「見上げた空の――みずいろ」

【1.感情】
 突然、北の街に住むことになった。
 昔…幼い頃を過ごした、思い出の街。
 だけど――
 あまり、良い思い出はなかった――ように思う。

「遅れちゃったね」
 幼馴染の少女は、待ち合わせに遅刻した。そう、2時間もっ!
 雪の降りしきる…寒い…駅前のベンチに佇んで待つ俺に、彼女が――
「お詫びだよ」
 と、差し出した缶コーヒーは…少しだけ、暖かかった。

「祐一くんね」
 名雪のお母さん、水瀬秋子さんは、優しい人だ。
 両親の突然の外国への移住。俺は、行く気にはならなかったが。
 その俺を、預かってもいいと、言ってくれた人。
「家族と思っていいのよ」
 秋子さんの料理は、とても美味しい。理想の…お母さん。

「相沢祐一です」
 お決まりの、自己紹介。いっちょ、奇抜な名乗りでも挙げてやろうか?
 なんて思ったけど、やっぱり、普通でいい。
「よろしくな、相沢」
「よろしく、相沢君」
 早速、友達らしいものも出来た。名雪の親友って話だ。
 北川潤は、少しお調子者っぽい。女には…モテそうだな。
 美坂香里は…クールビューティーってやつか。だけど――
 名雪の親友なら、いい奴なんだろうな…と思う。

 それから…いろいろなことがあった。

「絶対に、あんただけは許さないんだからっ」
 とか言って、襲いかかってきた、記憶喪失の少女。
「私に関わると、不幸になります」
 と、言っていたかどうか忘れたが、少し暗い感じのする後輩の少女。
「いくら私が地味だからって…そんな、酷なことはないでしょう?」
 あれ? この娘は…
 どっかの誰かと、キャラがごっちゃになってる可能性もあるな…。
 まあ、いいか…脇役だし。それから――
「うぐぅ…」
 とか唸ってた、たいやきが好きな、食い逃げ少女。
「そんなこと言う人、きらいです♪」
 なんて、この真冬に笑顔でアイスを食べる、病弱な少女もいた。
 他にも、
「祐一は、嫌いじゃない」
「あははーっ、舞ったら、照れ屋さんなんだからー」
 素直になれない、寡黙な少女と、才色兼備のお嬢様がいたり…。
 そんな――
 楽しくて、ちょっと悲しい。そんな――思い出に還る物語。

 『Kanon』
 輪舞曲とか、そんな意味が、あったっけ。
 『華音』
 なんていう(恐らく当て字だが)ふうにも、書くこともある。
 悲しくても、俺にとっては乗り越えていかなければ、
 ――ならなかった話。

 そして――

【3.日向】
「ゆういちーっ、マンガ買いに行こうっ」
 真琴が言った。記憶を失い、なぜだかも解らずに、俺のことを恨んで
いた少女。まあ、原因は確かに俺にあったと言えなくもないのだが――。
 それでも…
「俺がどれだけ心配したか、ちったあ解って欲しいよな」
「ん、なに? よく聞こえなかったんだけど?」
「相沢さんは、真琴のことが好きだと言ったんですよ」
 頭の悪い真琴に、優しく諭すように、天野が言う。
「ゆういち、真琴の悪口、言おうとしたでしょ?」
 む、鋭いな。さすがに野生の勘でも働くか、この狐娘?
「またなんか思ったでしょ? 今夜…覚悟しておきなさいよっ」

【7.望郷】
 俺は、総てを思い出した。悲しいこと、つらいこと。やりきれなくて、
逃げ出したあの日の記憶を――
 月宮あゆとの約束。
 水瀬名雪との約束。
 川澄舞との約束。
 沢渡真琴との思い出。
 美坂栞の、想いを…

 俺は、果たすことが出来たんだと、思う。
 だから、ここにいられるんだと、そう――信じられる幸せを。

【3.日向】
「知ってる、ゆういち? 『ありあけ』ってところで、マンガいっぱい
売ってるんだって」
 と、真琴。天野が…教えたな? まったく…
「連れてって♪」
「わたしも、行ってみたいです」
 隣でアイスを食っていた、栞が…食いながら言った。
「器用だな…栞」
「舌先は、器用ですよ。さくらんぼ結んだりとかできますし」
 栞とのキスは…

【2.灯火】
「相沢さんっ、わたしも有明に行きます!」
「天野…そんなに俺を地獄に連れて行きたいのか?」
 考えが中断されてしまった。それとも――
「真琴をけしかけて、なにか企んでるんじゃないだろうな」
 少し、嫌みっぽく言ってやった。
 どうも、俺は、この娘に恨まれてるっぽい節があるような…気もする。
「真琴を消しかけたのは、あなたですよ、相沢さん」
 なにを考えてるのか、判断のつきかねる表情。
 優しい子だっていうのは、真琴との一件で、よく解ってるつもりだ。
 けど――
「天野は、俺にだけは冷たい気がするんだが」
「アイス、冷たくて美味しいですよ?」
 栞が、なんか見当違いっぽいことを――言った。
「そんなこと――ないと思います」
 そっぽを向きながら、天野。

