テレビに映し出される信じ難い惨状を目の当たりにして、言葉を失ってしまいました。山田線のC58を追いかけて、50年前に陸中海岸を旅した chabin にとって、とても他人事とは思えません。 
 友人の杉原さんから、被災された方々へのお見舞いメールを受信しましたので、ご紹介させていただきます。

皆様へ

地震の被害が分かるにつれて正に未曾有の災害となりました。ひどいの一言につきます。
現地の方にはお見舞い、お悔やみ心から申し上げます。
この当たり、全駅下車して近辺を知る者としてメッセージを送らないといけないと思っていますのでメールさせてもらいます。
この地方特有の地形により被害が拡大したのは言わずもがなです。
報道により街の他に駅が出てくることがあり、そのたびに思い出します。
9年位前になってしまいましたが巡りのビデオを見て下車した時のことを思いめぐらしました。
しっかりビデオを撮っているところもあり、そこがどうなったか気なるところです。中でも今もよく覚えているのは、山田線の両石という駅です。
駅自体30メートル位の高台にあり、多分水害は受けていないはずですが、行った時も下の街を歩きました。ガソリンスタンドがあったり、
商店があったり、すぐそばに漁港もあり、漁師の人達が一献やっていたりしました。そこには高さ5メートル位の頑丈な防潮堤があり、
存在感を感じさせました。情報によると街はなくなったといいます。ひとたまりもなかったのでしょう。
駅舎が跡形もなくなったのも多く聞きます。
南三陸町の地元志津川駅、ビデオを見て思い出しました。これも壊滅した街の陸前高田駅。NHK BSの木造百駅にも出た木造駅でしたが、
完全消滅したとのこと。
山田線の浪板海岸駅、気仙沼線の大谷海岸駅、ともに駅のすぐ近くにある海岸線のきれいなところですが、おそらく消滅、街も破壊されて
しまったでしょう。
他にも気仙沼駅、南気仙沼駅も消滅。女川駅、すぐ近くに港がありました。壊滅したようです。
放送番組の中で親をなくしたらしい小学高学年くらいの女の子が海に向かって、大粒の涙を流し、大声で「おかあさ〜ん」という場面には涙しました。
これから将来ある子たちに自然は何と非情なのでしょう。

1日も早い復旧、復興を心からお祈りいたします。