<2002年4月の日記〉の4月1日の記事を大変な衝撃を受けて読みました。
私は趣味で秩父事件を研究しているものです。まず,著者の中田千哉なる人物のことですが,事件参加者ではありませんが,蜂起の地である秩父郡下吉田村に当時田中千哉と言う人物がおりまして,事件についての詳細な記録を残しております。また、南郷なる人物ですが,事件にかかわった人物に西郷旭堂と言う人物がいます。この名前は偽名と思われ,幹部の誰かがこのように名乗ったものと思われますが,今のところ不明です。
秩父事件は,生活に窮した人々が,富豪を襲撃した打ちこわし事件などとの評価もされていますが,幹部たちは明確に政府転覆を目指しており,まさに不平の民を糾合して革命政権を樹立すると言うのがそのねらいでした。
中田千哉は明らかに田中千哉を知っている者であり,革命政権樹立顛末記なる表題の小説を書いたと言うことは,事件の真のねらいを知っていたと言うことです。
事件は当時全国を揺るがした大事件でしたから,盛んに報道もされ事件は多くの人々の知るところでしたが,多くは暴動として報道され,真のねらいはほとんど一般に伝えられませんでした。事件参加者でなく,当然幹部でもない田中千哉は一般人には知り得ない名前です。
この小説は,幹部か,幹部の近くにいた人物の作と思われます。1887年にこれが書かれたということは,きわめて重要です。貴重な歴史資料であるといえるでしょう。
ぜひこの小説の詳細をお教え下さい。