【3.日向】
「あははーっ、朴念仁の祐一さんには、ハッキリ言ってあげないとダメ
なんですよーっ。美汐さん…でしたっけ? くす…舞にそっくりです♪」
「私は、似ていないと思う」
 佐祐理さんと、舞だ。いつ、来たんだろう?
「祐一さんには、腹芸とか通じないんですから、真琴ちゃんを見習って
体当たりでアタックしないとダメなんですっ。ね、舞?」
「私は――祐一は…嫌いじゃない」
 それは、イコール、『好き』ってコトだ。
「俺も、舞は嫌いじゃないぞ」
「あ…」
 舞は、顔を真っ赤にして俯いてしまう。うん、かわいい…。
「ああーんっ! 舞ちゃんったら、とってもカワイイですわーっ」
 でも――
 佐祐理さんは、それ…ちょっとキャラが違うんじゃないかと思う。
「そんなこと言う人には、お弁当に毒草混ぜちゃいますよ?」
「…ごめん、佐祐理さんは、佐祐理さんだよね」
 この人たちは、俺の心が読めるんだろうか…? だとしたら――
 それは…ちょっと、怖い。
「アイですよ、あい」
 と、佐祐理さん。藍――?

【9.月光】
 朝の光を浴びて、佐祐理さんの瞳が…琥珀色に輝いている。
 ――気の所為だろう。
 もう、彼女だって…
「佐祐理、チョーシに乗るな」
 びしっ――と。舞の必殺カラテチョップが飛ぶ。
「あははーっ、舞ったら………妬いちゃって。くす――」
 もう、心から笑えるように………なってるんだろうか?
 大丈夫――うん、大丈夫に決まってる。佐祐理さんなんだから。

【2.灯火】
 ――1限目の放課。俺たちは、いつものように。
「ゆういち〜、置いていくなんてずるいよ〜」
 なんでもない話題に、華を咲かせ――
「寝てるからだ、名雪」
 名雪の眠り姫は、相変わらずだ。ま、少しは良くなったか…。
 今も、眠そうな顔で…
「くー」
 寝てやがる。へっぽこめ…。
「ひどいよ、ゆういち〜。そんな――ぽんこつなんて言わないでよ〜」
 言ってねえっ!!
「…まあいい。で、今日も遅刻か、名雪は」
「2時間目には、間に合ったよね♪」
 それは――後で、秋子さんに詫び入れておかないと…
 ――殺られるかもしれねえ。
「娘には、とことん甘い人だからな…」
「なにがですか、祐一さん?」
 こう、頬に手をあてて、いつものポーズで…
「うわぁっ!? な、なぜ秋子さんが、ここにっ!?」
「おかしいですか?」
「だって、ここ学校ですよっ! 秋子さん」
「場違い…とでも言うんですか? ばーさんは来るな…とでも?」
「い、いやあの…そうじゃなくて…」
 しどろもどろ。
 髪が朱く染まって見えるのは…西日のせいだと――思いたい。
 たとえっ! ――今が2時間目の前の放課時間だとしても…。
「祐一さん…今日、あなた…お弁当忘れてきませんでしたか?」
「え…? あ、そういえば…持ってきてないような…」
「はい、どうぞ」
 …わざわざ、持ってきてくれたのか。秋子さん…ありがとう。
「ありがとう。でも、名雪に持たせれば良かったんじゃ…?」
「寝てたし…」
 あ、そう。
「お母さんまで、ひどいよ〜ぐっすん」
 目覚まし時計まで、真似しなくてもいいよな? な?
「祐一さん、今日は…お空のみずいろが、とっても綺麗ですよ」
 不意に、窓を開けた栞が、空を見上げながら言う。
「そうだな」
 鉛色の雲は、どこかに吹き飛んでしまったような、透き通る…青。
「空は、果てしなく青く、どこまでも続いているんですよ」
 そして、いつまでも…
「どんなに遠く離れても、この空の下ならば、きっとまた会える…そう、
信じてた。祐一くん…ボク…帰ってきたよ」
 消える飛行機雲を見送って…
 振り返る俺の身体。思うよりも速く。その声は――
「あゆっ!? どうして…」
 眩しくて逃げた。いつだって弱くて…
「ゆういちくん…」

