【午後 3時00分  遠藤真江(えんどうさなえ)】

 五限目開始の鐘に僅かに遅れて、私たちは教室に滑り込んだ。榛名耀子(はるなようこ)が号令をかける直前。ぎりぎりでセーフかと思い、安心していたのだが。
「あ、葵(あおい)さんっ、なにしてるんですかっ!?」
 矢作草揺(やはぎそうよう)の席に陣取ったメイド服の少女を見て、今根君が素っ頓狂な声をあげた。
「あなたたちこそ、どこに行っていたのかしら?」
 五限目――『歴史』の担当教師・広沢が、怖い顔でこちらに近づいてきて、問う。
「歴史探訪です」
 簡潔に答える。いーじゃん、一応、間に合ったんだし。
「お昼から、ずっといなかったそうだけど?」
 教科書の背で、肩をとんとん叩きながら、広沢。
「ちょっと、遠出をしてしまいまして」
「前の授業は? 鈴守(すずもり)先生の授業が、あったはずなんだけど」
「この子が、代わりに聞いててくれたはずなんですけど?」
 自分の席に置いた人形を指差して、言う。
「つまり、この人形が、あなたに授業の内容を教えてくれると――」
「魔女には、どうってことない技術ですから」
「やって見せて?」
 にこりと、広沢が笑った。嫌味な人間だ。できるわけないじゃん、そんなの。
「基本的に、代返や代理出席は認めません!」
「鈴守なら認めるって。校則にも、ダメって書いてないでしょ?」
「……じゃあ、私も認めてあげる」
 広沢は、にこやかーに言った。――む、意外と、話がわかる?
「校庭十周ね。この子たちが、代わりに授業を聞いててくれるそうだから」
「私?」
 首を傾げたメイド少女に、「お願いね」と、広沢美澄(ひろさわみすみ)は笑顔で頷いた。
「お待ち下さい――」
 榛名耀子が、すっと立ち上がる。
(さすが級長。級友の私たちを庇ってくれるのね)
 なんて、上手くいくわけがなく――。
「それならば二十周が、妥当かと思われますわ」
 それがどう妥当なのか、よくわかんなかったけど。
 結局、榛名の言うままに、私たちは校庭二十周を走らされたのだった。
(一周を、二分くらいで走れば、ちょうどいいくらいかしらね)
 そんな感じで、校庭に出て、ゆっくりと校庭のトラックを周回する。
 ――で、ようやく帰ってきたわけだけども。
 意外だったのは、今根君がややバテ気味なのに対して、矢作草揺が余裕なこと。
 たしかに、私の知っていた彼女は、いろいろな意味で『強い人』だったけどね。
「お帰りなさいませ」
 皆本葵(みなもとあおい)――というらしいメイド女(推定二十歳)が立ち上がり、優雅に一礼。
(ああ、授業中は、彼の席に座っていたわけか)
「ご、ごくろうさま」
 今根君が慌てて姿勢を正す。彼女は笑顔で、「どうぞ」と言って彼に席を譲った。
 彼が座ると、今度はその前に立ち、「失礼いたします」と、机の上にノートを置いた。
「これ、葵さんが?」
 彼が問うと、
「はい。初めてのことで要領が掴めず、おかしな部分もあるかもしれませんが……よろしければ、今後の御勉学にお役立て頂きたいと。出過ぎた真似でしたでしょうか?」
「いや、ありがとう。助かるよ」
「人形、役に立たないし――」
 草揺の声。どうせ、私は役立たずの魔女ですよ。魔法だって使えないような。
「って、なんだこれ?」
 今根君の声に、顔を上げる。彼は、渡されたノートの中身をじっと見つめていた。
 机上に広げられたそれを、私と草揺も、周囲の人間とともに覗き込む。
 そこにはびっしりと、文字が書かれている。
 よく見れば、広沢の発言から、指名された生徒の返答まで、一字一句もれなく、完璧に書かれている様子。しかも字がおそろしく丁寧だ。これはこれで凄いのだけど。
「やっぱり、ダメでしたか……」
 あくまで笑顔のままで、彼女はしょんぼりと、彼に対して頭を下げた。

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