首都圏の駅 栄枯盛衰

1.鶴見線の鑑定

大都会の片隅を走りながら、寂れたローカル線のような鶴見線では、鶴見を除く全駅が駅員無配置。無人化されて35年近くになる12駅の入場券はどの位発行されていたのでしょうか? これまでの当てにならない鑑定結果から、幹線以外にある駅の入場券発行枚数は定期券を利用しない乗降客の数と強い相関があることが分かってきました。左は、1979年に発行された「国鉄全線全駅 読み乗り2万キロ総ガイド」の1日平均乗降客数から多い順に並べたものです。昭和41年3月から5月にかけて発行された12枚は、謎の入場券買い占め隊が購入したと思われる券。扇町(656人)や昭和(331人)は、中央本線・梁川(964人)よりも乗降客数が少ないので、1期券が売れ残っていてもおかしくないのですが、新芝浦が東京10円2期券以外は10円6期券か白券20円券。これらの入場券を見た目で鑑定することにより、次のことが推理できます。
@大川(2132人)は、S41.4.12に入場券買い占め隊によって数十枚が買い占められ(多分0001もこの時に買い占められた)、その後S42.8.26までの1年4ヶ月間に50枚も売れなかった。
A海芝浦(1678人)もS41.5.27に入場券買い占め隊によって数十枚が買い占められた(多分0001もこの時に買い占められた)模様なので、1日何枚売れていたのかは不明。しかし、S38.11.27の時点で東京2期券の券番が0119なので、乗降客数のわりには、かなり不人気な駅だった。
B乗降客数が1005人の新芝浦は一番不人気な駅だったらしい。利用者は、東芝にご用の方か、鉄道ファンしかありえないので、扇町や昭和より乗降客は多くても、入場券発行枚数は非常に少ない模様。

昭和39年度の東京鉄道管理局発行「鉄道要覧」を調べてみると、鶴見以外の駅は、昭和40年(1965年)頃よりも乗降客数が半減していることが分かります。今から40年前までは、入場券もかなり発行されていたものの、その後、京浜工業地帯の衰退とともに乗客も減り、昭和41年以降に発行された入場券のほとんどは、鉄道ファンが記念に持ち帰るために購入したものではないでしょうか。

2.相模線の鑑定

左の9枚は、茅ヶ崎と橋本を結ぶ相模線の赤帯入場券で、謎の入場券買い占め隊が購入したと思われるもの。香川と下溝はなんと東京1期券で、しかも券番はたったの2桁。この入場券が発売された頃の相模線は、ディーゼルカーが走る非電化区間のローカル線で、今よりもずーっと乗降客数が少なかったため、この頃の入場券は貴重品のようです。特に、入場券買い占め隊が活躍する以前の昭和37年に無人化された宮山、倉見、門沢橋、社家、入谷の入場券は大変希少な入場券と言えましょう。

3.川越線の鑑定

都心への便利なアクセス手段として、おおいに繁盛している川越線ですが、40年前は、相模線以上に超ローカルな路線だったのです。左の7枚も、謎の入場券買い占め隊が購入したと思われる赤帯入場券で、7枚中4枚も東京1期券。当時の乗降客数は、南古谷=855、西川越=335、的場=733、笠幡=745。このことから、川越線の赤帯入場券は発行枚数が少なくて、昭和45年に無人化された西川越の券だけが貴重品というわけではなさそうです。