【3.日向】
「どうしてっ! ――また食い逃げしてるんだ、お前はッ!!」
 両手には、溢れるたいやきを――。
「うぐぅ、また財布を忘れたんだよぅ〜」
「…たいやきくわえたピロでも追いかけて愉快になってろっ!! 大体、
もう生霊じゃないんだからな。立派な犯罪者なんだぞ、お前は!」
「え〜、祐一くんがなに言ってるか、わかんないよ〜」
「常識だろ、常識ッ! 犬畜生じゃないんだから!」
「失礼ねっ! 真琴にだって、そのくらいわかるもんっ!」
 いつのまにか、ちゃっかり真琴までついて来てるし…。
「どっかのアーパー吸血姫と一緒にしないでよっ!」
 どっちも人間じゃない時点で、ダメだ。常識外れ――
「あははーっ、祐一さんには、お弁当必要ないハズですよねー?」
 佐祐理さんが、言う。そういえば――
 確かに、今日は…佐祐理さんたちと食べる約束してたような。
「あ、そうか。あーでも…折角、秋子さんが…」
 持ってきてくれたのに。
「どうせ…祐一さんは、若くてピチピチした女の子の方が好きなのね。
ええ…おばさんは、独り寂しく孤独に死んでいきますから…」
 秋子さんッ!
「祐一、佐祐理のお弁当」
 ダッ…と駆け出した秋子さん。
 立ち塞がるように、大きな弁当箱を突き出す舞。
 俺は――

「結局、こうなるのか――」
 昼休み。折角、天気もいいのだからと――
「優柔不断っ」
 舞が、拗ねたように怒っている。けど――
「仕様がないだろ。秋子さんに追い出されでもしたら、住む場所がなく
なっちまうんだからな」
 舞の耳元で、囁くように言う。
 秋子さんは、俺にとって、かけがえのない人だから。
「ゆういちっ、玉子焼きもらいっ!」
「うわっ、俺の玉子焼きをっ!? 真琴―っ!!」
 そう、結局――
「まあまあ祐一さん。玉子焼きなら、こちらのお弁当にだって…もっと
美味しいものもありますから、ね?」
「あーっ、お母さん、それ私にくれるって言ったのに〜」
 こんな風になるのは、目に見えていたワケだ。
 ここは、学校の屋上。少しだけ近い、太陽が暖かくて…
「くー」
 名雪が、ピロと並んで寝ている。楽しい、昼食会――。
「あー、今日は絶好のアイス日和ですね、祐一さん♪」
「嫌です」
「ふーんだ。祐一さんには、頼まれても分けてあげませんよーだ」
 べーっと舌を出して、栞が笑う。
 暖かいといっても、さすがに、まだアイスには早いだろう。
 けど、またこうして、栞と並んで話せるなんて――
「奇跡…か」
 起きないから、奇跡と言うんなら…あれは一体、なんだったのか――?
「ほうら、舞の好きな、タコさんウインナーですよー」
「タコさんは、嫌いじゃない。キリンさんは、もっと嫌いじゃない…」
「っ!? …と――き、キリンさんは、美味しくないと思いますよーっ」
 あははっ…と、佐祐理さんの引きつった笑顔。
 あれ? なんで…?
 ポカッ!
 なんて思う間もなく、舞のチョップが飛ぶ。
 あれ? なにが、気にかかったんだろう…?
「まあ、いいか」
 3月の日差しは、暖かくて…春は、もうすぐそこまで来ているんだ。

【1.感情】
「倉田さん。…キリンさんは、飲むものじゃないですか」
 不意に、天野がコップから口を離して言う。
「…で、天野さんは、さっきから…なにを飲んでいるのデスカ?」
 白と黄色のストライプが綺麗な――炭酸飲料?
「…って、まさか…」
 いや、ほら、学校なわけだし、そんなことないハズだよね。
「朝日のほうが、良かったかしら…?」
「あ、秋子さんっ、学校にそんなもの持ってこないでくださいっ!」
「飲みすぎなければ、大丈夫ですよ」
「祐一さんも、見えないからって、妙なボケはやめましょーねっ」
「わかってますよ、佐祐理さん」
 なにがレモンなんだかわからない、アレでしょ? アレ――
 この際、コップうんぬんは忘れよう。
「夢じゃないんだから」
 あんまり、不条理な展開にして欲しくないというか――
「…なんていうか、オチませんよね、この話」
 確かに、まったりしすぎてて…

【4.幻舞】
「落ちればいいのだな、佐祐理?」
「え? ちょっと、舞…?」
 すっくと立ち上がった舞が、剣を構えた。大上段の構え。
 そこから――
「えいっ!!」
 と、力任せに振り下ろす。
「きゃあっ!?」
 …コンクリートの床が、みるみるひび割れて――

 …ズゥゥゥン…!!
「…痛ぅ…」
 周囲には、コンクリートの破片が――
「舞ッ!?」
 …佐祐理…さん? あれ…?
「みんな、は…? まさかッ――!?」
 下敷きに…
「佐祐理さんっ! 名雪っ! 天野ッ!? みんなどこだっ!!」

