残暑お見舞い 申し上げます
「涼しい駅の風景から」


荒涼たる原野にある お化けが出そうな駅に佇む古い電車。

普通の日は駅員さんのいない無人駅だったというウワサが真実味を帯びてくる。

これが昭和30年代の東京競馬場前駅だったとは、ご存じない方が多いことでしょう。競馬が開催されない日は、往時の深名線・白樺駅よりもずっと寂れていたのです。


昭和37年、夏のイメージの言葉と同じ発音の駅舎。ピラミッドのような三角形の存在が懐かしい。

これは香椎線の宇美駅。当時、炭鉱はまだ生きていたのです。三池工業高校が夏の甲子園大会で奇跡の優勝を果たしたのは、この3年後のことでしたね。

キマロキがお掃除した貨物線の上を駅長さんが歩いてくる。お掃除を手伝った鉄道員の家族や村人達に見送られ、キマロキは東へと去っていく(キマロキの後部から chacha氏撮影*)。
昭和35年1月、かなり寒い(というより、日本で一番寒かった)けれども、単なる普通の駅の涼やかな風景。

この駅の硬券入場券はウン十万円もするという。が しかし、その時、大勢の鉄道員が働く とても立派な駅だったのだ。

これがありし日の深名線・白樺駅だとは、信じられない方も多いのでは。写真中央の大きな建物が駅舎本屋、左端の電信柱の陰に見えるのがプラットフォームの待合室、駅長さんの後方の建物は貨物駅、そして右端の建物は保線区詰所。駅長さんが歩いている線路はキマロキが除雪した貨物線。左の電信柱と貨物線との間に下り線がありますが、キマロキが吹き飛ばした雪でレールは見えません。
この時は、下り線の除雪は行わず、貨物線だけ、最初にロキ、次にキマロキと除雪したそうです。

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