その時、入場券 買い占め隊

自分が所有する切符と同じ発行日で券番も非常に近い赤帯入場券が売りに出されているのを見て驚いた経験をお持ちの切符収集家は多いのではないでしょうか。左の券番0031の市城駅入場券には、日付の1の脇に「ヨ」の一部が印刷されたインクが付いていますが、これと同じ日付(40.-5.-1ヨ)で券番0057の券が最近ネットオークションに出品され、1万円を越す金額で落札されました。市城駅の窓口は多分1つなので、その時 昭和40年5月1日の夜、少なくとも券番0030から0057までの28枚以上の入場券が一気に売れたことになります。ディーゼルカー中心の吾妻線には、鉄道ファンが殺到することはなかったらしく、乗降客の少ない中間駅の市城は不人気な駅だったようです。もしかすると東京1期券(券番0001)はこの日初めて売れたのかもしれません。

実はその日、渋川を除く吾妻線の各駅で入場券が数十枚売れたことが分かっています。どうやら、特定の個人またはグループが赤帯入場券を買い占めた(?)ようです。このような収集の跡は、昭和39年から41年にかけて全国いたるところに残されており、謎の入場券買い占め隊が国鉄の入場券を数十枚から百枚も買い占めていたと思われます。1枚10円の切符でも、5千駅以上の入場券を百枚づつ買い占めるには、当時で500万円以上の資金(交通費を入れると大変な金額になる)が必要でしたから、単なる鉄道ファンの仕業とはとても思われません。しかし、この買い占め隊のおかげで、希少な入場券がこの世に残され、当時の入場券発売状況が明らかになっているのです。


左は、中央線の八王子〜大月間にある普通の駅で謎の買い占め隊が購入したと思われる入場券9枚。梁川駅は東京1期券。その他の駅は東京6期券。いずれの券にも、窓口番号や循環記号は印刷されていません。高尾や相模湖に窓口が1つしかなかったとは考えられないので、窓口とは無関係に一括して一定枚数を発注したのではないでしょうか。京王線が高尾まで延長される2年半前の事ですが、この頃までは、高尾山や相模湖は東京近郊の行楽地としてかなり賑わっていたので、1万枚単位で発注したのではないでしょうか。しかし、循環記号が印刷されていないことから、在庫がなくなるようなことはあまり頻繁にはなかったようです。それにしても、この区間で一番乗降客が少なかったとはいえ、梁川駅では14年間に僅か250枚足らずしか売れていなかったとは信じ難い事実ですね。

謎の買い占め隊のおかげで、昭和39年以降の入場券は殆どの駅が揃っているのではないかと推測できますが、その恩恵を受けなかった入場券、特に38年以前に無人化された駅の入場券は、買い占める人もなく、ほとんど残っていないのではないでしょうか。本当に希少な入場券なんですね。

次回からは、いくつかの国鉄路線を例にとって、各駅の入場券の売れ方を紹介する予定です。