【3.日向】
「…なにやってるのよ、あなた」
「…香里? み、見てたのか!?」
「ええ。あなたがブザマに落ちてくるところとか、ね」
 ふふっ…と、笑う。
 そんなに、格好悪い落ち方したんだろうか?
 いや――
「そんなことはどうでもいいっ! みんなは、どうした!?」
 …見てたんだろ、香里?
「はあ? なに言ってるの?」
「だから、佐祐理さんや、舞や…みんなが、落ちて来てないと――」
「落ちてきたのは、あなただけよ、相沢くん」
 俺だけ落ちた…なんてこと、あるのだろうか。
 それなら、それでいい。けど――
「あんな、大きな穴が開いてるのに――」
 呼んでも叫んでも、返事も返ってこない。
 なんで――?
「でも…余程の衝撃を与えないと、こんなふうにはならないと思うけど。
一体、なにをしたの、あなた? ――死の点でも突いてしまったの?」
 と、真剣な眼で香里が言う。
「死の…点?」
「モノには、すべて生命がある。死もまた然り。そして――」
 モノの死にやすいポイントというのがあるんだと、いう。
「私は信じてないんだけど。不条理でしょ?」
 いや、そもそも、この話自体が、不条理なんだけど。
「ふーん。床が抜けて、みんなで落ちたってわけね。だったら――」
 俺だけ、違うところに落ちた?
「そんなバカな!? ここ以外に、落ちるところなんて…」
「そう? いくらでもあるんじゃない? 例えば――」

【6.妖夏】
 あの世…って、なにを言ってるんだ、香里?
「みんな、死んだっていうのか? 俺だけ、生きてたってか!?」
 冗談じゃない! そんなこと――
「なら、みんなの死体は…どこにあるってんだ? 見せてみろよ?」
 あるわけ、ない。そんなの――
「そう、そんなのは、ない。あるのは――」
 …俺の、死体だけって。はは…アハハ…アハハハハハハッ!!
「なんだよそれ? 俺だけが、死んだってのか、おい!?」
「そういうこと、かしらね。不条理だけど…」
「じゃ、じゃあ、お前はなんなんだよっ! ここはっ!」
「私…私は、そうね。あの大きな塊の、下あたりかしら」
 は…?
「避けられなかったのね。運動神経には、自信あったハズなんだけど」
「それじゃ…」
「地獄の入口ってとこかしら。…参ったわね、お金持ってきてないわ」
 あなたは――と聞かれたが。
「俺も、ない」
「仲良く、地獄に墜ちろってことね。仕方ない、行くか――」
「行くって、どこへ?」
「閻魔大王に、審判受けなきゃだめでしょ。私たち、死んだんだから」
「ま、待てっ! 俺たちがいるのは、入口なんだろ? だったら…」
 引き返すことだって、出来るんじゃないのか?
 日本神話とかで、そんな話があったような気がする。
「私を、裏切るというの。イザナギのようにッ!」
 香里は、もしかして神話とかに詳しいんだろうか。
 でも、裏切る…って――なんだ?
「あなたには、一緒に来てもらうわ。1人じゃ、寂しいでしょ?」
 優しく、笑う。…そっか。

【7.望郷】
「ごめん、香里。俺、わかっちゃったよ」
「え…」
 香里の笑顔が、凍りついたのが、わかる。
「そ、そう…やっと理解してくれた。自分が死んでるんだって…」
 香里の心の――動揺まで、はっきりと、わかる。
「俺はさ、死んでなんてないんだろ、香里?」
 優しく――出来る限り、優しく。
「そんなこと! …ないわ。死んでないわけないじゃない。ね?」
 ――そうでしょ?
 香里の両腕が、俺の肩を越えて――
「一緒に逝きましょう。わたしと…祐一の――世界」
「祐一っ!!」

【9.月下】
 …目が、覚めた。
「すまん、祐一。わたしの、せいだ」
「舞…?」
 目の前に、舞の顔がある。俺は――
「祐一を、変なところに落としてしまった。わたしの…ミスだ」
 俺は、舞に膝まくらをされているらしい。
「気持ちいい…。このまま、死んでもいいくらい…だ?」
 死ぬ…?
 なんだろう。なにか、思い出さなければ、いけないハズだろ?
「舞、俺は、どうしたんだ?」
「なにも、考えるな。わたしはここにいる。佐祐理も…いる」
「佐祐理さんも…そうか…良かった」
 ――のだろうか。なにか…
「そうだ。名雪たちは、どうした?」
 一緒に、お昼を食べて…それから、床が抜けて――それから?
「香里はっ!?」
「あはは、なにを言ってるんですか、祐一さん。ここには、佐祐理と舞、
それに、あなたを入れて3人だけの――終わらない世界なんですよ」
 笑顔の佐祐理さんは、いつもと変わらずに、微笑んでいる。
「終わらない――世界」
「そう――終わらない世界です。祐一さん…」

【5.訣別】
 しゅる…と、佐祐理さんが制服のケープを外して。
 白い、指先が――
 制服の、ボタンを、外して…
「佐祐理さんっ! なにをっ!? 人がっ…」
 人が来たら、どうするんだっ。
「言ったはずですよ。ここは、私たちだけの――永遠が、ここに」
「違う――!」
 これも、まやかしだっ!!
「誰だッ!!」
 誰が、こんなふざけた真似をしているっ!?

