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お名前: アイタ
史仙さんへ
掲示板に匿名で書き込むのは失礼な事かも知れませんが
>>史仙さん宛の別HPへの書きこみが無視されてるようなのでここに来ました。
>人聞きのワルいこと、おっしゃらないでくださいね(笑)
>僕の発言に対して、コメントしてもらったワケですが、すべてうなずけることなので、
>「なるほど!」と感心することしきり。
>反対することはなかったので、レスの必要を感じなかっただけです。
>ま、そういう態度を、「無視」というなら、「そう」なのでしょう。
…この書きっぷりもかなり失礼だと思いますよ。
お名前: 史仙
>無名氏 さまへ
このサイトの主宰として申し上げます。
アドレスを公開してくれ、とは申しません。
ただ、最低限、ご自分のハンドルだけは公開されるべきでしょう。
それが、マナーというものです。
最低限のマナーも守れないヒトの問いかけなど、無視してもかまいません。
神が赦さなくても、この僕がゆるします。
すくなくとも、この「史仙庵」では、ネ!
お名前: 史仙
う、うわぁ!
すごい書き込みの数!
「史仙庵」、始まって以来じゃないかなぁ?
って、ンなこと、感心している場合じゃないってか?
本来なら、レスさしあげるべきでしょうが、今は他のことで時間がないのです。
日を改めて、ってことでご容赦ください。
「週刊文春」で、「栗本薫発言」がとりあげられているとのこと。
その号、福岡では明日の発売みたいです。
どんな取り扱いしているのか、読んでみたい気もします。
では、皆様、よい週末を・・・!
お名前: アイタ
ラグトーリンさん、ありがとう。
僕が言いたかった事を分かって下さる方にようやく返事がいただけました。
そうなんです。自分の胸の内に留めておくだけなら何を言おうがオッケなんです。
僕のROMってる某掲示板で、あの発言を雑誌等に投書された方はかなりおられます。
そして掲載されてから『でもあの雑誌をご家族の方が読まれると考えたら、こっちが
いたたまれなくなって、中島氏の代りにお詫びしたくなる』と書いてました。
ごく普通の、作家でも評論家でもないパンピーにだってこのぐらいの想像力はあるのに
中島氏にその慮りの無かった事が腹が立って仕方ないです。
長々と書き込んで申し訳ありませんでした。
お名前: ラグトーリン
>アイタさん
>でもそれ以外の、あの発言の無神経さに憤った人のメールはどうしたんでしょうね?
栗本さんまで届いていない、に1票。
それはさておき、アイタさんも「発言の無神経さ」と書かれておられるように、
拉致問題に関しては、内容そのものもさることながら
これをもし被害者のご家族の方が読んだらどう思うだろうか?という想像力の欠如、配慮のなさが
読む人の怒りを招いているのではないかと思います。
内容については、私は個人的には全然賛同できませんが、
栗本さんが何を考えるかは栗本さんの自由で、他の誰にも止められないと思うのですよ。
作家で評論家なのですから、考えたことを文章にしたくなるのもわかります。
それがたとえどんなに過激で非人道的で悪意に満ちていたとしても、
日記帳に書いて、引き出しにしまっておくだけなら誰も何も文句は言わないでしょう。
作品として昇華されればなお結構。
でもそれを誰もが自由に閲覧できるネットの公開日記に書いてしまったら、話は全然別です。
ましてや栗本薫/中島梓という世に知られた名前を使って書いているのですから、
いくら個人の日記とはいえ、無名の一主婦の公開日記とは影響力も全然違う。
そのあたりが栗本さんはよくわかっていらっしゃらないんじゃないかなあと思います。
あるいはアイタさんは、あの内容を日記帳に書くだけでも問題だ!とお思いでしょうか?
お名前: アイタ
ラグトーリンさんへ
こんばんは。
僕は『内容そのもの』に問題があると思っています。時期的なまずさも言うに及ばず。
ご本人も書いておられますが、ご家族に対してなんの慰めにもならない発言というのが
19日の日記を読んでの感想です。
それに『誰かが雑誌にタレこんだ』だの『悪意のメール』だの、ご自分が被害者である
かのような書き方。
僕もマスコミに『投書』しましたが、ソースも実名もはっきり書きました。
日記の言い分では『恣意的に捻じ曲げられた投書で誤解を受けた』ように読めます。
確かに過激な人からの見当違いのメールもあった事でしょう。
でもそれ以外の、あの発言の無神経さに憤った人のメールはどうしたんでしょうね?
