが定評ですが…。
その後、函館観光へ、この日はあいにくみぞれ混じりの寒い日だったので、函館文学館や旧イギリス領事館といった外へ出ない学習が中心、うん、われながらよく勉強した。
さて、函館と言えば、石川啄木です。啄木は岩手県の出身ですが、21歳の時、故郷を追われて函館にやってきた。
その後、小樽、札幌、釧路と渡り、東京へ出て、貧苦のなかで26歳の若さで亡くなった。翌年、妻節子が、そして愛児も亡くなくなった。
啄木は亡くなるとき、函館の地に葬ってほしいと言ったという。津軽海峡を望む立待岬に啄木一族の墓がある。
この日は湯ノ川温泉に宿泊、実は函館には中学時代の同級生が住んでいる。久しぶりに昔話に花が咲いた。
二日目はレンタカーで江差に。江差は明治時代ニシン漁でにぎわった町だ。現在もニシン御殿が残されている。
しかし、大正になると、ニシンが獲れなくなり、さびれていった。 
江差から函館に帰る途中にあったのがトラピスト修道院である。若い修道士が厳しい戒律のもとで生活している。もちろん女子禁制である。
まあ、私のような煩悩の固まりのような人間には理解できない世界ではある。
トラピスト修道院では酪農もやっている。ここでつくられたのが有名なバター飴である。
そして、函館空港に6時頃到着、7時30分の便で帰ってきました。強行日程だったので少々疲れた旅だった。
本当はこの時期、鹿児島から桜前線を追いかけてローカル線の旅がしたいと思うのだが、定年にならないと無理だろうな。
写真は、映画やドラマに使われた有名な坂(名前は忘れた)です。下に見えるのは函館湾です。もう1枚はトラピスト修道院です。


(あるじより)函館は私も何度か訪れたことがあります。最後は昨年のGWでした。鰊御殿いきましたか?当時の繁栄振りが窺える内装でした。 あの坂はチャーミーグリーンのCMでも使われてましたよね!


「今日の格言」
●その2
なんたって今の話題はイラク戦争、開戦を巡るアメリカとフランスの対立が深刻だった。そこで、まずはフランスのシラク大統領から
シラクは「知らぬ顔の半兵衛」をもじって「シラク顔の反米」
これに対し、ブッシュアメリカ大統領の反撃
ブッシュは「知らぬが仏」ならぬ「シラクはほっとけ」

(あるじより)前回の「その1」に比べれば、確かに今の話題。でも、これって、格言???




2003年5月号


「連休は田舎に行きました」
5月の3連休は、毎年恒例の田舎に帰りました。最近は一人で帰るのがあたりまえになってしまいました。トホホ!
3日、新幹線で浦佐へ、浦佐から上越線で小出、小出から只見線に乗る。車窓からは、田植えの準備に忙しい人の姿が見える。 ああ、これが日本の伝統的な農村の風景だと妙に感心する。 そういえば、子どもの頃は、田植え休みがあった。田植えの忙しい時期は、子どもも貴重な労働力だった時代の話である。
わがふるさと只見は桜の満開の時期が函館あたりと同じ、4月下旬が桜の季節である。只見駅では桜吹雪が迎えてくれた。 桜とブナの新緑、遠くの山には残雪、それらが見事なコントラストをなしている。たぶんこの時期は、一年中でいちばんいい季節だ。
   さっそく山に入るが、いつも行く私だけが知っている秘密の場所に山菜がない、まったくない!
くっそ!誰かにとられたのか?と思ったが、どうも今年は3月が寒かったせいで、まだ芽も出ていないようだ。うーん、残念だ。楽しみが一つ減った。
5月4日、快晴、別名「只見富士」と呼ばれる柴倉山に登る。標高700余m、林道から送電線の鉄塔ぞいに登る。
林を抜け、尾根に出る。振り返ると浅草岳や会津朝日岳などの南会津の山々がくっきりと見える。 眼下には只見の町、鉄塔沿いの道は整備されているが、そこから頂上までは、藪こぎである。
藪こぎ30分で頂上へ。尾根にくらべ、灌木が邪魔をしてよく見えない。雪の固まりの上に乗って、南の方を見ると燧ヶ岳らしき山が見える。素晴らしい眺めである。
子どもの頃、柴倉山の頂上には池があって、大蛇が住んでいるという話を聞いたが、そんなものはない。あれはうそだったのか…。
柴倉山は、はっきり言って無名の山で、登る人はほとんどいないから登山道らしきものもないというのが現実。
イワウチワ、イワカガミ、キバナイカリソウが咲いている。さらには、タムシバが白い花をつけている。地元ではこの花をコブシと呼ぶ。
千昌夫の「北国の春」で♪こぶし咲く、あの丘北国の〜と歌われているのがこの花だ。(と思う)
日曜日で、こんなにいい天気なのに、まったく誰にも会わない。見晴らしは最高なのに、やっぱり無名の山だもんな。
ところが下山の途中で一人出会った。奇特な人もいるもんだ。(お前もな)
新緑の山がいちばん魅力的だと思った1日だった。混雑を避けて午後には帰京する。
写真は、柴倉山から見た只見の町と浅草岳です。


(あるじより)以前に只見の冬景色がありましたよね。同じ只見でも季節で見え方がぜんぜん違いますね!


≪世界ムツカシ話≫
●その1 「アルプスの少女ハイジ」
昔々、スイスのある村に、ハイジという容姿が不自由な少女がいた。村の人は、あるブスの少女ハイジと呼んだ。終わり

(あるじより)さて、今回は日本ムツカシ話のネタがつきたので「世界ムツカシ話」だそうーで・・・・・ハイジのイメージがく・ず・れ・て・いくぅぅぅ〜