【3.日向】
「フフン…いい夢見れたかい、ゆういち」
「まーこーとーっ! お前かーっ!!」
 ぎゅうっ…と、真琴のほっぺを両手で引っ張る。
「ひたひた…ひたいってば、ひゅうひちぃーっ!!」
「自業自得だ、馬鹿。くだんないことしやがるからっ」
「まったりつまんないって言うから、愉しませてあげたんじゃない」
 しかし…まさか、真琴にこんな能力があったなんて…
「それが、妖狐のチカラって奴か?」
「そうよ。死の淵から蘇って、パワーアップしたんだからっ」
 誰かの使い魔でも、出てくるのかと思ったが。
「安心した。真琴のしたことなら、ただのイタズラで済むからな」
 あれ…?
「なあ。お前のチカラって、どこからなんだ?」
 舞が剣を振るったところか?
 それとも…最初から、すべてコイツの見せた、ゆ――
「『フフン…いい夢見れたかい、ゆういち』からに決まってるじゃない」
 ああ、そうか…って
「ついさっきじゃねえか、そんなのっ!!」
 てことは、それ以前のは、やっぱり――

【10.nowhere】
「――んんーっ?」
 ジリジリリリリドドズガバキャグキャリギグァ――!!!!
「うるせえっ!!」
 怒鳴って、布団から飛び出した。寒いのなんて無視だっ!
「それどころじゃねえっての。なんだ、この大雑音はッ!!」
 バンッ…と、隣の部屋のドアを、殴るように開け――
 ジリジリリリリドドズガバキャグキャリギグァ――!!!!
「ぐあぁっ! 耳が死ぬッ! 起きろ名雪っ!!」
 ジリジリリリリドドズガバキャグキャリギグァ――!!!!
 俺の声は、目覚まし時計の大音量にかき消されてしまう。
「く…しょうがねえ…」
 強硬手段だ。
「長森流の目覚まし術を見せてやる…てやっ!!」
 名雪のベッドに近づき、カエルのぬいぐるみを引っぺがす。
「ああ、ゆうかいまが〜くー…」
 …ダメか。しかし――
ジリジリリリリドドズガバキャグキャリギグァ――!!!!
「なぜ、これで起きられん…?」
 頭が、割れそうに、イタイ…。なんとか…
「…どれだ? どれが、元凶だ…?」
 大音量をリードしている、首領格の時計。それさえ…
「それさえ叩き壊せば――すべての音が止むに違いない」
 ――思考が、おかしくなっている。そんなことは、ない。
ジリジリリリリドドズガバキャグキャリギグァ――!!!!
「あーっ、うるせえっ! 近所迷惑だってわかんねえのか!?」
「…むーいち…? おはよぉ〜あさだよぉ〜?」
「名雪っ! 起きたのか!? いいから早くこれを止めろッ!」
ジリジリリリリドドズガバキャグキャリギグァ――!!!!
「あ〜、目覚ましなってる〜きうかなかったよ〜」
「いいから、止めろっ!」
「…わかったよ〜。え〜っと、これかな〜?」
 名雪は、手近にあった、クマの形をした時計を掴んで――
「たあっ〜」
 と、床に投げ捨てた。
 ガシャン…と、派手な音――
ジリジリリリリドドズガバキャグキャリギグァ――!!!!
 …は、聞こえなかったが、たぶん、していたんだろう。
 時計は、見事にバラバラだ。そして――
ジリリ――

【1.感情】
 あの大音量が、嘘だったかのような、静寂が訪れる。
「うん、静かになった♪」
「…マジか?」
 本当に、今投げた奴が、他の時計をリードしてたってのか?
「鳴ってるのが、1つだけで良かったよ〜」
 はい?
「少しずつ、時間差つけてセットしてあるから、そろそろ…」

【10.nowhere】
ジリジリリリリドドズガバキャグキャリギグァ――!!!!
「違う時計が鳴るころなんだよ」

【2.灯火】
「もうやめてくれーっ!!」
「…なにか?」
 天野が、俺を睨んだ。正確には、視線を投げただけなんだろうが。
「締切が近いんですから、多少のムリは我慢してください」
 …締切って、ナンだ?
「入稿は、明日なんですからね」
 俺たちは、マンガを描いているらしい…。
「砂絵じゃ…ないんだな?」
「?」
 いや、なんでもない…。ただの勘違いだ、気にするな。
「しかし天野な。いつから、そんな設定になったんだ?」
「知りません。どうせまた、どこかの誰かと混じってるんでしょう」
 売れない、創作マンガ家だろうか…?
「それで、何を描いてるんだっけ?」
「ゴンギツネです。記憶喪失の狐が、偲び込んだ家の主に殺される話」
 …そんな話だっけ?
「天野は…真琴が嫌いなのか?」
「別に、戻ってこなければ良かったなんて…思っていませんよ」
「そりゃ、確かにアイツは性格も悪いし、お前の大切な…その、思い出
とは、似ても似つかないだろうけどさ…」
「相沢さん。わたし…明るくなってもいいですか?」
「え? ああ、そりゃ、その方が、いいんじゃないか」

