記事タイトル:桶狭間 


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お名前: 田村勇太   
三国同盟はド言ううきっかけでつくったか

お名前: 史仙   
>ぱるうぃーずさん

かさねてのご指摘、ありがとうございます。

昨日、福岡の紀伊国屋書店で買い込んだ本が二冊。

鈴木眞哉「謎とき日本合戦史」(講談社現代新書)
谷口克広「織田信長合戦全録」(中公新書)

この二冊を読むかぎりでは、「桶狭間の戦いは、天下取りを目指して西上する今川義元
を織田信長が奇襲して討ち取ったものである」とかいうのは「怪しい定説」だというこ
とが実感できます。

>義元の敗因は油断からではなくて(ないとは言いきれませんが)、三河平定
という目的から主力決戦に目的を強制的に変更されたことにある

とのぱるうぃーずさんのお考え、卓見だと思います。

迷妄をずいぶんと晴らされました。
感謝します。   

お名前: ぱるうぃーず   
義元上洛説で考えると多分あてはまらないのですが
国境確定説で考えると「これは!」と思えるのがあります。先のやつの補足なんですけれど(笑)

今川軍が三河平定の為出兵したとすると、当然のことながらその軍は分散されます。
で、今川軍のある部隊が織田の砦を攻めました。
信長は、この今川軍に対して後詰(城攻をしている敵軍の背後についてプレッシャーをかける)をかけますが
結局砦は陥落してしまいます。信長はいったん引きます。信長の達した戦略は長期戦に持ち込むこと。
今川の背後にいるのは武田と北条。三国同盟を結んでいるとはいえ、一つ油断すればたちまち攻められるのが
戦国の世。4万もの大軍をいつまでも本国から離れさせる訳にはいかない。
更に金銭的な負担も長期戦になればなるほどバカにならない。信長が粘れば粘るほど苦しくなるのは今川軍。

信長としては、分散している今川軍のうち、疲労のたまっているであろう部隊をみつけては叩き
叩いてはひく…という戦術で粘りこみをはかる。
(史仙さんならわかりますよね?ラグナロックでのヤンの戦術にそっくり!)
この時の義元の目的は、信長を叩くことではなくて、三河を平定すること。
なので、信長軍の動きを的確につかんでいながらも、三河平定を優先させました。
その時信長のところに、義元本陣の所在地の情報が入る。信長は迂回路などとらずに
まっすぐ最短距離で義元本陣を目指す。信長には2つの選択肢がありました。
1つは今まで考えていた戦術。もう1つは、あわよくば義元を討ち取る。
この信長軍にまず立ちはだかったのが、信長が疲労しきっていると見た今川前衛部隊。
(疲労していると見たのは信長の誤解でしたが、この誤解が吉と出る)
これがまことにあっさり撃破され、気がつくと義元本陣は目の前。しかも今川軍は分散しており本陣は大混乱。
ここにいたって信長はヒットアンドウェイの戦術を捨て、一気に義元本陣に襲いかかる。

義元の敗因は油断からではなくて(ないとは言いきれませんが)、三河平定という目的から
主力決戦に目的を強制的に変更されたことにある。どうですか、この桶狭間説?
(最後の所も、ラグナロックでのヤン対ラインハルトにそっくりですね(笑))

お名前: 史仙   
>ぱるうぃーずさん

興味ある説の紹介、ありがとうございます。

じつをいいますと、桶狭間のことを書き込んだあとですが
いろいろ考えまして・・・。
当時の日本の合戦において、「勝利」とは何なのか?
現代とはずいぶんと考えが違うと思います。
敵の総大将を討ち取るのが、勝利の条件だとすれば信長の
やったことは唯一の「正解」だったのかも?
それに対して今川方は目標が明確ではなかった。
と、そんなことを考えました。

もっと、よく考える必要がありますね。

お名前: ぱるうぃーず    URL
昨日、見忘れてしまいました(涙)
録画するのも忘れた(涙)
今度の土曜には絶対見なければ(涙)

一般に言われているのとは正反対で
義元は上洛するつもりがなかった・・・という説もありますよ。
まだ完全には今川領になったいない三河と
織田の尾張との国境をはっきりさせる為の出兵だったとか。

これもよく言われていることと逆なんですけれど
義元は、信長に本陣を奇襲されたのではなくて、的確に信長の動きを把握していた。
で、信長軍に対してまず前衛部隊を差し向けた所
この前衛部隊があまりにあっされ撃破され、大壊走。
この前衛の大混乱が本陣に波及して、身動きがとれなくなった所を討たれたとか。

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