それから、ご自分の身内の件で正当化なさる態度にも辟易しました。
だからと言って、今現在愛する家族の安否を気遣って眠れぬ日々を過ごしておられる
方の神経を逆なでしてもいいという免罪符にはならないのです。
マスコミからの取材で少しは反省していただけるかと思いましたが、
もう心底呆れて言葉もありません。
お名前: ラグトーリン
再び、ラグトーリンです。(いや、この話題に関しては3回目か)
興味深く展開を見守っておりましたが、
結局、話が全然かみ合っていない、ということで、これ以上続けても平行線かなあと思います。
栗本さんの意見が、特に問題があるとは思わない、という感想と
内容そのものでなく、今この時期に公の場で発言することが問題だという意見では、
語るテーマが全然違うのだから、かみ合うはずがないでしょう。
私は後者なので、内容は問題なし(個人的にはカチンと来るところも多々ありましたが)
、として
では、発言の場とタイミングについては?というあたりが、話題になるのを期待していたのですが^^;
でも今日の更新日記で栗本さん自身が「時期的に不適切だった」と書いていらっしゃるので、
きっとご本人も、「マズったなぁ…」と思っていらっしゃったのではないでしょうか。
多分、こっそり(?)書き直す前に話題になってしまったので、引くに引けなくなったのでは…
なんて勝手に思ったら、栗本さんに怒られそうですね。
文春読みました。
西岡力「現代コリア」編集長がこのようなコメントを述べられています。
>「拉致被害者の方が、自分で自分の人生を選べなかったと言うこと
>に対する感性がない。自分で自分の人生を選ぶと言うことは20世
>紀、人類が到達した普遍的な価値観です。20世紀の日本に生まれ
>て、それが保証されなかったことをまず考えるべきでしょう。その
>とき、主観的にどうだったのかと私小説的に考えるという思考方式
>は、この場合不穏当だと思います」
そして記事の最後は、同じ方のこのようなコメントでくくられています。
>「作家としての想像力は拉致問題がきちんと解決されてから発揮して頂きたい」
そう!そうなの!私が言いたかったのはそういうことなのよ〜、と思いました。
こんな風に、簡潔かつわかりやすく、言いたいことををまとめられる力が欲しいです。
お名前: たくせんさんへ
>アイタさんは部分引用的な解釈をしていると思う。
なにをもってそう言えるのかさっぱりわかりません。
しかも、問題は、あなたが「部分引用するな」と言い出したことに関してなのに
今度はこちらのレスを利用して「部分引用的解釈」についてダメだしをしています。
問題のすり替えが本当にお得意なようで、
どこの大先生の影響なのでしょうね?
お名前: アイタ
こんにちは。まりしてんさんの書き込みで
>またマスコミお得意の魔女狩りに進展しなきゃいいが・・・
とありましたが、魔女狩りってのは『無実の人が陥れられ攻撃される』事が問題
なんですから、今回の事とは違いますよね?
あ、言うまでも無くお分かりですね。失礼。
文春読みました。誤解がないようにきちんと引用されてます。
それに対しての栗本氏のコメントを読み、なおかつ以後の日記を読んで
『この人は自分の言葉のどこが不用意で取材を受けたのか全然分かってないな』と
思いました。ええ、しみじみと。
『これで終わりにしませんか』ってご意見もありましたが
書き込み不許可じゃないですよね?
最後に史仙さん。
>ま、そういう態度を、「無視」というなら、「そう」なのでしょう。
確か僕は『史仙さんへ』と明記して書き込んだはずです。
それに対して『反応しなかった』のなら『無視した』以外の何物でも無いと思いますが何か?
お名前: まりしてん
2,3日見ないうちに、ずいぶんとレスが続いてるみたいなんで、拝見していたら随分と話の内容が水掛け論の方向に進みそうな気配ですね。
文章がどうのこうのというよりも、それによって受ける印象なんて物は、たとえ同じ人間でも、そのときの自分の経験値や、気分によっても随分と変わってくる物でしょう。
だからあの文章を読んでどう感じるかは、人によって全然異なるものですし、
まして同じ人間でも、あの文章を1年後ぐらいに読めばたぶん違った感想を持つと思います。
(本を読み返したりするとよくそういうのを感じたりするでしょう)
単純に自分の感じた感想を人に語るのは別にかまわないと思うし、またそういった発言を読んで”なるほどこういう風に感じる人もいるのか・・・”と、私自身は楽しく読ませてもらってます。
ただ、こういう風にあなたの解釈はおかしいみたいな水掛け論をするのは、見てても疲れるし、
不毛だと思いません?
とりあえず、この話題この辺でお開きにしませんか?
