深名線「その時 有人駅」

深名線は、函館本線・深川と宗谷本線・名寄を結ぶ121.8qの路線でした。昭和7年までに深川〜朱鞠内間の雨竜線が、また、昭和12年までに名寄〜初茶志内(昭和26年7月20日、天塩弥生に改称)間の名雨線が開通。昭和16 年に未開通だった朱鞠内〜初茶志内間がつながり、深名線と名づけられました。北海道の鉄道で最も寒いところを走る路線として有名でしたが、平成7年に廃止されました。

深名線の硬券入場券は、大人気のコレクターズアイテム。昭和41年まで発売されていた赤線入り入場券は発行枚数が少ないらしく、高額で取り引きされる貴重な切符です。特に、蕗ノ台〜西名寄間の駅には、ビックリするような価格が付いています。鉄道入場券図鑑によれば、蕗ノ台は昭和39年4月1日に無人化、また、白樺と西名寄は開業当時から無人駅とされていますから、白樺や西名寄駅の硬券入場券は、残っていること自体が奇跡的で、まさに特別天然記念物級の逸品と言ったところでしょうか。
しかし、「秘境日高三股へようこそ!」に幻の白樺駅入場券が展示されていることや、去年の夏特集でご紹介した通り、昭和35年当時の白樺駅や天塩弥生駅は、大勢の鉄道員が働く、実に立派な駅だったことから、その頃までは間違いなく有人駅だったのです。いつまで駅員さんがいて入場券を販売していたのでしょう? 
駅の無人化時期は昔々の鉄道公報(日刊)に記載されているそうですが、一覧にした資料は鉄道入場券図鑑だけのようです。そこで、久しぶりに切符の素人 chabin が 独断と偏見と見た目で 大胆な鑑定に挑戦してみましょう。鑑定の対象は、蕗ノ台、白樺、西名寄の3駅の無人化時期です。鑑定に用いる資料は、交通公社の時刻表と停車場変遷大事典です。

左は、交通公社の昭和36年3月号から深名線の下り時刻表をスキャナで取り込んだもので、蕗ノ台、北母子里、天塩弥生、西名寄の4駅が電報取扱駅。昭和35年11月10訂補とあるので、この時まで、白樺駅以外には電報受付の有人窓口があったと考えられます。しかし、1年半後の昭和37年4月号(36.10.1改正)から、全駅で取り扱わなくなっています。このことから、蕗ノ台と西名寄は昭和35年11月まで電報を取り扱う有人駅だったのは明らかです(なお、昭和36年7月号では、同じ昭和35年11月10訂補なのに西名寄は電報取扱駅でなくなっています。こちらが正しいのかもしれません)。

以下は停車場変遷大事典に記載されている駅の営業範囲。その時まで、荷物や貨物を取り扱う立派な駅だったのです。
・蕗ノ台
 S35(1960)1210:般(一般運輸営業→旅客手荷小荷及び小口扱貨物)
 S39(1964)0401:般→客(手荷小荷及び小口扱貨物取扱廃止)
・白樺
 S35(1960)1210:般→客(一般運輸営業→旅客)
・西名寄
 S35(1960)0915:般→客(一般運輸営業→旅客)

前置きが長くなりましたが、鑑定結果は以下の通りです。

・蕗ノ台は、S39.3.31までは有人駅(翌日から無人駅の可能性が高い)。
・白樺は、S35.12.9までは有人駅(翌日から無人駅の可能性が高い)。
・西名寄は、S35.9.14までは有人駅(翌日から無人駅の可能性が高い)。

このように、開業当時は貨物を取り扱っていた場合には、停車場変遷大事典の記事がとても参考になりますね。

いつものように、この鑑定結果から生じるいかなる損害や儲けに対して chabin は一切の責任を負わないものとし、ご覧頂く方もこれに同意するものとします。