毎日入場券(あとがき)

変な おまけのツアー「毎日入場券」、いかがでしたか? 廃止、改称、無人化によって昭和55年頃までに、入場券からその名が失われた駅の数は約千三百に達するといわれていますが、質より量と銘打った今年のツアーでは その3分の1も訪ねることはできませんでした。硬券入場券を発行していた旧国鉄の駅は六千もあったとのことですが、どんなに高名で高齢な大御所でも、一人で六千駅の硬券入場券を収集するのは非常に困難なのだそうです。だから、切符の素人 chabin が集めるなんぞ、全く無謀にして、夢のまた夢なんです。
東京新橋K趣会で出会った鉄の古老から聞いた話と、神田S友社の古老から聞いた話が、くしくも入場券収集の苦労話で一致したのには、驚かされました。昭和30年頃迄は、入場券の発売と回収には、厳しい監視の眼が注がれていたとか。特に、ローカル線の小さな駅では出札窓口と改札口が近くにあり、しかも、普段、改札口は鎖で閉鎖されていて、列車が到着する30分前迄、駅構内に入場することはできませんでした。入場券を買った乗客が、乗車券で入場しようとすると、「さっき買った入場券をなんで使わないのか? 使わないなら返せ!」と思い出の切符を回収されてしまったのだという。こんなわけで、昭和30年以前にローカル線の小駅で発行された入場券は、ほとんど残っていないそうです。確かに、昭和20年代後半に発行された赤線10円入場券は、大きなターミナル駅のものばかりですね。

容量の関係から 解像度を落としたため、粗悪で貧弱な展示になり、捏造品が一層お見苦しくなったことを深くお詫び致します。お詫びの代わりに、「それではここで 最後の問題です」。

左は、同じ駅の赤帯入場券を2枚づつ並べたものですが、1枚は本物で、もう一方は偽物です。さて、どっちが捏造でしょうか?

入場券プロのあなたには、チョー簡単な問題とは思いますが、いかがなもんでしょうか?