大体の意見は読み込めたし、これ以上の進展は議論の域を越えたものになりそうですしね・・・
ところで週刊文春があれに目をつけたとは・・・またマスコミお得意の魔女狩りに進展しなきゃいいが・・・
(これで栗本さんの執筆が鈍るようなことになったら、ようやく動き始めたグイン世界がまた停滞してしまう・・・^^;)
お名前: ぶっきー
>先生の発言を妄信的に賛同していた人たちには
どちらが常識はずれであったかをもう一度考えていただきたいものです。
あなたも発言が極端すぎませんか?
「妄信的に賛同している人たち」なんて書き込みを見る限りここにはいませんよ。
ひとつの意見として否定していないだけであって。
私も「わくわくグインランド」と話題になった時の日記しか読んでません。
「グインサーガ」という作品と栗本薫、中島梓個人の発言、人格は別だと思っています。たしかに誤解を招きかねない意見が多いのは事実ですしね。
お名前: ギルモア博士
URL
中島梓先生の例の発言について週間文春が取り上げるようです。
つまり、件の先生の発言は社会的に見て週刊誌沙汰になりうるだけの
問題発言だと言うことですよ。
先生の発言を妄信的に賛同していた人たちには
どちらが常識はずれであったかをもう一度考えていただきたいものです。
お名前: たくせん(謫仙)
URL
匿名氏へ
繰り返しますが、わたしは「アイタさんの解釈が間違っているのではないか」としか、
申しあげていません。
>マイクを突きつけて一言『いやあ、普通の人生じゃあ味わえない経験ですよね!
…あの日記から受けた印象です。
わたしは、中島氏がいろいろ状況を限定しているので、このような印象は受けなかった。
アイタさんは部分引用的な解釈をしていると思う。
そこで、「後段に意を用いなさい」と、文全体で解釈するようにうながしました。
基本的には、史仙さんの解釈に同意しています。
お名前: たくせんさんへ
>最後に中島氏のサイトの最後に書いてある文
>「このサイトのすべての文章及び写真の無断転載・二次使用は厳にお断りさせていただきます。
>また、文意を誤解させるおそれのある部分的引用もお断りします。」
>氏の文を引用するときは、この文にも、特に後段に意を用いることを、忘れてはなりません。
ここでは、みんなあの日記を最低限全文読んだ上で話し合っていると思うので、
「文章を誤解させるおそれのある部分引用」ではないと思いますが?
ただ解釈の違いを話し合っているので、そのために参照しているように見えますが。
嫌味のつもりでおっしゃったのでしょうが、
あまり頭がよろしくない突っ込みでしたね。
そういう反論の仕方しか出来ないところがあの作家の信者というか・・・
お名前: 史仙
なんか、ここ数日、この陋屋的HPのカウンター数が妙に上昇している気がします(笑)
やはり原因は、「神楽坂倶楽部の日記」の一件でしょうか?
・・・さすがは、「凶星」栗本薫!というトコかな。
>アイタさん、はじめまして!
ようこそ、といっておきましょうか。
>史仙さん宛の別HPへの書きこみが無視されてるようなのでここに来ました。
人聞きのワルいこと、おっしゃらないでくださいね(笑)
僕の発言に対して、コメントしてもらったワケですが、すべてうなずけることなので、
「なるほど!」と感心することしきり。
反対することはなかったので、レスの必要を感じなかっただけです。
ま、そういう態度を、「無視」というなら、「そう」なのでしょう。
>「神楽坂倶楽部の日記」問題
(と、仮に呼ばせてもらいますが)
僕の中では、一応決着しています。
僕自身の「日記」に書いたことが、その結論というか、回答といいますか。
今の時点では、ああいうコトしかいえません。
むろん、未熟は当然自覚しています。おそらく、半年なり、1年後に読みかえしてみると
赤面モノ!それこそ穴を掘ってはいりたくなるに違いないのですがネ。
(むろん、みなさんのご意見は今後も十分に参考にさせてもらうつもりです)
それでも今回、勉強になったのは、栗本薫というヒトの特異性というか、ああいう感性の
持ち主もいるのだな、ということ。いや、以前からうすうすとは気づいていたのですが、
彼女って、やっぱし「特異」な個体です。
作家という人種、多かれ少なかれああなのか?
それとも栗本薫というヒト、彼女が特別に変異した個体なのか?
