見向きもされなかった駅にある日突然、カメラをぶら下げたお馴染みの大群が押し寄せ、それまで全く売れなかった入場券が飛ぶように売れるようになる。切符売り場には長蛇の列ができ、入場券はいくら増刷しても間に合わない。閉店時間を待たずして、「入場券は売り切れました」の看板を出し、開店休業になる。さる1月30日、左の駅でこんな光景が繰り広げられました。恐らく16.-1.30の入場券は少なくとも数万枚、もしかすると数十万枚が発売されたのではないでしょうか。逆に、それ以前の110円硬券入場券は皆無のはずです。というわけで、売れ筋は最終日の入場券なんです。 |
左の3枚は上から順に、昭和37年5月15日に廃止された手宮線終着駅・手宮駅の入場券、昭和41年11月1日に南福岡に駅名改称された鹿児島本線・雑餉隈駅の入場券、そして昭和48年3月31日をもって廃止された通称下河原線(中央本線支線)終着駅・東京競馬場前駅の入場券。いずれも最終日発行のもの。プレミアの条件である「最終額面券で、さらに最終日付であればベスト」を備えた文句の付けようのない入場券ですが、どうして切符の素人chabinが所有しているのでしょうか、摩訶不思議?
昭和30年代後半から、駅の廃止や改称時に鉄道ファンが大挙して訪れる社会現象が話題になりましたが、その結果、最終日付の入場券だけが大量に残されることになったようです。その傾向は廃止の時、特に顕著で、昭和48年の下河原線廃止時には物凄い枚数の東京競馬場前駅入場券が売れたといわれています。推定発行枚数は数万枚といったところでしょうか。そして、あれから31年が過ぎた今、一番入手容易なのは最終日付の切符という皮肉な結果になったわけです。普段はどのくらい売れていたんでしょうか?
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フォントパターンや印字間隔から、同じロットと思われる左の2枚は20円東京1期券。左上(券番0016)と左下(券番0058)の差から、318日間に42枚しか売れなかったことが分かります。1枚売れるのに7日〜8日もかかっていたわけで、普通の日の方がずーっと希少だったんですね(この傾向は、その他の普通の駅でも同様で、1年に10枚から高々100枚の発行ではないでしょうか)。昭和30年代、この駅の赤帯入場券は、もっと売れていなかったと想像されますが、実際は謎のまま。お持ちの方からの情報をお待ちしています。
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廃止・改称・無人化時期だけでなく、駅の入場券が普段どのくらい売れていたのかを知ることができれば、鑑定の精度をあげることができるかもしれません。次回は、ある路線を例にとりながら、入場券がよく売れる人気の駅、それなりに売れる普通の駅、そして、ほとんど売れない不人気な駅が存在することをご紹介し、どのような駅の入場券が希少なのかを探ります。
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