【3.日向】
「そうですよねー? やっぱり暗いから人気が出ないし、扱いも酷いし、
佐祐理さんにも比べられて、やっぱりコイツいらないとか言われたりも
して、なんかもうちょームカツク感じ? ぬいぐるみだって、私だけっ!
そう、私のだけ作って貰えないなんて差別だからもう裁判に訴えて――
「…進藤、うるさい」
 ドスッ…

【4.幻舞】
「ぷるぷるぷる…名前まで間違えるなんて、あんまりです…」
「悪い。やっぱり天野は、今のままでいてくれ…」
「ぷるぷるぷる…」

【3.日向】
「わ、天野さん、白目むいちゃってますー?」
 栞だ。いたのか…? いつから――?
「いつものところに、行っていたんですよー」
「栞も、原稿描いてるんだっけか?」
「わたしは、マンガは読む方が専門ですよ」
「描かないのか? 絵とか描いてたの――
 そういえば、栞の絵って、アレか?
「いや、そうだな。栞は、どんなマンガが好きなんだ?」
「少女マンガですよ」
 と言って、笑う。まあ、そうだとは思ったけど。
 その時――

【9.月下】
「ちょっと、ゆういちーっ!!」
 なんて、女の子の叫び声が聞こえて、
「その声、真琴かっ!?」
「よくも、置いてけぼりにしてくれたわねーっ!!」
 ダダダダダッ…と、廊下を走ってきた真琴が――
「きゃっ!?」
 つまずいて――
「危ない、栞っ!!」
 咄嗟に、栞を庇って引っ張り寄せようと、して――
 ポンッ…と。
「…にゃ?」

【3.日向】
「わーっ、祐一さん、かわいいですーっ♪」
 なんて、すごく上の方から、栞の声がして――
「フーッ!」
 と、俺を睨みつけるような視線で、キツネが唸っていたり――。
「にゃあ?」
 なっ!? なんで、上手く喋れねえんだ、俺は?
「祐一さんは、ネコさんだったのですね?」
 は、はぁーっ!? なんでそうなるんだよっ、この話はッ!?

「…ぶすっ」
 しばらくして、身体はもとに戻った。ただ、猫に変身した(らしい)
時に、服が脱げてしまったから…
「祐一さんの、とってもカワイかったです…ぽっ」
「くっ…」
 相沢祐一、一生の不覚――! 栞に、見られるとは…。
「真琴だって、ゆういちに見られたんだからねッ!!」
 顔が、真っ赤だ。
「栞ッ、なんだこれは? まさか、これがお前の――なんだ?」

【4.幻舞】
 ある単語が、出てこない、
「今度こんな下らない夢見たら、絶対に許さないわっ」
 真琴は、なんの気なしに言っているのに、なんで…
「なんで俺だけが、ゆ――
 これが、ゆ――なんだと思えないんだ!?

「見せられているものだからだ、相沢が」
「北川?」
「可愛い妹さんたちに囲まれて、ウハウハなのは解る。けどな…」
 妹って、なんだ?
「それを、面白く思わない奴も、世の中にはいるということさ」
「お前には、香里がいるだろう、潤?」
「それじゃ聞くが、お前の夢に最初に出てきたのは、誰だ?」
 …香里か?
 だとしたら、つまり――
「始まりは、あの場面からなのか? つまり――」
 屋上で、みんなで弁当を食べたのは、真実なんだ。
「なにが本当か…なんてのは、それぞれが決めることさ」
「ボクと一緒に走ろっ、兄ぃ?」
 颯爽と登場した、闊達そうな少女。…これは、名雪…なのか?
「頑張って走れば、2時間目には間に合うよっ」
 いや、だって、いくらなんでも、これは…
「相沢っ、目で見えるものだけが、真実なんじゃない。真実とは――」

【2.灯火】
「真実とは、存在すると信じる心――か」
 それじゃ、お化けも幽霊も、信じればいるってことじゃないか。
「あ…」
 そうか。改めて考えるまでもなく、いるんじゃん。
「なにがいるの、祐一くん?」
 月宮あゆ。ずっと…病院のベッドで深い眠りについていた少女。俺の、
大切な思い出。動かない身体なら、置いていけばいい――。
「なあ…あゆには、今の俺はどう見える?」
「どう…って、祐一くんは、祐一くんだよ♪」
 そう、些細なこと――
「今度は、俺が――落ちたんだよな?」
「そう――みたい。でも、大丈夫だよ。今度は、ボクが――」
 祐一くんの願いをかなえてあげる番だから…と。
「はは…やっぱり、俺は死にかけてるんだな。…香里は?」
「………」
「そっか。なあ、あゆ…俺の、願いは――いいかな?」

