記事タイトル:こんばんは! 


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お名前: 史仙   
>ミヤさん

いやいや、ちゃんと読んでますよ(笑)
時間の許すかぎり、メールとこの掲示板のチェックはするようにしています。
きょうは新しく買ったクルマ(ミラ)の走行テストも兼ねて、大分の別府まで
行って来ました。返事がこの時間になったのもそのためです。

で、ミヤさんのご意見についてですが・・・。
新年おめでとう、もしくは祝!21世紀、というのがムダとは僕も思っていません。
心機一転、といいうコトバもあることですし・・・。
人間て精神的な存在でもあるのですから、気分の持ち方って大切
だと思いもします。

ただ、機械的にというか、安易にというか、「区分」をしたくないだけでして。

>歴史評価というのは、次の時代の人々が下すものでは

この点、ちょっとミヤさんとは意見が違うようです。
いまがどんな時代なのか、リアルタイムで生きている我々には認識するのは
むつかしいでしょうけどね。

かってバビロンの天空に顕れたという炎の文字は私たちの頭上にもかかって
いるのかもしれない。
が、それを視るコトの出来る人はごくわずかで、しかも解読できる人は存在
するのかどうか。
現代に生きる歴史学徒は、ソレをなしとげる必要があるのかもしれない、そ
んな風にも思っているのですが・・・。

ったく、まとまりのないことですみません。
アタマの中にあることをもっと整理できればいいのですが。
では、また。

お名前: ミヤ   
大晦日から元日になったからと言って、特別に思わないという気持ちはよくわかります。
わたしもどちらかと言えば、物事を合理的に考える方なので。
でも、昔からの新年を祝うということもわかるような気がするのです。
今と違って、昔は日々生きていくのが大変だった。
新年を迎えられるということは、やはり喜びであったし、区切りであったと思うのです。

特別に考えないのは、(わたしも含めて)史仙さんが恵まれているからではないでしょうか。
実は、現在わたしの義姉は、癌で入院しています。彼女の実妹は数年前に癌でなくなりました。
彼女にとっては、これからの1年1年は、これまでとは全く違ったものになると思います。

史仙さんが書かれていることとは、ずれているかもしれませんが、
多くの人々が新年を祝う気持ちも、最近はわたしも理解できるようになりました。

歴史の時代区分ということとは、また別問題です。
コンテンポラリーヒストリーにおいて、時代区分はむずかしいと思ってます。
歴史評価というのは、次の時代の人々が下すものでは、と考えているので。
学生のときから、例えば1930年代という言い方には抵抗がありました。
数字にどれほどの意味があるんだろうってね。

まとまらないことを書いてしまいました。でも、ここに書いて読んでいただけるのかな?

お名前: 史仙   
>ミヤさん

新年、おめでとうございます!

「日記」の連続性のことですが・・・。

ぼくの場合、あんまし「新年」って気がしないのです。
「昨年」が、あまりにも多事多難というか、凄いことがおこりすぎた
せいでしょうか?
それに、「時代区分」というか、そういうのも受動的でなく、能動的
というか、自分で意識してみたい。
そんな気もしています。
2001年から21世紀、新時代って感じじゃなくて、ですね。

歴史家の大江志乃夫さんのコトバをかりるなら、20世紀は「壁の世
紀」であって、それはソ連邦の解体によって終幕を迎えましたが、で
はつぎはどんな時代であって、いつからスタートするのか?

単純に2001年から、というワケにはいかないのでは?
私見ですけど、ソレはすでに始まっていて、日本では95年の「オウ
ム」、国際的には先NYの惨劇がそれを象徴しているのではないか、
そんな風にも思っています。

歴史を学ぶ人間は、例外はあるにしろ最終的には自分なりの「時代区
分」をみつけることになる・・・そんなイミの言葉は誰が云ったのだ
ったか?

では、今年もよろしく!

お名前: ミヤ   
史仙さんって、おもしろい方ですね。日々雑感を読ませてもらおうと思ったら、ない…。
12月の続きにあるなんて、思いませんでした。(笑)
キムタクの堀部ヤスベエ(変換しないから、ゴメン)は、まだビデオを半分しか見ていない。
史仙さんの感想を読んだら、楽しみになってきました。
2001年の3冊って、岩波書店風ですね。みなさん、どんな本を読まれているのか楽しみです。
わたしは…、今夜考えてみようかな。

今年もよろしくね!

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