それと、文学と政治。全然、べつもの・・・ということ。
あたりまえでしょうけどね。最終的な目的地は一緒かもしれないが、全然べつな存在
なのだ。コレ、実感しました。
栗本薫というヒト、いろんな才能をおもちですが、「政治家」だけはやってほしくない。
ありえないと思うのですが、「田中康夫」という前例もありますしね。
そのネーム・バリューからどこぞの知事にひっぱりだそうという馬鹿者があらわれない
ともかぎらない。
が、その時は、周辺のスタッフ、ファンの人々は泣いてでも引き留めることを望みます。
「政治家」栗本薫・・・えらい騒ぎを巻き起こすだろうなぁ。
「魔界水滸伝」のシーン。内部崩壊して炎上する「アーク」の艦上。
死んでいくアレックス艦長が、安西雄介に言い残すコトバを思い出します。
「我々人間とあなた達ではあまりにも違う。共にやってきたのは間違いだった。
しかし、行き着く先が一緒なら、どこで戦っても同じのはず・・・」
そんな科白のあと、彼は逝く・・・。
なんか妙にあのシーンを思い出しました。
僕などの凡俗きわまる存在は、栗本薫氏みたいな特異な存在と同じ道をあるくことは
出来るはずもない。
が、もし「究極」の終着地が一緒なら、別々の場所で頑張っていけばそれでいいので
はないのか。
そんな風にも思うのです。
お名前: たくせん(謫仙)
URL
アイタさんへ
>下記は中島氏の19日の日記からの抜書きです。
………
>思いっきり『チャンス』と書かれています。
あなたの引用文によれば、中島氏は次のように次々と限定し、その上で
「ある意味『チャンス』」
と書いています。この限定がなければ、あなたの譬えは正しいのですが、
限定しているが故に、譬えには無理があります。
>拉致された人々は、その場で銃殺されたのでないかぎり、
たとえ数年でも生きていたのであるかぎり「人生のすべてを奪いとられた」
わけではない、
「まったく違う人生のなかに拉致された」のであること、
それは親が望んでいた「平穏な人生」ではないけれども、
もしもすぐれた資質や感受性を持つ人ならば「何故自分が」と考えたり、
望郷や運命の不条理に苦しむことによって、
必ず、凡庸なありきたりの人生のコースを歩むよりも多くのものを得ることができたはず
だと思う、
それはある意味「チャンス」でさえあったはずだ、
と私は思うのです。
最後に中島氏のサイトの最後に書いてある文
「このサイトのすべての文章及び写真の無断転載・二次使用は厳にお断りさせていただきます。
また、文意を誤解させるおそれのある部分的引用もお断りします。」
氏の文を引用するときは、この文にも、特に後段に意を用いることを、忘れてはなりません。
お名前: アイタ
ご返事ありがとうございました。レスの内、気になった箇所を書かせていただきます。
>またこの要約によると中島梓氏が「北朝鮮による拉致=たぐいまれな人生≒チャンス」と書いたかのように読めますが、実際にはチャンスなどという言葉はどこにも使われていません
これは海燕さんの書き込みからの抜書きです。
下記は中島氏の19日の日記からの抜書きです。
拉致された人々は、その場で銃殺されたのでないかぎり、たとえ数年でも生きていたのであるかぎり「人生のすべてを奪いとられた」わけではない、「まったく違う人生のなかに拉致された」のであること、それは親が望んでいた「平穏な人生」ではないけれども、もしもすぐれた資質や感受性を持つ人ならば「何故自分が」と考えたり、望郷や運命の不条理に苦しむことによって、必ず、凡庸なありきたりの人生のコースを歩むよりも多くのものを得ることができたはずだと思う、それはある意味「チャンス」でさえあったはずだ、と私は思うのです。
思いっきり『チャンス』と書かれています。
これは僕の目の錯覚でしょうか?
拉致されていたご本人が無事帰国されて『あの生活は苦しいものでしたが、こうして家族の所に帰って来れた今は、大きな人生経験のひとつでした』とおっしゃったなら、中島氏の発言は誰も気に留めないと思います。
拉致問題の実態や今現在の状態がはっきりしていないこの時に、第三者が書いて良い事では無いんじゃないでしょうか?どんな健康状態かも分からないんですよ?
