最終回 深名線のキハ07とキマロキ

冬の深名線を行く寒冷地仕様のキハ07を写した貴重な1枚(S34.12.31、キマロキの後部から chacha氏撮影)。写真前方は深川方面。この頃、各駅に保線区線路班の詰所があり、写真に見られるように、深川方だけでも、上下線のポイントと貨物線のポイントの除雪作業に4人もの鉄道員が働いていたのです。

民家の屋根がたくさん見えていますが、この駅はどこだか、お分かりですか? 





「残暑お見舞い申し上げます」でご紹介した除雪後の白樺駅の風景。「説明が分かりにくく不親切だ」との文句はまったく届いていませんが、あまりにいい加減な解説なので、深く反省して、 撮影した chacha氏の話をもとに、白樺駅におけるキマロキの除雪作業を追加説明します。

写真を撮影したのは、昭和35年1月ではなくて昭和34年12月31日だったそうです。名寄に向けて朱鞠内を出発したキマロキが本格的な除雪作業を行ったのは、白樺駅の貨物線だけ。厳寒の朱鞠内〜名寄間の中でも、白樺駅は積雪が一番多かったようです。除雪の手順は、以下の通りでした。

@白樺駅の手前の深川方で、機関車(キ)+マックレー(マ)と、ロータリー(ロ)+機関車(キ)を分割する。
A下り本線を使って、キマを名寄方に逃がす。
Bロータリーで貨物線を除雪(写真左上)。
C名寄方でキマロキを最連結して貨物線を使って深川方にバック。
Dマックレーの羽を広げて、貨物線周囲の雪をかき寄せながらロータリーで吹き飛ばして除雪(写真左下)。これを段切り作業というそうです。名寄方まで貨物線を段切りして除雪終了。
E名寄に向けて出発。この時、キマロキの後部から撮影したのが「残暑お見舞い申し上げます」の白樺駅の写真。

昔の深名線はとても活気があったんですね。最後に、キハ07の写真の質問に回答しながら、往時の深名線がとても繁盛していたことをご紹介して、夏特集を終わりにします。ご覧いただきまして誠に有難うございました。

写真の駅は天塩弥生。この頃まで、深名線の各駅には、交換設備だけでなく、貨物駅や保線区線路班詰所まであったことを示しています。もっと驚くことは、昭和35年の交通公社時刻表によれば、白樺を除く朱鞠内から西名寄までの各駅が電報取扱駅だったことです。当時、電報は幹線の大きな駅でしか取り扱っていなかったのですから。