第8日 東海道新幹線1965年
「発行されなかったA特急券」

当初の計画では、東京〜新大阪間を3時間で走る夢の超特急「ひかり」をA特急、4時間で走る特急「こだま」をB特急とする予定でしたが、開業当時は路盤が軟弱だとかで「ひかり」を4時間のB特急、「こだま」をC特急とし、特異な新幹線B特急券とC特急券が発行されました。1年あまりのちの1965年11月、スピードアップした「ひかり」用としてA特急券が登場するはずだったのに、なぜか発売されず、幻の特急券と言われているそうです。左はその幻のA特急券を偽造したもの。

昨年11月に東京12チャンネルで放送された「新幹線を作った男」を見て、十河さんが総裁にならなかったら鉄道先進国の欧米を驚愕させた新幹線は今も無く、そして、島さんが技師長でなかったら、その当時、長距離走行を義務付けられていた特別急行列車を電車で走らせるなどというめっちゃくちゃ破天荒なこともなく、今もなお東海道本線には窒素酸化物を撒き散らしながらディーゼル機関車牽引の特急が爆音を響かせて走ってるかもしれなかったんだなぁ〜... と、あらためて当時を懐かしがる chabin でした。番組では放送されませんでしたが、三河島事故の責任を取る形でお二人が去ったあと、関西人のわがままな我田引水による「ひかり」の京都停車で3時間運転はもろくも崩れ、また、実キロは515.4qなのに552.6km分を徴収する理不尽な運賃など、「夢の超特急」のイメージをダウンさせる出来事が相次ぎました。3時間10分運転でもA特急の料金をちゃっかりと徴収した国鉄も、さすがにA特急券と呼ぶ厚顔無恥ぶりは発揮しなかったかどうか定かではありませんが。


第9日は、新幹線開業で都落ちしたパーラーカーの常備券を空想します。