【8.月下】
「良くないよっ! そんなの、ぜんっぜん良くないんだからっ!」
「名雪…?」
 いつの間に、現れたのか。いや、そもそも、時なんて、無意味…。
「祐一が、香里のために犠牲になることなんてないっ」
「…親友の生命より、俺なんかを取るっていうのか、名雪!」
 嬉しいよ、名雪。俺は…!!
「わたしは、祐一にいて欲しいのっ。他のなにもいらない。祐一がいて
くれるなら、香里も、お母さんだって、いなくなってもいいっ!!」
 だけど…
「香里なんて、親友でもなんでもない。なにも知らないくせに、なにが
親友よ。お母さんだって…わたしがいなくなったら、もっと…」
「もっと…?」

【7.望郷】
 秋子さんが、立っている。いつもと変わらず、そこに――
「お母さんには、自分の人生がある。だから――」
「そうね。だから――名雪といることが、私の――水瀬秋子の――人生」
「お母さん…」
「でも…娘の――子供の幸せが第一なのよねえ。親ってものは――」
 優しい眼差しが、名雪に注がれている。
 美しい――
 俺には、きっと、手に入らないものだから――。

【4.幻舞】
「諦めちゃ駄目だ、祐一」
 …舞の声が、聞こえた。
「終わらない夢なんて、そんなのは嘘だ。夢は――覚めるものだ」
「ゆ――め?」
 夢――? そうだ、これは、夢なんだ。夢だから――
「名雪、お前を連れて行くわけには、いかない」
「…夢と知りせば――覚めざらましを…」
 ふっ…と、秋子さんの、名雪の…総ての影が揺らいで――
「けれど…」
 あなたは、夢と知ったがゆえに、覚めてしまったのですね――。
 影が、言った。もう、誰の影なのか判らない。
 ぐにゃぐにゃと、混ざり合ってしまって――
「ここにはもう、なにもありません。すべての詰まった、ウツロなハコ」
「秋子さん、待って! ここはっ!?」
「相沢祐一が、相沢祐一であるために必要な器官は――壊れてしまった。
もう、あなたは…外の世界を見ることはできない」
 なに…それ?
「せめて、夢を見続けて…と思ったけど。それも、もう――」
「俺が、夢から覚めてしまったから。だから――終わりなのか?」
「この闇が、あなたの世界。永遠に――覚めることのない、真実」
 これが…このなにもない世界が――真実?
「なにも、ないんじゃない。なにも、見えていないだけ。だから――」
 寂しくは、ない?
「そう。手を伸ばしてごらん? なにか、あるでしょう?」
「うん…なんとなくだけど、分る気がする。――なんだろう、これは?」
「それが、あなたの記憶。相沢祐一の、人生よ」
「そうか…」
 名雪や、秋子さんや…真琴たちの…
「それじゃ…わたしは――誰だか、判る? ゆういち…」
「君は――」
 君は――

【8.月下】
「いい加減にしろっ!!」
「舞っ!?」
 舞の声だ。確かに、聞こえたっ!
「ちっ…さっきからうるさいっ! 引っ込んでなさい、川澄舞は!!」
「舞、いるのか? どこにいるんだ。暗くて、見えないよ…」
「祐一、手を伸ばせ! 私は、ここだ!!」
 手を…
「邪魔をするンじゃアないッ! 彼は――あたしと往くんだッ!!」
「黙れッ! 夢魔風情が、私の祐一に触れるな」
 争って、いる…。舞と…もう1人。あれは――
「祐一、一緒に往こう。もう、あなたは…タスカラナイ――」
「私が助けるっ!! 祐一、手をッ!!」
「手…舞ッ!!」
 スッ…と、右手が動いた。そうしようって思ったわけじゃないのに…
「なッ…うそっ…だって…意識が、もう――無意識でッ!?」
 ガシッ…と、伸ばした右の手首を、誰かが強く掴む感覚。
 そして――
「…ッ!? なんだッ!?」
 強く下から引っ張り込まれるような感覚に、目が――覚めた。

