ああ、みなさん。。。
少年少女期の悩みは尽きぬもの。
まだまだ狭い世界で生きておられるあなたたち。
いまは仕方なくとも、
学校がすべてではないと、どうか悟ってください。
イジメは理不尽であり耐え難いことでしょう。あなたたちの繊細な目差しを傷つけ、
砂糖菓子のココロに罅を入れるでしょう。
いまは繭の時期なのです。ほとんど完成されていないあなたの小さな世界を、
壊してしまおうとする存在はまだまだ世の中にたくさんあるのですよ。
いまはまだ試練の時なのです。
小学生のときですが、いちばん仲良しの女の子がいつもイジメる立場で、わたしはいつも隣でイジメられる子たちを見ていました。その子たちは一様に大人しく、優しく、真面目な女の子たちでした。強い子に何か言われると俯いて黙ってしまうような。わたしは仲良しの子が見ていないところで、こっそりと、その子たちに接しました。休み時間に絵を描いたり、好きな本を交換したり。「わたしと仲良くしてくれるのは嬉しいけれど、わたしと付き合ってたらAちゃんもいじめられるよ」と寂しい瞳で言われましたが、あまりにもクラスで孤立している数人の子たちを見ているといたたまれなかった。もちろん次は自分が標的になるのかもという恐れもあったのですが。
でもある時、突然、思ったのです。ああ、もう嫌だ、と。クラスの中でこんなふうにこそこそするのはおかしい。誰と仲良くしようがわたしの勝手。だいいち、誰かを仲間外れにすることはナンセンスだと!
わたしは仲良しの強い女の子に言いました。
「もう、あなたたちとは遊ばない。この子たちのグループに行くわ」。
これはわたしの経験で、虐められている人たちにしてみれば、なんだか勇敢な女の子の話、みたいでしょうけれど、わたしが言いたいのはそこではなく、人は小さな革命を起こすことが出来る、ということなのです。たとえ、自分の中だけの革命でも、です。
それは曇り空が青空に変わるときのような気分でした。何も怖いものがない、というくらい清々しい気持ちでした。もう陰でこそこそすることはないのだもの。誰と仲良くしようが、他人に指図される覚えはないのですから。次にわたしを仲間はずれにするのならすればいい、とさえ思いました。これは性格の問題ではありません。人は何かをきっかけに、絶対に変われる、のです。
ふとした、きっかけで、
頭のなかや、心のなかで、小さな爆発が起こる。
わたしはそんなふうに、自分の中で小さな革命をいくつも起こしてここまできました。
どんなに悲しい、辛いこと、嫌なことがあっても、次に向かうためのステップは、必ず訪れるのです。耐えて耐えて、本当に耐えられなくなったときに、スゥゥーーッと、別の扉が開くのです。あなたを護る、目に見えないものたちの存在が、その扉を開けるのです。
ここで誤解してほしくないのは、その扉は「生きる」ための道につながる扉であって、けして死ではないということ。虐めを苦にしての自殺のニュースは絶えませんが、そこまで重い話はここではしません。(でもひとつだけ。虐めで自殺した子供たちの遺影は、みな笑顔のお写真ですよね。わたしはそれらを見て「若い死者からのレクイエム」という詞を書きました。彼らの笑顔が語りかけるものを認(したた)めたつもりです。いつかこの詞について深く語る機会を持ちたいと思っています)
あなたを護るもの。
もちろん親御さんのことであり、お祖父様お祖母様、それからあなたの血をつなげて来た祖先の人たちのことです。
永い永い血の河の流れの先端に、今あなたはいるのですもの。ああ、強くならなくてどうしましょう。誇りを持たずに生きることなどが、どうしてできましょう。血の巡りを意識すると、ほら、体中が暖かくなるでしょう? ちゃんと、あなたとつながっている人たちがいる証拠です。
……いきなりそんなふうに考えるのは無理かしら。でも、あなたはけしてひとりぼっちではないということを知ってほしいのです。
大きな視野を持つのです。いまはまだ「今」しかないけれど、もっともっと素敵な「今」が用意されているのを信じるのです。
わたしだって学校は好きではありませんでした。こんなつまらない、貧相な世界がわたしのものであるはずがないと、毎日毎日思っていました。
クラスメイトがなんだというのでしょう。うわべだけの友達なんて、ほんといらないのです。 みなさん意外に思われるかもしれませんが、わたしは友達が少ないの。本当の友人と呼べるのは、ほんとに数人。別に寂しくなんかないし、ひとりでレストランにでも旅にでも行けるし、たとえばネットで知らない人と交流することなんかにも何の意味も見いだせない。
自分を仲間はずれにする人たちのことなんか、どうだってよくない? その人たちがあなたを無視するのなら、あなたもその人を無視すればいい。視界に入っても無いものと見なす。関心のない人たちにはあなたから冷酷になりなさい。教室には遅刻ギリギリで入って、授業を受け、休み時間は本を開く。問題はお昼ごはんね。ああ、これも本を読みながら食べる。最後の授業が終わったらさっさと家に帰る。
自分の家では、部屋の中で好きなことをすればいいじゃない!! どんなお部屋だってそれはあなたのお城。空想次第で、どんな宮殿にだって変わるのです。もしお家が狭くて自分のお部屋がなかったり、あるいは少しも好きでないお部屋だったとしたら、いつか自分が一人暮らしをして自分だけの部屋を持てるようになったら、こんなふうにしようああしよう、とたくさん空想をするの。欲しい物なんかも、いまは買えないけど自分が働けるようになったらいつかあれもこれも手に入れようと思い巡らせる。好きな人がいるなら、その人のことをこっそり想っていればいい。
なにもすることがない、なんて思ったら、どうぞ本を読んでください。なんでもいいから。図書館に行けば山のように本があります。本は、人間の友よりよほど素晴らしい友人。いろんなことを教えてくれるし、脳を活性させ、あなたをどんどん利口にしてくれます。漫画はだめ。書物、です。お休みの日は、美術館に出掛けましょう。本物の美しいものを見ることはすごく大切です。
もしわたしのことが好きなら、寂しいとき、わたしの歌を聴いてくださいな。その時、わたしはあなたのためだけに歌うでしょう。
でも、暴力ふるわれたりする虐めだったら、また話は違うことになりますね。
卑怯ね。最低ね。先生が対処しないなんて、ほんとに腹が立つわ。虐める側は、明日、虐められる立場になるかもしれない。でも虐められてその痛みがわかったら、もう虐める側にはならないで。
最初に「学校がすべてではない」と書きましたが、「行かなくていい」ということではありません。義務教育は最後まで受けてください。どうかがんばって。
これからも辛かったり悲しかったりしたら、「少女貴族BBS」に書き込んでくださって構いません。わたしもK嬢も、ちゃんと読んでいます。
お悩み相談の場になるのが嫌、とか、可哀想自慢をするのは甘えてる、という意見だって歓迎よ。時々そうやって喝が入ることも必要ですもの。
みなさんは、充分に、人の気持ちになって考える、ということが出来ています。
虐められているからといって、あなたに非はありません。
守るのです。あなたの繭を。その中で、ひっそりと
美しいものを育てていくのです。
何もかもが楽しく明るく平穏な世界では、真の正しいものは生まれません。
宝野アリカ
le 27 janvier 2008
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