不謹慎だと言ったのはたとえ話で言いますと、
お子さんを誘拐されたご両親―何日も安否を気遣って眠れない日々―生存が確認されたので一安心―マスコミがマイクを突きつけて一言『いやあ、普通の人生じゃあ味わえない経験ですよね!ある意味チャンスでしたよ』。
かなり極端な例え方ですが、あの日記から受けた印象です。
長い書き込みで申し訳ない。では失礼します。
お名前: 海燕
URL
>ご本人もおっしゃってるように(本気で云っているのかどうか?)何か欠落したモノがあるように思います。
うん、僕もたまにこのひとはなんか一般人が備えているセンサーがいくつか切れているんじゃないかと思うこと
がありますね。大きな声では言えないけどさ(笑)。普通ならたとえ内心で思ってはいても黙っていることって
あるじゃないですか。でも中島さんはそういうときわりと黙っていないのかもしれません。〈マルガ・サーガ〉
(未読)の是非についてとか、一時色々と喧しい議論がありましたが、実際にはコミケで自分の作品のボーイズ
ラブものとかエロパロとかを発表している作家・漫画家って大勢いるんですよ。みんな外では黙っているから話
題にならないだけであってね。「同人誌つくりました」と堂々とあとがきに書く作家はめずらしい。こういう性
格のひとの頭からあの穏やかなグインだの伊集院大介だのが生まれてきたのかと思うとおもしろいですねえ。レ
ムスとかイシュトヴァーンが生まれてきたのは多いに納得がいきますが。
>中島氏の著作を愛する人々が素直に肯定されてしまうのは不思議です。
アイタさんのご意見に対する僕の考えを述べる前にふたつばかり前提事実を話しておきたいと思います。
第一に、僕が参照しているのは史仙さんがリンクをはっていた「神楽坂倶楽部」の中島梓氏による9月18日の
日記だけであり、ほかの日記、ほかのサイトの文章などはまったく読んでいません。また僕がその文章を読むま
でには数日のタイムラグがあり、リアルタイムで読んでもいません。第二に、僕が中島氏と中島氏の別名である
栗本薫氏の著作を多数読んでいることは事実ですが、そのことと僕の意見にはなんの関連もありません。感情は
感情であり、論理は論理であり、意見は意見であり、人格は人格であり、作品は作品です。それを混同するよう
な真似はしません。以上のことを信頼していただけるならば、話に入りましょう。
さて、僕にはアイタさんが要約には要約の仕方そのものに恣意的な判断が混入しているように感じられます。精
確なテクストに基づく会話をめざすためにあえて引用しますが、アイタさんが要約のもとにされたのはたぶん日
記の次の部分でしょう。
もしかしたら拉致された人のほうが、いろいろなことに気づいたり考えたりする機会は、何ひとつおのれの置か
れた環境に疑いをもたない人々よりあったかもしれないなあ、などということも私は思ったりするのです。日本
人はあまりにもいろいろなことを「あたりまえ」だと信じていすぎるような気がする。いまパレスチナだのイス
ラエルだのに生きていれば、突然日常のなかにテロがあったり拉致があったりするのはむしろ常識で、それを考
えずに行動し、時間を無駄にしていればバカなやつ、愚かな人間になってしまうでしょうに。それをもしみんな
「ひとごと」ですませて何も感じず、平穏な日常だけが当たり前だと思っているのだとしたら、いまに日本から
すべての文化は滅びてしまうだろうなあ、と思うのですね。拉致はご家族にしてみれば大変な悲劇だし、国家と
してとんでもない犯罪なのも当然なのですが、「拉致された日本人」というたぐいまれな人生に直面した当人に
とっては、「それもまたひとつの人生」だったのであり、「それによって人生が失われた」わけじゃなかったの
だということは、覚えておかなくてはならないと思います。
この文章と、
拉致された事でたぐいまれな人生を送れたのは、平凡な人生よりも悲劇的とは思えない。ある意味チャンスだっ
たのでは無いか。
この要約とでは、客観的に見て、あきらかに大幅に意味が違うでしょう。アイタさんもそれに続けて「と読める
部分がある」と続けている以上、たぶん「そうも読めるが、べつの読みかたもできる」ことは否定されないだろ
うと思うのですが、僕はそのようには読みませんでしたし、そのような読みかたは誤読だと思います。この要約
では中島氏が「拉致された事でたぐいまれな人生を送れたのは、平凡な人生よりも悲劇的とは思えない」と書い
たことになりますが、実際には彼女は「拉致はご家族にしてみれば大変な悲劇だし、国家としてとんでもない犯
罪なのも当然なのですが」と拉致事件が悲劇であり、犯罪であることを認めたうえで、それでもなお当人にとっ
てはその犯罪によって引き起こされた悲運の人生こそがたったひとつの人生でしかありえなかったのだ、と言っ