【7.望郷】
「済まない、祐一。こんなことになるとは、思わなかった」
 …なんでも、冗談で(だから、上段だったのか?)床に打ち下ろした
舞の剣が――運悪く、コンクリートのツボを突いてしまったのだとか。
「はあー、びっくりしましたよー、床が抜けるなんてっ」
 佐祐理さんが言うには、ちょうど俺の下の床が崩れ落ちて、俺は――
ショックで気を失った状態で、落下――するところだったそうだ。
「舞が、咄嗟に助け上げなかったら、危なかったんですよー?」
「…たまたま、相沢さんの腕が上に伸びてたから良かったんです」
 と、天野も心配した様子で、俺の顔を覗いてきた。
「そうか、ありがとうな、舞」
「あ、いや、私は――私の、ミスだから――」
 俯いてしまった舞の頭に、軽く右手をのせて、なでてあげる。
「あっ…」
 嬉しそうな舞を見て――
「生きてて良かったな」
 ――なんて、思う。
「ところで、祐一さん。ネコ…潰れそうなんですけど…」
 と、眉をしかめて、栞は言うのだが。
「…ねこ?」
 見ると、俺の左腕に抱き抱えられるようにして、猫――ピロシキ――
が、今にも死にそうな様子で、ぐったりしている。
「そういえば――」
 一緒に落ちそうになったピロを、必死に掴んで抱き抱えた――
「ような、気もするが」
「祐一、力の入れすぎだ。だから――おかしなことになる」
 舞の言う、『おかしなこと』とは、なにか解らなかったけど。
「ま、お前も助かって良かったな、ピロ」
 優しく、微笑む。
 微かに、猫の頬に赤みが差した――ようにも見えたが。
 気のせいだろう。
「むっ…!」
 なにやら、真琴がこっちを睨んでいる。
 殺村凶子の名は、ダテではないという、悪意に満ちた…視線。
「ライバルが、増えたと思っているのでしょう」
 天野が、傷の手当てをしてくれている。

【3.日向】
「ああ〜っ、わたしがやろうと思ってたのにーっ」
「寝てるから…」
 寝てたのか…。
「お母さんが、起こしてくれないのが悪いんだもん」
「そう? 鼻の穴にジャムでも詰めれば、起きられるかしら?」
 死ぬって、ソレ!
「――なんのジャムを使う気なのやら…」
「秘密ですよ、祐一さん」
「あのジャムは…死者の魂すら、現世へ呼び戻す力がある…」
 と、舞。死者の――
「魂!? それ、本当に効くんですか、秋子さんっ!」
 そう、少しだけ、思い出した。
「香里が、この下にいたんだ! 瓦礫の下敷きになって!!」
「――!?」
 名雪の顔が、少し蒼ざめているだろうか。
「それなら、心配ない」
 と言って、舞がピロの首の下を人差し指でなぞる。
「ごろごろ〜」
 気持ち良さそうだ。
「あれは、ただの夢だ。だから、他に怪我人はいない。忘れていい」
「夢…? 香里は、大丈夫なんだな」
「ああ…。心配ない。杞憂だね、兄くんも…」
「舞ったらー、キャラが違いますよーっ、あははっ♪」
 佐祐理さんが言うと、説得力がまるでないのが――不思議だなあ〜。
「冗談だ、佐祐理」
「上段の構えはよせ、舞ッ!!」
「同じ失敗は、しない。今度は、祐一だけを、落とす」
 オトす…?
「ちょ、ちょっと待て! さっき俺が気絶してたのって――」
 まさか――
「剣の衝撃波で、相手をダウンさせる技を練習している」
 そういう、ことか…。
「相沢さんを、実験台にしないでくださいっ」
 俺を庇うように、両手を広げる天野も…やっぱりカワイイかな。
 なんて――

【4.幻舞】
「祐一さん〜? ほら一応念のために、お注射でもしましょうねー?」
 フフフ…
 なんて、不気味な笑顔の、琥は…佐祐理さんが。
「な、なんですかーその、不気味な色の液体はーっ?」
「秋子さん薫製の――謎の栄養剤だそうですよ。うふふ…」
 ジャムだ!?
「やめろー、やめるんだーショッカー!!」
「ネコさんの好きな祐一さんは、ネコ怪人として生まれ変わるのです」
 ちょこん…と。

【3.日向】
「お…?」
 頭の上に、猫を乗せられた。真琴が、いつもやってるやつだ。
「ネコ怪人ユウイチダーよ、世界を征服するのダーッ!!」
「あははははははっ!!」
 笑いの渦に包まれる、学校の屋上。空は、透き通るような、水色――。
「あははっ…わたしも、やってみたいです、それ」
 栞が、手を伸ばす。待てっ!
「ダメだ、俺に障るな、栞っ! 変身がっ」
「はい?」
 ポンッ…と。
「あれ…?」
 なんともない。そうだ、あれは夢なんだから。
「アイスが髪に着くと、ねちゃねちゃして気持ち悪いんだっ!」
「着けませんっ。まったく…そんなこと言う人、きらいですっ♪」
 透き通るような笑顔――。幸せって、いいなあ。

【2.灯火】
「…なによ、これ? なんで天井が降ってくるワケ?」
 あたし1人、除け者にして、楽しく昼食会ですって?
「いい度胸じゃない、相沢くん」
 なんて、屋上に行こうと思ったのが、そもそもの間違い。
 突然、降り注ぐ災難に、凍りつく手足。
 ――動けないっ!?
(もうだめっ!)
 そう思った瞬間、それは現れたのだった。
「…あたしを庇って死ぬなんて、殊勝な心がけだわ、北川君」
 そう、すんでのところで、走り込んできた北川潤に突き飛ばされて、
かすり傷1つ負わずに済んだ。幸運――
「死者1名――か。他に怪我人もいないだけ、幸運だったわね」

【8.月下】
<了>