八高線、小海線

八高線は、中央本線・八王子と高崎線・倉賀野を結ぶ92.0qの路線です。つい最近まで、非電化単線の、のどかなローカル線で、東京近郊の路線とはとても思えませんでした。従いまして、乗降客の少なかった駅では、昭和30年代の入場券は発行枚数が非常に少なく、左の竹沢駅入場券は券番=0034。地方ローカル線の無人駅以上に不人気でした。

小海線は、中央本線・小淵沢と信越本線・小諸を結ぶ78.9qの路線で、日本で一番高い所を走る高原鉄道です。冬季は本州屈指の寒冷地を通る路線としても有名です。最低気温が零下30℃になると聞いても「ウッソー!」とまったく信じなかった chabin も、三十数年前に松原湖の近くで細氷現象(ダイヤモンドダスト:空気中の水蒸気が冷やされて氷の粒になり、キラキラと輝く気象現象のこと)を目撃するにいたり、そこがシベリヤ並みの極寒地帯であることを痛感したのでした。温暖な今の気候からはとても考えられない、寒さ厳しき冬が昔々の日本には確かにあったのだ。

鉄道切符から脱線しますが、昔の寒さに触れたついでに、日本の温暖化について少しご紹介します。興味のない方はスキップして下さい。

立春というのに、今冬の東京は、まだ一度も氷点下を記録していません。最低気温が氷点下の日を冬日と言いますが、このままでは東京は「冬のない亜熱帯都市」になりそうです。昔々、欧米における日本の気候区分は北海道を除いて、亜熱帯多雨(Subtropical Moist)気候とされておりましたから、グローバルスタンダードに準拠したことになります。緯度にして10度から20度も南に位置する日本は、北アフリカと同じ亜熱帯というのが、当時の欧米先進国の常識だったとか。南北問題に象徴されるように、「白人が住む北の寒い国は先進国、有色人種が住む南の暑い国は後進国」で、はるか南の日本は、夷蛮な後進国と見なされておりました。とにかく、東京オリンピックまでは、日本と言えば、フジヤマ+芸者+「フンドシ姿で、柱だけの茅葺屋根の家に住むチョンマゲ民族、そして何故だかメガネをかけている」だったとさ。先進国の仲間入りを目指していた当時の日本政府は、このような風評被害を打ち消すべく、コンクリートのビルが林立し、電化製品に溢れた日本を紹介する映画を作成したのに、まったく効果はなく、いつまでたっても、日本=フジヤマ+芸者+フンドシ・チョンマゲ民族。そんな時、ある全国紙に次のような記事が載っていたのを今でも思い出す。
40年以上前のヨーロッパで日本紹介映画が終わった時のこと。ビックリしたような顔をして会場から出てきた白人達の話題は、なんと「日本に雪が降る」だった。たまたま、雪景色の中を汽車ポッポが走るシーンが映っていたのだが、それは白人達にとってまさに晴天の霹靂、「南の島に雪が降る!!!」。それ以来、日本に対する評価が変わったと言う。温暖化した今の日本からは、とても考えられないことですが、ウソのようなホントーの話。
では、どの位寒かったのでしょうか? 温暖化の影響が顕著に現れる最低気温を例にとって、昔々の日本の寒さをご紹介します。
1.1年間の冬日の平均日数(昭和42年の理科年表から)
 鹿児島:28日、東京:51日、高山:134日、札幌:150日、旭川:168日
 ⇒ 東京でも、氷点下の日が2ヶ月近くあったのだ。
2.日本各地の月別観測最低気温(日本各地の気候表(昭和34年発行)から)
 以下の数値は10月から4月までの東京、高山、旭川における月毎の観測最低気温です。昔々の日本の冬は信じ難いほど寒かったのです。このまま温暖化を放置し続ければ、いずれ北海道にも冬は来なくなることでしょう。
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:−−: 10月: 11月 : 12月 : 1月 : 2月 : 3月 : 4月 :
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:東京: -0.5 : -3.1 : -6.7 : -9.2 : -7.9 : -5.6 : -3.1 :
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:高山: -3.5 : -7.9 :-19.5:-23.5 :-25.5 :-21.2: -7.6 :
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:旭川: -8.0 :-25.0:-30.0:-41.0 :-38.3 :-34.1:-19.0 :
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