ているのだと思います。
またこの要約によると中島梓氏が「北朝鮮による拉致=たぐいまれな人生≒チャンス」と書いたかのように読め
ますが、実際にはチャンスなどという言葉はどこにも使われていませんし、「たぐいまれな人生」という言葉も
「たぐいまれな人生を送れてよかったことだろう」という意味ではなく、ただたぐいまれである、という意味合
いにおいて使われていると思います。たぐいまれとは、滅多にない、ごく少ない、という意味でしょう。北朝鮮
に誘拐された十数人のかたがそういう意味でたぐいまれな人生を送ったことは、だれも否定できないところだと
思います。
批評家たるもの誤読される可能性を犯すべきではないというご意見は理解できます。しかし、誤解される可能性を
まったく含まない文章を書くことは不可能ですし、正確な内容そのものに問題があるというのならともかく、誤
読されるかもしれないことを書くことじたい不謹慎であるという思想には(僕には正直いってこの不謹慎という
言葉の意味じたいよくわからないのですが)、言葉狩りにつながりかねない危険さを感じます。十数年前、昭和
天皇崩御の折り、この国のマスメディアはいっせいに娯楽番組の放送を「自粛」しました。この日本という国は、
一見自由で近代的な国家に見えて、そのうちにはなにかあればすぐに挙国一致体制で動き出しかねないあやうさを
秘めている。だからこそ、曖昧な理由で言論が封殺されるようなことがあってはならないし、感情論ですべてを
語ってはならないのです。僕はそう考えます。僕自身が誤読しているような個所があればご指摘ください。
お名前: アイタ
史仙さん、書きこみされてるみなさんこんばんは。アイタと申します。
史仙さん宛の別HPへの書きこみが無視されてるようなのでここに来ました。
僕はやはりあの日記の中島氏の発言はあまりにも不謹慎かつ不用意だと思いました。
『希望があったと信じたい』というような箇所だけ読めばいいのでしょうが、
『拉致された事でたぐいまれな人生を送れたのは、平凡な人生よりも悲劇的とは思えない。ある意味チャンスだったのでは無いか。(要約)』
と読める部分がある以上、好意的に読みようがありませんでした。
中島氏は何らかの『ドラマティックさ』を感じておられるのかも知れませんが、当事者側からすれば『別に歴史に名前なんて残したくない、家族の許へ帰りたい』と思っておられたのではないでしょうか。(推測で言って申し訳ないですが)
僕としては作家としてはエキセントリックな言動をされるのは多少容認できます。
しかしあの日記は評論家・中島梓氏名義です。
一識者として『誤解を招くような発言』をした事自体問題だと思いますし、多数の方が真面目に批判するメール等を送っておられるはずなのに、まとめて『北朝鮮擁護だと言われたのは心外だ』というのはそれこそ見当はずれでしょう。
中島氏の著作を愛する人々が素直に肯定されてしまうのは不思議です。
長い書き込みで失礼しました。
それからラグトーリンさん、別サイトはご返事いただき、有難うございました。
あなたの書き込みを読んで、『あの発言を容認してる人ばかりでは無いんだな』と思う事ができたのは大きな収穫でした。
今、ヤフトピでもこの問題がこじれてますね…。
お名前: ラグトーリン
お騒がせのラグトーリンです(^^;;
私自身は前回の書き込みから意見は変わっていないのですが、
皆さんの書き込みを読んで、同じ文章でも随分いろんな読み方があるんだなあと感心しました。
私などは読んだ途端、頭に血が上ったクチなので…。うぅ、皆さん大人ですわ。
>史仙さん
前回の書き込みでは一瞬(?)驚かせてしまって申し訳ありません。
もちろん、日記とは神楽坂倶楽部の更新日記のことでございます。
小部屋のログファイル消滅情報は、私じゃなくてG加藤さんですよ〜。
早く復活してほしいですね。
お名前: 史仙
☆ぶっきーさん
よくぞこんな陋屋まで(笑)歓迎します。
「某小部屋」・・・なんでも殆どのログ・ファイルが消滅するハメになったとか
(ラグトーリンさんの言による)一日もはやく復旧して欲しいですね。
>「問題の日記」また誤解されるような事を
同様な感慨を海燕さん述べておられますよね。
僕のイメージでは、「他人からの誤解こそわが生き甲斐!」とかなんとか、そん
な標語が栗本薫女史の書斎には飾ってある・・・そんな気がしています。
でもって、トラブルの渦中に嬉々として飛び込んでいくワケ(笑)
>「トリック」
映画はぜひ見に行くつもりでいます。
感想なぞ交換しませんか?
☆おかぴーさん
感想、ありがとうございました。
ベツのサイトでの栗本薫発言の反応をみていると、異常なほどの反発をしめして
いるケースもあったりするのですね。
そんなにヘンな発言なのかな?
