節約節約 ケチケチ切符

中小私鉄の中には、昔々のその昔の入場券を捨てずに、いつまでも大切に使うことがあると言います(*)。左は昭和34年に発行された小湊鉄道・上総中野駅の入場券。いつ頃から、この5銭券を売り始めたのかは、調べていないので分かりませんが、たぶん戦前の様式なので、約20年間に8百枚程度しか売れていなかったことになります。

*:鉄道入場券図鑑,運輸情報センター,1981,PP16


左上は昭和38年に発行された豊橋鉄道・鳳来寺駅の入場券。昭和4年開業当時の古い入場券を売り続けていたらしい。裏に鉛筆でチェックした跡があるので、この日最初に売れた入場券。ということは、34年間にわずか54枚しか売れなかったことを示しています。実は、これと同じ日付の券が鉄道入場券図鑑に掲載されています。

左下は昭和38年発行の日立電鉄・久慈浜駅入場券。昭和2年開業時の駅名「久慈」から「久慈浜」に改称した当時の古い入場券を売り続けていたと思われます。一応、料金3銭をペンで10(円)に直して発売したようです。こちらは20数年の間に3500枚も(?)売れていたことが分かります。

井笠鉄道・高屋駅の営業最終日に発行された入場券には、運賃変更印もペン書きの訂正もありません。昭和17年に発行された高屋駅の五銭白券入場券が鉄道入場券図鑑に掲載されていることから、五銭白券入場券を売り切った終戦前後に、この5銭赤線入場券に切り替えたと思われます。券番は2710なので、20数年の間に2710枚が売れていたことになりますが、しかし、この日、カメラを下げた鉄道ファンが押し寄せ、入場券を買い漁った可能性が高く、このあと、どれくらいの枚数が売れたのか、定かではありません。

昭和30年代までは中小私鉄の駅は不人気で、入場券が売れることはめったになかったので、わざわざ、新しい運賃体系の切符を印刷しなかったようです。中小私鉄が経費節減や環境保護に熱心だったわけではないんですね。このように運賃変更印やパンチが入った私鉄の入場券に対する収集家の評価は今一つですが、古い様式を知ることできるうえ、発行枚数も正確に把握できるので、研究用としては面白いかもしれません。