疑問があったので、出来るかぎり多くの人の意見を聞きたく思ったのです。
でもおっしゃるとおり、相互理解ってむつかしいモノがありますね。
殊に、栗本薫女史って、それこそ「誤解されやすい」タイプですから・・・。
☆海燕さん
>誤解されることを恐れて当たり障りのないことしか言わなくなっても
しょうもないし。むしろメディアはあまりにも視聴者の感情に訴えか
けすぎている。メロドラマじゃないんだぞ。ニュースとドラマの方法
論が区別がつかなくなってきているのかな
コレ、まったく同感です。
そういうイミで、危険な状況ができつつあると思います。
おっしゃるように、僕たちが生かす教訓として、9.11以降のアメリカとその
世界という絶好の教科書があるわけです。
そこから日本の対応を学ばないと、なんにもなりません。
歴史に学ぶって、ひとつはそう言うコトだと思うのですけどもネ。
ただし、栗本薫というヒト。
(とても大きな声では言えませんが)
ご本人もおっしゃってるように(本気で云っているのかどうか?)何か欠落した
モノがあるように思います。
(いや、僕自身にも欠けた部分ってアルのですけども)
だからこそ、かえって多くの人を惹くのかもしれません。
グインや安西雄介が喪った「我」ゆえに強大な存在としてある所以です。
作家という人種、そういう一面があるのか?
それとも栗本薫というヒト、固有のものなのでしょうか?
「凶星」って、栗本女史本人のことなのではないのかな(笑)
お名前: 海燕
URL
日記読みました。僕もああ、また誤解されやすいことを……と思わなくもありませんが、ま、
いいんじゃないでしょうか、誤解されることを恐れて当たり障りのないことしか言わなくなっ
てもしょうもないし。むしろメディアはあまりにも視聴者の感情に訴えかけすぎている。メロ
ドラマじゃないんだぞ。ニュースとドラマの方法論が区別がつかなくなってきているのかな、
とちょっと思いますね。昨年の9月11日以来、アメリカにおいて政府とメディアによって
「テロリストを赦すな!」という世論が形成され、異論が赦されない環境ができあがっていっ
たように、日本においても「北朝鮮を赦すな!」という世論がメディア主導のなかで形作られ
ていくのだとすれば、まずそれをこそ恐れなければならないのではないでしょうか。あのよう
な形での犯罪が赦されないものであることはだれの目にもあきらかな事実ですが、だれの目に
もあきらかな事実であるからこそ検証してみる必要がある……僕はそんなふうにも思います。
僕は新潟市で育った人間で、ひょっとしたら僕が誘拐されていたかもしれないんだな、なんて
ことを時々考えたりもします。でも一方でもっと視野を広げてみれば、僕が北朝鮮に生まれて
いたという可能性もある。幼い子供たちが無残に殺されていくような事件が痛切なのは論を待
たないところですが、しかし一方では北朝鮮にもよるべない飢えた不幸な子供たちが数多くい
るのだということ、日本の経済援助の如何によってかれらの運命が決まるかもしれないという
こと、それもまた事実なのです。だから北朝鮮を赦せ、というのではない。ただ社会全体がひ
とつの「正しさ」に酔い、視野を狭くして感情論に流れていくことは危険です。世の中には殺
人犯の家の壁に落書きをしたり、その家族に卵をぶつけたりする輩がいますが、国政をそのよ
うなレベルで行ってはならない。もし一大国がそのようなことをすればどうなるのか、9・1
1とアメリカという恰好の例が僕たちの前にはあります。
お名前: おかぴー
史仙さまの日記で、栗本さんの日記の内容をしりましたが・・9/18分で、彼女が言っていることにかんして、特に反発とかは感じませんでした。
彼女は拉致について肯定しているわけではないし、とにかく、いろんな状況になっても、
人は、人それぞれにがんばって生きていくということではないのかななんて、言いたいのかなと、
私は思いましたけどね。もちろん、悲劇的で過酷な状況になるというのは、私だって、
まっぴらですし、家族がそうなるのもいや、
できたら、安心して暮らすことのできる環境下で生きていきたいです。
でも、生きていこうと決心するのなら、それなりにその環境下で
生き延びるしかないかな。
しかし、これもまた、彼女の日記を読んでの私独自の読み取りですからね。理解って
むずかしいですよね。
一番の悲劇は、やはり、みなさんが考えられるとおり、命が奪われた少女です。
犯人の勝手な言い分にも頭にきましたし、警察の対応にも、何それ!!と思いました。
奪われた命は帰ってこないというのに・・・
お名前: ぶっきー
こんにちは、ぶっきーです。
こちら、カキコは初めてです。検索してたら辿り着いてしまった・・・と言ったら怒られるかしら。某小部屋も休業中だしぃ。
「問題の日記」も見てきました。
また誤解されるような事を(¬_¬;) と思いましたが補足もされてるから大丈夫だろうと思います。でもあの日記って本当に主婦の世間話の感覚なのですね。
ところでここは、いろんな話題あって楽しいですね。トリックは私(ら夫婦)もハマって
ビデオとって見てました どーんとこい超状現象ってそちらのツリーで発言しろって?
すいません。
お名前: 史仙
>まりしてんさん
どうも、コメントありがとうございました。
相手の文章って、冷静に読み込むことが大事だと思いました。
「始めに結論ありき」では、相互理解なんてムリですから。
まりしてんさんや謫仙さんのような沈着な受けとり方を間近にみると、
ホッとさせられます。
お名前: まりしてん
神楽坂のホームページはよく目を通してまして、あの問題とされてる部分もリアルタイムで読みましたが、自分と同じ考えだということもあって、あれが問題になることとは思えませんでした。
さらに、その次に反論というか補足のような形で意見を追加されてましたが、元の文章だって最初から最後まで読み通せば間違っても北朝鮮擁護じゃないだろうに・・・
というのが、今回の顛末に関する正直な感想ですね。
じっさい、今回の結果の一報を聞いたときは、なんちゅう無残な・・・という思いに囚われ、次に家族の暗澹たる思いにいい様の無い痛みを感じました。
その後、様々な不手際などが発覚し、非難の声をあげる家族の人たち・・・かれらにはそれを表に出す権利があると思います・・・政府首脳はそれを真っ向から受け止め本当の意味で政治を行って欲しいと思ってます。
実際、自分にも妹がおり同じ状況下にあったら、思慮の足りない対応をされたらあんな怒りでは物足りないくらい切れてしまうと思いますし、
でないと今まで張っていた糸がぷつんと切れてしまい、しばらく立ち直れないだろうなと思うのです。
ただそれに乗って、あおりすぎの感があるマスコミ(特にテレビ)には、辟易します。
ごく一部の報道を除けば自分たちの今までの姿勢を反省することなく、外務省がどうだの、首相がどうだの、と
まあいけしゃあしゃあと良く言えるなと思いますね。
横田めぐみさんなどの人たちが、どういう風にすごされたのか、どんな思いで生きてきたのか、その思いにはせる時に、
少しでも今いる状況に何らかの幸せを感じた瞬間があってほしいし、あったと思いたい・・・
最後に、今回の日朝首脳会談について、結果の是非に関しては今後の交渉においてハッキリするでしょうね。
少なくとも、ここでこの国の政治家、特に首脳たちに政治力を、国家展望力を発揮してもらいたい、
私自身は政治に失望は十分しているが、まだ諦めてはいない、まだ何かそういう力をこの国は残しているんだと思いたい。
今回のことをきっかけに、日本が北東アジアのパワーバランスの舵取りできる国へのきっかけになってくれることを願いたい・・・・今もテレビに映ってる政治家の発言聞いてても・・・
無理っぽいなぁ・・・・
お名前: たくせん(謫仙)
URL
史仙さん、帰ってきました。
神楽坂倶楽部の日記を読みました。現在(9/22)の文が原文どおりなのか判りませんが、
一読して「どこが問題なのかなあ」と思いました。
再読して、この部分かと思うところがありますが、それも前後を読んでみると、問題とは
思えないのですが。
わたしのは場合「人生」を、長い・短い・辛い・楽しい・悲惨などいろいろつけてしまう
ので、人生があるといっても、それを「幸せな人生」とは限定しません。
人生がある、つまり楽しい人生
人生がない、つまり辛い人生
というようには考えないので、「どこが問題か」と思ったのでしょう。
「評価しない」は、つまり「低い評価」であり、「無評価」ではない。その感覚で「人生
がある」を「幸せな人生」と読みとった方がいたのでしょうか。
問題の本質を知らず、見当違いな感想かも知れません。どこが問題なのか判らない謫仙でした。
お名前: 史仙
今朝、ラグトーリンさんからご指摘をうけるまで、栗本薫氏がああいう発言をされていた
とはまったく知りませんでした。
一応、「問題の日記」に全部目を通しました。
結論。
あれは、アレでひとつの意見であって、封殺するような風潮になってはならない。
たしかに、誤解を招きかねないご意見ではありますね。
彼女独特の論理展開というか?
反発したヒトがいたというのも、ムリはないってか?
僕もクビをひねった箇所はあるのですが・・
とりあえず、本日の「日記」に感想を書きました。
今のトコ、あれくらいでしょうか?
このテーマについての発言をどうぞ。
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